AIで講義内容をテキスト化するメリット

 昨日テレビのニュースで、ある大学が、AIを使って、オンラインでの講義をテキスト化する実験をしたと報道されていた。ウェブで検索すると、けっこう多くの大学や企業で活用が始まっているそうだ。これは、ぜひ大学ではやってほしいことだ。私自身、まだまだ音声認識ソフトがつかえる水準でなかった時代に、自分でテープ起こしで講義をテキスト化していたことが、何度かあるので、はやく音声認識ソフトが実用段階になることを願っていたが、最後の年に、ある程度つかえるかも知れないというソフトを試してみたのだが、ソフトの完成度がまだ高くなかったことと、教室でのマイク設定に難があって、実際にはつかえなかった。これはとても残念なことだった。
 なぜ、手間隙かけてまで、テープ起こしをして講義のテキスト化をしていたのか、そのメリットは何かを書いておきたい。(私の「最終講義」にも若干の紹介がある。本ブログ1月末)
 きっかけは、聴覚障害の学生が私の講義を受講したことだった。教育学の最初の授業が終わったときに、ある学生が教壇のところにきて、一枚の紙を私に手渡した。自分は聴覚障害なので、配慮してほしいというような趣旨だった。何を配慮すればいいのか、まったくわからなかったのだが、とりあえず、直ぐに障害者援助サークルの部室にいって、この話をすると、その学生の入学は知らされていなかったようだ。しかし、当然手話部会もあるサークルなので、協力してくれることになり、サークルとして事務と打ち合わせをして、その後対応してくれた。
 私はどうしようかと考え、大学の講義というのは、教員が一方的にしゃべり続けるわけだから、聴覚障害の学生にとっては、何もわからない。サークルとしては、ノートテイクをやるだろうから、私としては、講義を録音して、テープ起こしをして、それをウェブに掲載しようと決意した。既に、講義用のホームページを用意していて、そこに掲示板をおき、毎週のレポートを掲示板に書く課題をだしていたので、講義録のウェブへのアップは、まったく問題なかった。
 それから毎週、午前中一時間目の講義のあと、テープ起こしを研究室で行い、夕方には、ウェブにアップするという作業を続けた。私は、親指シフトを使用し、また、ソニーの足踏みテープデッキと併用していたので、通常よりは作業が早く、4時間程度で90分の講義を起こし、チェックしてアップすることができた。ただし、学生の発言を促して、大教室の講義だが、討論もかなりあったので、学生の発言を起こすのは、けっこう厄介だった。AIを使用するとしても、そこはかなり壁になるように思われる。ちなみに、学生の発言はすべてマイクを回していたので、録音はされているが、自分の話ではないので、わかりにくいこともあったのだ。自分の話も聞き取りにくい部分はあるが、そこは自分の話なので、適当に補充することができるわけだし、また、説明が不十分なところは、内容を補うこともできた。
 私が大学に在職する間に、こうした聴覚障害の学生は4人受講したので、4回行った。その記録は、すべてではないが、今でも残っている。
 
 かなり大変な作業だったが、やってみて、予想外のメリットがあった。目的は講義を聴くことができない聴覚障害の学生が、正確に講義の内容を知ることができるようにすることだったが、実は、健常者の学生にも大きなメリットがあった。私の講義では、毎回の授業で考えたことを小論文にまとめて掲示板にアップすることを課しており、それで成績をつけていたのだが、掲示板の書き込みを読むと、学生がけっこう講義内容を誤解して受け取っていることがわかっていた。私がいったこととまったく逆の受け取りをすることも、少なくないのだ。だれだって、90分集中して聞いているわけではないし、また、込み入った話になると、前後のつながりを誤解することもあるだろう。声の説明はどんどん消えてしまうのだから、誤解したら正しようがない。しかし、それを実際に話した教員が、テキストにしてアップするのだから、小論文を書いている途中に、あいまいな点に気づいたら、講義録を参照すれば、正確な理解に基づいて書けるわけだ。学生だって、誤解したいわけではないし、参照したい部分だけ確認すればいいわけだから、たいした手間でもない。それで、こうした講義録を起こしてアップしていた学年は、学生の掲示板小論文に、私の話した内容を誤解して書く例が、際立って少なくなった。だから、本当は、すべての講義を、毎回実施したかったのだが、相当なエネルギーと時間がかかるために、それは到底無理なことだった。だから、新しい音声認識ソフトがでると、毎回購入して試してみたが、まだまだ使える水準からはほど遠いかったのである。
 
 現在では、siriとか、グーグル翻訳など、音声認識は、かなり精度があがっているが、まだまだ大学の講義をそのままテキスト化するレベルには、達していない。雑音が入らず、短い文章であれば、正確に認識するが、教室のような雑音が入り、また、長い話、しかも、話題が飛んだりするような内容だと、まだまだsiriレベルでは無理だろう。
 だから、もっと本格的なシステムを構築する必要がある段階なのだと思う。

 しかし、少しでも、部分的な作業をして、講義のテキスト化を進めることは、大学の教育水準を向上させることは確実である。それは私の実験的な試みで明らかである。しかも、テキストであれば、ファイルサイズは微々たるものだから、大量の記録を蓄積することが可能だ。
 大学の教育水準をあげることは、大学として生き残るために、不可欠のことだ。
 ぜひ、多くの大学で、こうした試みを進めるべきだと思う。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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