特集1の「社会の課題に向きあう教師たち」の最初の文は佐久間建「教育実践から社会認識へ--ハンセン病人権学習を進めるなかで学んだこと」で、筆者は小学校の教師で、『ハンセン病と教育』という著書がある。
佐久間氏がハンセン病と出会ったのは、勤めた小学校の近くにハンセン病施設があったからだ。1993年のことで、96年に廃止された「らい予防法」がまだあったので、「おばあちゃんが全生園にいってはいけない」と言われている子どもがいたそうだ。
ハンセン病はかなり古い時代から知られていた病気で、聖書などにも出てくるそうだが、感染力は極めて弱く、それほど恐れられていた病気でもなかった。この文章では触れられていないいが、社会的な差別の対象になったのは、明治時代からである。歴史的に有名な人では、関ヶ原合戦で最も奮戦して敗れた大谷善継がいる。殿様だったということもあるだろうが、尊敬され、高く評価された戦国武将だった。つまりハンセン病が大名として活動することの妨げにはならなかったわけである。
なぜ明治以降社会的差別の対象となったのか、おそらく徴兵制の施行によるものではないかと思われる。国民(男子のみだが)全員が、兵隊として一緒に行動する上で、ハンセン病患者は排除する必要を軍部は感じたのだろう。社会的隔離施設が作られ、患者は強制的にいれられて、一生閉じ込められる生活を強いられるようになった。江戸時代までは、特別な差別的扱いも受けていなかったのだから、(嫌がられる程度のことはあっただろうが)明らかに、政治によって作られた差別であった。
しかも、1950年代には治療法が確立しており、隔離の必要もなくなっていたが、90年代でも差別があったということは、日本社会および行政の問題として銘記すべきことだろう。
佐久間氏は、1993年に、かなりの準備をして、94年からまず6年生にハンセン病の学習をスタートした。市の社会科部会の研究授業として実施し、その後全校に拡大していったということだ。学習を進めていくなかで、ショックを受けたのは、ハンセン病の発症は子どものときが多く、発病すると教師が届けて、隔離されることになるのだが、実はそれまでに差別を学校で受けており、それがつらかったと語る患者が多い。そして、治癒して退所しても高校に入れなかったという。
「公立小学校教員事件の教訓」という部分で、2014年におきた事件を扱っている。日経の記事を参照しているので、日経の記事本文を引用しておく。
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福岡県の公立小学校で人権教育を担当する40代男性教諭が、授業で「ハンセン病は体が溶ける病気」「風邪と一緒で菌によってうつる」などと説明し、「怖い」「友達がかかったら、離れておきます」などと誤解した児童の感想文が熊本県の国立ハンセン病療養所「菊池恵楓園」に届けられていたことが6日、分かった。
ハンセン病は感染力が弱く、治療法も確立している。教諭は「誤った認識が過去にあったことを教えたつもりだが、説明不足だった。申し訳ない」と釈明しているという。県教育委員会は菊池恵楓園に謝罪した。
県教委によると、教諭は昨年11月、ハンセン病への偏見や差別について、6年生12人に自作の教材を使って授業をした。教材には「手足の指や身体が少しずつ溶けていく」といった説明があった。感想文は12月に園に郵送された。
今年4月に園の指摘を受け、県教委の人権・同和教育課長らが園を訪ねて謝罪した。
教諭はこの小学校で2010年度から、同じ教材を使って6年生に授業をしていた。県教委は中学校に進学した生徒に指導をやり直すよう、関係市町村教委に指示した。
菊池恵楓園の入所者自治会の志村康会長は「差別の連鎖が教育の中で生み出されている。福岡県教委は教師向けの指導書を作るべきだ」と話している。(日本経済新聞2014.6.6)
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実際に、佐久間氏は、この施設を訪れ、これらの作文を見せてもらったそうだ。正直、よく保存してあるなあと感心する。こうした日経の記事は、全体を見ないと誤解する恐れもあるし、教師自身が悪意もって行ったようには思えない。しかし、教育委員会が謝罪に出向くなどという事態になって、「事件」とされ、ハンセン病患者の家族が起こした訴訟で、資料として提示された。
記事で書かれているように、教師は、誤った認識が過去にあったことを教えたつもりだったのに、子どもがそこは充分に理解せず、あるいは理解しても、感想文としては「かわいそう」という表現が前面に出たということだったかも知れない。教師が教えていることを、充分に理解しなかったり、あるいは逆に受け取ったりすることは、大学の授業でも珍しくないから、小学生では避けられないことだろう。
佐久間氏は、この事件となった実践の教師の問題は、「単なる知識不足」ではなく、「感傷」に重点をおいた人権教育の典型的な弱点が表れたのだと解釈しているようだ。差別に問題に関して、感傷や思いやりに重点をおいた視点でしか、授業を構成できない教師が多いとも批判している。
そして、ここで丸山真男が出てきて、蛸壺的な状況が、人権教育や社会認識を育てるのに負の要因となっていると指摘し、蛸壺状態を克服することが必要だという主張になっている。なぜ丸山真男の蛸壺議論が出てきたのかは、あまりよく理解できなかったが、差別を教えるためには、かなり広い領域の理解が必要であるという意味であるならば、確かにその通りだ。
深く考えたいのは「感傷主義は、共感性をもたらすし、子どもの反応は強いが、新たな差別的偏見を生みやすい」という諸刃の剣であるという、筆者の主張である。
感傷主義は当然間違った手法だろうが、件の教師が、「かわいそうだ」と思わせることを意図して、ハンセン病の授業をしたとは、日経の記事を見ても思えない。「誤った認識が過去にあったことを教えたつもりだった」ということを、あまり疑う必要があると、私には感じられないのである。知識をきちんと与えれば、「感傷」が生まれることはないということでもない。子どもなら尚更だろうが、「かわいそうだ」とか「怖い」という感想を生じることは避けられない。そして、そういう感想がでたら、それは実践の失敗を意味するのだろうか。