今回取り上げる文章について、かなり批判的色彩が強いが、実践そのものを否定しているわけではなく、優れたものだと考えている。批判はあくまでも、価値ある文だと思うので行うものであることを、最初に断っておきたい。
中山京子「教師の社会認識を育てる--海を越える取り組みから」を取り上げる。中山氏は、小学校の先生を11年やったあと、大学で教職課程担当の教員をしている。中山氏の文は、教職をとる学生に対する採用試験の学習と大学の学問との関連、日米の教師で英語でのパールハーバーとヒロシマを考えるワークショップ、グアムへのスタディ・ツアーに関する三つの柱で構成されている。それぞれ興味深い提起がなされているように思われる。しかし、それぞれに若干の疑問も感じるのである。
教師になろうとする学生は、教員採用試験の合格と大学における勉学というふたつの課題を負い、ともすると後者をおろそかにする傾向にある。それは事実だが、中山氏の文には、このふたつが相いれないもので、大学の勉学をおろそかにすることへのネガティブなニュアンスを感じる。しかし、教職科目を担当する以上、このふたつを包み込む実践をする必要があるのではないかと思うのだ。「面接練習と問題集を解くことに明け暮れ、大学の勉強をおろそかにしてしまう」現実を嘆いている。しかし、学生が採用試験をより重視することは、学生の立場になってみれば、当たり前のことなのだ。だから大学の教員に必要なことは、そうした採用試験の準備が、大学の勉学の一環でもあるような活動を生みだすことなのである。
私も、ずっと学生の教員採用試験の勉強を、授業外の時間帯で付き合ってきた。ひとつは文字通りそのための「勉強会」であり、また面接の練習だった。前者は、私が教えるわけではなく、学生が分担しあって勉強を進めるものだが、介入が必要なときには、介入するというようなものだった。ただ、「採用試験の合格」をめざすな、採用試験に受かるよりも、現場に出てから要求される能力・資質のほうがずっと高いものなのだから、そこをめざせ、といっていた。現場で対応できる力をつけていれば、(実際には、現場で鍛えられるので完全には無理なのだが)採用試験などは簡単に受かるよ、ということだ。
面接練習は、学生たちのもっている資料では、実際に聞かれる問答集などで、「答え方」のパターンがあると思われるのだが、それは合格のために、本番では必要な認識だが、現場に出れば、実に多様な問題が起きる。そうしたところまで突っ込んで質問することで、対応力、思考力を鍛えることを心がけた。こういう勉学は、採用試験に当然役立つし、また、大学での学びそのものでもある。
第二、第三の実践は、現職の教師を対象としたものだ。
日米の教師によるワークショップ「歴史と記憶:真珠湾をめぐる多様な物語」の報告である。(この詳細な報告書が出版されているが、注文したがまだ届いていない。別途論評しようと思うが、あくまで『教育』に書かれた文章についてなので、未読のまま書く。)非常に意欲的な試みだと思うが、かなり無理のあるワークショップであるように感じた。
まず、題は真珠湾であるが、太平洋戦争を対象とすれば、日本側からは、かならずヒロシマの話題が出てくる。実際に両方ともを議論したと書かれているが、元々の意図はどうだったのだろうか。特に、費用が全米人文科学基金で賄われていることを考えると、真珠湾の話だと思って出てきたら、ヒロシマのことが大分話題になったと、不信感をもったアメリカ人教師はいなかったのだろうか。
中山氏は、英語で議論できる社会科教師がほとんどおらず、逆に留学経験のある英語堪能な教師は、会話はできるが深い議論ができなかったという。これは、今の日本の教育状況からすれば、当然のことだったわけだが、それでも参加者は意欲的に取り組んだということなので、長期的にみれば、少しずつ実を結んでいくと期待できるだろう。
ただ、内容については、主催者が何を期待したのか。多様な見解に触れるという意味では、日本の教師は、原爆投下を正当と見なすアメリカ人教師、アメリカの教師は、ヒロシマを絶対的に悪と見なす日本人教師を知るという意味で、目的は達成されたともいえるが、そこからの討論で、何か新しい到達があったのかというと、残念ながら、書かれていない。しかし、4割程度の教師は、アメリカ人教師と素晴らしい実践をしたということだ。
次は、2010年に実験的に行い、2013年から継続的にグアムをフィールドにしたスタディツアーについて。これについては、中山氏の実行力に感激はするが、一連の評価には、疑問を感じざるをえなかった。まず、引用しておく。
「現地では、日本軍が残した塹壕、砲台、トーチカなどが残る戦跡を歩き、日本侵略時代や激しい日米戦の記憶がある高齢者の記憶の話を聞き、朝鮮戦争・ベトナム戦争に従軍した退役軍人の話を聞き、先住民族チャモロの文化復興運動の活動に参加してきた」「地元の声を必死に聞き、日本軍の行為をいまだに忘れない人々と対面し、つたない英語で自分を語る(もしくは語れない)経験をすることで、歴史に押しつぶされそうになる感覚や、胸が苦しくなる感覚、涙が溢れ出る感覚を経験して、歴史を引き受ける意志を持たせるようにしている。学生や若い教師の「教科書では触れられない」歴史を知らなかったこと、知ろうとしなかったことへの衝撃と罪悪感は、買い物とビート遊びのみをプロデュースする観光産業への問いや、これまで歴史に対してなんの感性もなかった自分への問い直しをもたらし、日本の教育これでいいのか、と問い直しの視点を作る。」
そして、メジローという人の自己変容理論をもとにした自己変容を促すようにしていく、それが「社会認識が深まり、歴史への主体性を持つという変化である」と結論づけている。
すごい実践をしているのだなあ、という「感心」をすることは間違いないが、私が学生だったら、このようなスタディツアーに間違いなく反感をもつだろう。
学生を引率していって、学生たちが、胸が苦しくなる感覚をもって、涙を流している様子を、中山氏はどう気持ちで見ているのだろうか。ああこの学生たちは、今目覚めているのだ、よしよし、という感じなのだろうか。私のように醒めた学生がいたとしたら、中山氏は、この学生、なんだ変だな、わかろうとしていない、と思うのだろうか。等々。
中学2年のときを思い出す。担任の教師が、「花の美しさを感じない人間はだめです」というようなことをHRで話した。そのとき、私は、とても反感をもった。「そりゃ花を美しいと普通は思うだろうけど、人の美意識なんて様々なんだから、特定の美意識を強制するなよ」と。とても鮮明に覚えている。こんな中学生だったから、学生として、このツアーに参加したら、確実に反感をもっただろう。教師の言いたいことを認めたとしても、そのやり方に同意できないものを感じたと思う。
何よりも、「歴史への主体性をもつ」というのは、どういうことか。主体性をもって歴史に関わっても、歴史を変えることはできない。主体性をもって関わる必要があるのは、現在進行している事態に対してのはずだ。歴史を学ぶのは、基礎的知識と認識を獲得するためであって、そのためには、各時代の出来事に関わった人たちの多様な思想と行動を、できるだけ多面的に検討することが必要であり、決して、最初から「予定された」感情を生みだすようなものであってはならない。
この実践に関する限り、インドクトリネーション(教義の教え込み)になってしまっているのではないかと思う。
中山氏の最後の結論部分には、大いに賛成だ。
・挑戦すること、多様な価値観を知ること、社会に疑問をもち、議論し、批判的思考力を育てること
・外国語を身につけること
次は久保田貢「文化に抗い、文化を築く--学びあう教師たちによせて」を考察する。私立の中高一貫校の教師を経て、愛知県立大学の教員をしている人だ。大きな違和感を感じたのは、最初の部分だ。
教員対象の研修講演を終えたとき、30代前半の小学校教師が質問しにきた話が紹介される。その問答を抜粋する。
「満州って中国のことですか?」
「そうですね・・このあたりを満州といいます」
「日本は戦争で中国に行ったのですか?」
「はい。お話したように、日本は朝鮮半島から中国、東南アジア、太平洋地域と侵略していきました。」その後のやりとりはほとんど記憶になく、最後に彼女が
「亡くなった祖母が、小さいころ満州にいたと話していたのです。中国にいたのですね。」
そして、久保田氏は、次のようにこの会話を整理している。
「話はこういうことなのだろう。彼女は祖母から幼い時に満州にいたと聞かされていた。が、満州が中国だとは思っていなかった。日本が戦争で中国を侵略したのも知らなかった。講演で満州の地名が登場し、どうやら日本ではないらしいと知る。祖母が中国にいた?日本が中国を攻めた?初めて知ることに彼女も実は動揺したのかも知れない。だから話を満足に聞けずに、たしかめにきた。たぶんそうだ。」
このまとめを、みなさんは、どう思うだろうか。確かに、久保田氏のように解釈できる面はある。実際に話した印象を基にしているわけだから、それは間違っていないと断定することはできない。
しかし、違う可能性もあるのではないかと、私には思われるのだ。まさか、小学校の先生が、日中戦争をまったく知らないということはありえない。もちろん、かなりおぼろげにしか理解していない可能性はある。しかし、「日本は戦争で中国に行ったのですか?」という質問を、日本と中国が戦争していたとは思わなかったという解釈以外にはないのかとも思うのだ。
わざわざ質問をしにきたのだから、もう少し、彼女の真意は何かを理解しようとする姿勢が必要なのではないかと思う。もしかしたら、次のような疑問だったかも知れない。
「幼いときに満州にいた」という祖母。幼い人が、戦争でいったはずがない。おそらく、そこで家族とともに普通に生活していた。日本は中国と戦争していたのだから、満州は中国ではなかったと思い込んでいた。満蒙開拓団が満州に植民していったのは、主に満州国が成立してからだから、そこが中国ではなかったというのは、「完全な間違い」というわけではない。
「日本は戦争で中国にいったのですか?」という質問は、それにつながるもので、幼い祖母が満州にいて、満州は中国で、日本は、中国と戦争していたというのならば、祖母は、戦争で満州にいったのか?そんなことってあるのか?という疑問だったのではないかとも解釈できるのだ。
窪田氏は、この若い小学校の教師は、なんと歴史に対して無知なんだろう、という感じで、次に、満州や中国と日本の関係を説明していくのだが、あまりに「歴史を理解している」自分のプリズムだけを通して、その教師を見ているのではないか。もう少し「質問者」の「真意」を考える姿勢が必要ではないかと感じるのは不当だろうか。
前述の教師に関連して、満州で起きたことを縷々説明し、そのあとで、平和教育をしたあとの感想文が、かなり長く引用され、平和教育の難しさと重要性が強調されていく。そして、官制研修では、自由に意見をいえないが、民間研究にはそれがあると結んでいる。その結論には、異論はない。
そこで、いつも感じる「戦争と平和」の教育について、普段考えていることを付記しておきたい。
日本の平和教育を重視する人は、太平洋戦争を学ぶことに焦点をあわせる傾向があるが、それはひとつの柱として重要だが、現在起こっている戦争、そして、将来おきる可能性のある戦争に対する「心構え」をつくるための教育としては、まったく不十分である。というのは、日本が、中国や東南アジアを侵略したり、アメリカと大規模な戦争をするというのは、少なくとも近未来においては考えられないからだ。しかし、現在でも戦争は各地で生じており、また、戦争の危機は、他にある。そして、そういう戦争は、太平洋戦争とはかなり様相が異なっている。今起きている、あるいは起きるかも知れない戦争、そして、日本がそこに巻き込まれる可能性もある戦争等については、太平洋戦争における日本の行為から演繹されるようなものでは、決してない。
実際に、現在の戦争は、少なくとも先進国においては、あまり国民を巻き込まない。国民が巻き込まれるのは、自国が戦場になる途上国である。G7の国が、戦後、戦場になったことはないのだ。そして、湾岸戦争あたりから、戦争に対する一般国民の目は、かなり違ってきた。湾岸戦争は、CNNが戦争の実況中継をしたが、まるでスポーツ観戦をするように、戦争を一般国民は見ていた。もちろん、見る人の受け取りは様々だっただろうが。
特に、日本はこの戦争以来、大きく政策が変化してきたが、そこに大きな批判が生まれたということもない。日本は、人を派遣せずに、多額の資金を提供したが、戦後クウェートから感謝されずショックを受けて、今後は人を派遣しなければだめなのだ、という「反省」にとらわれ、イラク戦争では自衛隊を派遣した。もちろん、平和運動をしている人たちは、強く批判したし、私も批判した。しかし、国民の多くは、感謝されなくていいではないか、今後も戦闘行為に直接関わるべきではない、そもそも戦費を出す必要だってなかったのだ、そういう意見は、ごく少数だったようにも思う。そして、イラク戦争、アフガン戦争、中東戦争、シリア戦争、イエメン戦争等々は、遠くのことだと思っている人が多数に違いない。
今、平和教育が取り組むべきなのは、こうした「戦争」ではないかと思うのだが。