ワルターのワルキューレ

 本当に久しぶりに、ワルターの『ワルキューレ』を聴いてみた。このレコードは、(聴いているのはCDだが)いろいろな意味で、特別なものだ。1935年の録音だから、まだSPの時代で、片面5分のレコードに、ワーグナーの全曲など録音できるとは、とうても思えなかった時代に、EMIが指輪全曲に挑戦する企画として、録音が始まったと言われている。つまり、世界最初の「ニーベルンクの指輪」の全曲録音の試みだったという点。しかし、残念ながら、当時の情勢、おそらく、ワルターがユダヤ人であることの、様々な制約があったのだろう、ワルキューレ2幕の途中で中断した。そして、この不吉な徴候は、その後も続いたことでも有名だ。戦後、改めてフルトヴェングラーで指輪全曲を録音しようと、EMIは意欲的なプロジェクトを組んだわけだが、これも、フルトヴェングラーの死によって、やはりワルキューレだけで頓挫してしまう。そして、クレンペラー。これも基本的には、1幕だけが完成で、指輪全曲の予定だったのかはわからないが、とにかく、ワルキューレで1幕で頓挫。EMIが指輪全曲録音を完成するのは、80年代も末のハイティンク盤だった。EMIにとって、ワルキューレは呪われた音楽という風に言われたこともあった。巡り合わせとは、本当に不思議なものだ。しかし、これらはいずれも、非常な名盤と評価されている。ハイティンクは、例によって強烈な個性を発揮しているわけではないが、じっくりと聴けるし、安心感を与える。指輪にとって、安心感はいいことか、という疑問もあるが。
 特別な意味のもうひとつは、ワルターの唯一のオペラの正規録音だということ、しかもワーグナー。ニューヨークのメトロポリタン・オペラのライブはあるが、正規のスタジオ録音ではない。最晩年、ステレオ録音を進めていたころ、フィデリオの録音計画があったようだが、実現する前に亡くなってしまった。そういう意味で、ワルターのオペラ全曲録音がないのだが、ヨーロッパの典型的なオペラ劇場でたたき上げた指揮者であり、オペラこそ、本領だった。しかも、戦後のワルターしか知らないひとにとっては、意外だろうが、ワルターは、戦前、最も優れたワーグナー指揮者だった。バイロイトには一度も出ていないので、ワーグナーよりモーツァルトというイメージだが、ワルターは、モーツァルトがわかるようになったのは、50代になってからだと、自ら語っている。その前は、やはり、ワーグナーを最も得意とする指揮者だった。バイロイトに出演しなかったのは、彼がユダヤ人だったために、ワーグナー家が招待しなかったからである。それでも、あまりに世評が高いので、コジマは、ワルターと一度面会の機会をもったという。そして、「あなたはヴェルディをどう思いますか」とコジマがワルターに質問し、ワルターは正直に、ヴェルディは素晴らしいと答え、ヴェルディを持ち上げるような指揮者を、バイロイトに呼ぶわけにはいかないと、コジマはいったとされる。ヴェルディの申し子みたいなトスカニーニには、指揮を依頼しているのだから、何をか況んやだが、トスカニーニはユダヤ人ではなかったから許せたのだろう。
 ワルターには、もっとたくさんワーグナーの音楽を録音してほしかった。晩年のコロンビア交響楽団との序曲集は、非常に優れた演奏だ。また、映画「カーネギーホール」では、ワルターがマイスタージンガー序曲を演奏する姿が見られる。
 さて、ワルキューレだ。私は、ワルターファンなので、聴く前から、いいに違いないと思っているわけだが、出だしから、かなりびっくりする。テンポが早いのだ。嵐を描いているわけだが、本当に嵐のように聞こえる。実は、嵐のように聞こえない演奏が多い。それは落ち着いたテンポだからだ。ベーム、ブーレーズ、バレンボイム、レバイン、ティーレマン等々、みんな落ち着いたテンポで始まる。これらの演奏だと、頭では嵐の音楽とはわかっていても、実感しない。スコアを見ればわかるのだが、チェロとコントラバスが4分の6で激しく上下する音形を弾くのだが、第1拍に5連符の装飾音が頻繁につけられている。それを無視すれば、快速テンポになるのだろうが、それでは、この装飾音が弾けない。そういう難しさがあるに違いない。さすがにカラヤン・ベルリンフィルはここを快速に飛ばして弾いている。ワルターはそれ以上なのだ。音楽が始まった途端に、ああここは嵐だったと思い出した。
 そして、ジークムントが敵のフンディングの家に紛れ込んできて、その妻、実はジークムントの妹ジークリンデに介抱されるあたりにあると、しっとりとした情感を醸しだしつつ進行する。なんといっても、叙情的な表現に優れ、歌う指揮者であるワルターの本領が発揮される。そして、この場面で、チェロの美しい音楽がしばらく続くのだが、そのチェロの音がとても素晴らしい。
 SPの録音であるにもかかわらず、ロッテ・レーマンとメルヒオールの声も非常に鮮明に捉えられている。LP初期時代までの声の録音は、あまりよくなかったので、鮮明といっても、生に響いた声とは違うのだろうが、少なくとも、オーケストラに埋もれてしまうようなことはない。その代わり、歌があるところのオケは引っ込みがちなのが残念だ。オケだけのところはまだいいのだが。
 出だしとともに、この演奏の最も素晴らしいところは、一幕最後にやってくる。有名な「冬の嵐は過ぎ去り」と始まる愛の二重唱である。ワーグナーの音楽のなかでもとりわけ美しいこの部分は、「トリスタンとイゾルデ」の愛の二重唱と同様、ゆったりと歌いあげる演奏が多い。しかし、ワーグナーのこの手の音楽は、むしろ多少速めのテンポのほうが、より情熱的になり、本来の美しさが浮きでるような気がする。カール・ベームのトリスタンまたワルテューレのこの愛の二重唱の部分は、他の演奏と比べて格段に速く、むしろいろいろと批判されているところだが、私はベームのテンポのほうが好きだ。ワルターのこのワルキューレの二重唱も、速めのテンポで進むので、ふたりの情熱の高まりがむしろ激しく迫ってくる。幕切れに向かって、どんどん力を増していく音楽は、いつ聴いても興奮する。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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