Law & Order どちらが殺したのか

 第8シリーズ第4回は、非常に難しい、しかし興味深いテーマだった。
 誕生日のプレゼントを贈るために、友人に安く売ってくれるように頼み、ニューヨークの夜の暗い場所で待ち合わせる。妻は夫と一緒にそこにいくのだが、嫌がり早く帰ろうというが、夫は、約束なので車から出ると、待ち伏せていたのは、「殺人をしてみたい」という若者で、いきなり車内にいた妻を撃って逃走する。夫は急いで病院に運ぶが、頭部を撃たれていて重体だ。車内には小さい女の子が乗っていて、帰宅したあと、両親が喧嘩していたと警察に告げる。誤解した警察は夫を逮捕するが、直ぐに誤認だったことがわかり、捜査の結果、若者3人の仕業だったことがわかる。最終的に、そのなかの一人が、殺人そのものに興味があって、撃ったことを突き止める。
 助かることを期待していた夫に、脳死状態になったので、臓器提供をしてほしいという要請があり、夫はそれに応じる。
 裁判が進行するなか、検察が、妻のカルテをみて奇妙なことに気づく。死亡時刻、死亡診断書を書いた医師、そして、臓器摘出の時間があいまいだった。そして、臓器摘出した時点では、まだ妻は生きていたのではないかと判断する。そして、それがやがて被告側にわかってしまうと、殺人罪を問えなくなるので、漏れる前に、司法取引に持ち込もうとするのだが、何かおかしいと感じた弁護士が、取引を拒否する。そして、証拠提出をせまり、検察が隠していたことを突き止め、殺人罪が成立しないことを主張する。
 検察は、臓器摘出して、移植手術をした医師を逮捕して、殺人罪で起訴する。そこで、当然矛盾が生じるわけだ。どちらが「殺した」のか。医師は、借金に追われている事情があり、高給で新しい病院に移籍し、被害者である妻からとった様々な臓器が、土産のようなものだった。検察はそれを悪質と考えたわけだ。しかし、医師からすれば、銃弾が頭にはいり、死は確実だったと主張する。それに対して、検察は、臓器摘出の際に、モルヒネが処方されていたことを指摘し、生きていた証拠だと、医師の証人尋問で追求する。諦めた医師は、検察を批判しながらも、取引に応じる。そして、裁判は撃った若者だけにし、そこでも殺人罪で有罪にする。つまり、殺人をした人物が二人いたことになった。
 ドラマの最終盤で、検事のマッコーイは、医師に向かって、「人間の生死を決めるのは医者じゃない」というが、医師は、「いや、医者だ」と轟然と言い放つ。そして、双方を有罪にした検察3人が勝利を祝ったあと、この話がでて、「人間の生死を決めるのは検察だ」という発言で結ばれる。これが落ちかも知れないが、やはり、この場合、殺害したのは誰か、医師の責任を問うのは妥当か、という問題こそが重要だろう。 
 Law & Order の始まるときに、このドラマは事実ではない、と毎回断りがはいるのだが、実際に起きた事件を参考にしていることも少なくないようだ。このような医師が事件を起こしたことが、アメリカであるかどうかはわからないが、日本では、最初の心臓移植手術を行った和田教授が、実際にはまだ生きていた青年の心臓を取り出したとされ、その後かなり長い間、日本では心臓移植が実施されなくなったという「事実」がある。しかも、和田教授が執刀した事例では、助かる可能性も小さくなかったと言われているのだ。
 だが、このドラマでは、常識的にみて、死ぬのは時間の問題という医師の言葉は、おそらく事実だったろう。裁判で、脳死判定の回数が足りないことが指摘されていたが、一度は脳死判定がでていた。複数回しなければならないのを省略したわけだ。しかし、モルヒネを用意させ、実際に投与したことは、まだ生きていることを、医師自身が自覚していたことも示している。和田教授が手術をしたときには、「脳死判定」などが、今のように厳密に規定されていなかったから、医師が判断したから「死」であるというように、当時は考えられていたが、1990年代後半のアメリカともなれば、脳死判定は厳密に手順が決められていた。だから、それを敢えて、実行する医師がいるものかは、疑問だが、とりあえず、ドラマだからいいとしよう。
 ほぼ確実に死ぬ、脳死判定も一度は脳死とでた。その段階で、心臓を取り出した医師が殺人罪に問われるべきなのか、あるいは、殺す意思で銃を頭に撃った犯人が殺人罪なのか。たしかに、医師が執刀したときには、完全な脳死判定ではないのだから、生きていたことになり、最終的に死なせたのは、医師と考えることはできる。その場合、狙撃犯は、殺人未遂で、ずっと軽い罪になるのか。
 少なくとも、私が考える社会常識では、重い罰を受けるのは、撃った人間であって、医師が罪に問われるとしても、ずっと軽いのではないか。更に、医師は、この移植手術によって、たくさんの死ぬはずの人が健康になって助かったと主張する。それも事実だろう。この事情は、考慮されるべきか。ドラマでは、10年以上刑務所にはいるという取引に応じるのだが、実際の裁判であれば、無罪を主張して闘うのではないかとも思われる。
 堂々巡りをして、誰もが納得する結論は出そうにない。みなさんは、どう考えるだろうか。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です