教育学を考える11 授業 斉藤喜博1

 一斉授業そのものは決して避けることができないものではないが、とりあえず、多人数の子どもが同一教室に存在するというのは、国民教育制度では避けることができない。寺子屋のような個別指導方式も可能だから、一斉授業以外の教授方式もありうるが、私は優れた一斉授業こそが、最も効果的な授業であると確信している。しかし、それには教師の側に高度な技術、知識、情熱が必要である。また、高度な技術には達していなくても、高度な一斉授業を可能にするという目的で活動しているのが、TOSSである。TOSSはあとで考察するとして、今回は、最も優れた一斉授業の実践者であったと、私が考える斉藤喜博、次に安井俊夫の実践を考える。
 私は、端的に斉藤喜博は戦後日本の最も優れた教育者であると評価している。教師として、校長として、そして教授学研究者として、極めて優れた業績を残した。教師としては、既に戦前に何冊かの実践書を出している。今正確なところがわからないのだが、戦前は軍国主義的な教育に批判的であったので、学校を去っている。(ここは確認したい)戦後教師として復活し、比較的直ぐに校長になっている。校長として赴任した「島小学校」で、教師たちを育て、様々な活動報告をして全国的な注目を集めた。その実践は映画にもなっている。(『芽を吹く子』)教育科学研究会で、「教授学部会」を立ち上げ、授業研究の中心的存在であった。そして、定年退職後、いくつかの大学で講師を勤め、同時に、全国の小中学校で、臨時の授業を行った。その授業の記録は、テープから起こされて、『わたしの授業』として公刊されている。
 多数出版された授業論の著作と、この『私の授業』は、現在でも、優れた授業をしたいと考える教師にとって、非常に参考になるものだ。私自身は、学生時代に、稲垣忠彦先生の講義で、斉藤喜博の実践を紹介され、レポートもかなり力をいれて書いた記憶がある。戦前の斉藤喜博の実践と戦後の実践を比較し、また、校長でありながら組合の活動を続けた(ただし教育研究派であったようだ)彼は、戦前・戦後で一貫した姿勢を貫いた、極めて稀な人なのである。(矢内原忠雄と同様)レポートでは、それがどういう姿勢であったから可能だったのかを考察した。
 斉藤の授業論ではなく、『私の授業』から、実際に斉藤喜博がどのような授業をしていたのかを見ていこう。もっとも、この一群の授業は、まったく初めて会う子どもたちを相手にした一時間だけの授業であり、担任として年間を通して行う授業の一コマではないことは、念頭に置く必要がある。
 こうした授業で好んでとりあげる坂本遼の「春」という詩がある。一部だけあげておく。

おかんはたった一人
峠田のてっぺんで鍬にもたれ
大きな空に
小ちゃいからだを
ぴょっくり浮かして
空いっぱんになく雲雀の声を
じっと聞いているやろで

 ほとんどの場合、斉藤は、子どもを一人ずつあてて、朗読をさせる。その際、読めない字があったら、飛ばす。ゆっくり読ませる。そして、間違っても決して、単純に訂正だけする、というようなことはしない。最初の子どもが、「雲雀」を「くもすずめ」と読んだ。斉藤は、それでもいいんですよ、といって、確かにこれまで習った漢字として、「雲」は「クモ」であり、「雀」は「スズメ」だ。それを確認して、一緒に書くと、「ヒバリ」と読むと説明したあと、雲雀は人家のあるところではなく、もっと高いところ、雲があるようなところで鳴くから、こう書いたんだと説明していく。こうすれば、間違って読んだ人も、恥ずかしい思いから解放されるわけである。
 斉藤喜博の授業における重要な原則のひとつが、「間違い」に対して、その間違いが出てくる「理由」を説明し、単なる間違いではなく、重要な知識の獲得上意味がある間違いだと、説明していくことだ。日本の教育にはびこる「正解主義」とは全く逆である。
 何度か読ませたあと、今度は、ひとつひとつの語句の確認をしていく。ここでは、「ちいちゃいからだ」を取り上げる。なぜ「ちいちゃい」のだろうかと問いかける。おそらく、いろいろな答がでてくるだろう。「遠くで見ている」「年取ったから小さくなった」等々。
 ある生徒が、「空が大きいから」と答えたので、「ああ、いいですね。空があんまり大きいので、空に対比しておかんがちいちゃくみえるというんですね。そういう絵を頭にかいておいてくださいね。」と斉藤喜博は応答している。
 ここでも明確だが、斉藤喜博は、国語の授業で「質問」するときに、正解がないことを聞く。だから、どんな答えがでてきても、「いいですね」になる。
 別の教材の事例では、大きな森に入り込んだ人が、出ようとして出口が見えたという場面で、出口とは、森のなかなのか、外なのかと質問している。文脈上、それほど大きな意味はないのだが、子どもたちに考えるきっかけになっている。この場合は、二択の答えが示されている。
 斉藤喜博の「質問」は、このように多くの場合、正解がないことが聞かれ、いろいろと想像させたい場合には、問いが生でぶつけられるが、想像が難しい場合には、選択肢が示される。もちろん、その場合でも、どちらも可能性があるような選択肢だ。国語は、様々な解釈を広げていくことが大事であることが、質問の形でそれが促進されるのだ。ところが、正解のない質問を考えるのは、実はとても難しいのである。学生の模擬授業などでも、かなり強くそのように促しても、正解のある選択肢が示されることが、ほとんどなのだ。そして、答えを知っていないとわからない、クイズのような質問になってしまう。教える側が、教材を徹底的に掘り下げないと、想像を広げるような、つまり、正解のない質問は考えつかないものなのである。
 次の原則は、考えさせても、子どもの知識では答えられないような場合、斉藤は、詳しく説明するスタイルに切り換える。
 後半に、

里の方で牛がないたら
じっと余韻(ひびき)に耳をかたむけているやろで

という部分があるが、なぜ牛の鳴き声に耳を傾けているのか。もちろん、いろいろと想像することは可能だが、斉藤喜博は、ここでは想像よりも、おかんが置かれた状況を正確に知ることのほうが重要だと判断したのだろう、おかんの家がまずしくて、どうしても必要があって、飼っていた牛を売らなければならなかったという思いがあったと説明する。だから牛が鳴くと、それを思い出す。こういうことは、子どもの想像でなかなか出てくるものではない。詩の理解のためには、必要な知識であると判断すれば、詳細な説明にする。つまり、子どもに余計な負担をかけないということだろうか。発達段階に相応しい対応ということだろう。(斉藤喜博続く)

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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