昨日の記者会見で、小池百合子氏が疑惑をもたれているカイロ大学卒業に関して、疑惑を否定して、卒業証書と卒業証明書とされるものを公開して、「自由にみてください」といったそうだ。毎日新聞の記者会見の記事を読むと、写真をとってあるが、突っ込みをいれる質問などがなされたのかは、疑問である。
今後どうなるのかわからないが、今思うところを書いてみる。
今年になって黒木氏の長い告発の文章、そして石井妙子氏の著作は、やはり、小池都知事としては大きな脅威となったはずである。そして、当然、弁護士と相談して、どうやって切り抜けるかを検討したはずである。最低限死守しなければならないのは、公職選挙法違反には問われないようにするということだったろう。つまり、卒業認定が虚偽ではないという形を作れるかどうかだ。そのために、カイロ大学や大使館に働きかけたはずである。その結果、カイロ大学から、卒業証書は正式のものであるという声明を、在日エジプト大使館から出させることに成功した。ほぼこれで、公職選挙法の学歴詐称という罪は逃れると踏んだのではないか。だから、卒業証書を公開した。
それでも疑惑は消えないと私は思うし、また、小池氏が本当にカイロ大学で十分に学んで卒業したとは思わない。だが、裁判になって、原告側が立証責任をもつときに、原告がカイロ大学の声明が虚偽であり、小池氏の示した卒業証書を偽物だと証明することは、まず不可能になったと思われる。大学がとりあえず公式であるような声明を出しているのだから、それを打ち破る術は、原告にはないだろう。原告には、知人の証言があるかも知れないが、それは公的な証明にはならない。大学に、単位取得の詳細なデータを出せといっても、大学は拒むだろう。正式な卒業証書だと大学がいっているのだから、それを信じろと言われたら、それ以上には踏み込めない。まさか、職員の内部通報者を見つけることができるはずもない。
ただし、だからといって、卒業証書が本物であると証明されたわけでもない。前回のこの話題で書いたときに、最後に、「形式は不正で入手できるが、実力を不正で入手することはできない」と書いた。つまり、卒業証書という形式的な証明は、不正によって入手することかできるのである。
個人的な経験だが、私が大学の教師になって、何年か経ったころから、たぶん5,6年の間、アメリカの大学と称するところから、何度もメールが送られてきた。それは、博士号をとりませんかというお誘いのメールだった。簡単にいうと、お金を出せば、実際の論文を書かなくても、博士号をとれるという内容だった。他の教員にも送られていたものだ。私は博士号をもっているので、もちろん、応答しなかったが、そのうち、NHKスペシャルがこの問題に迫ったドキュメントを放映した。そのメールを送ったアメリカの大学に現地にいって取材したのだ。非常に興味深くそれをみたが、その大学は、どこかのビルにオフィスとして一室を構えており、「ここが大学か」と質問すると、肯定していた。他には、なんら設備などはないようだ。博士号のとり方については、詳細を忘れてしまったが、要するに、博士号の学位証明書を発行するという内容だったと思う。博士号に不可欠な論文などを書かなくても、証明書を発行してしまうのである。
アメリカの大学の制度を理解すると、それは実はありうることなのである。アメリカには、日本のような大学設立に関する「認可」システムが存在しない。大学の質を保障する「認定協会」があり、その協会に加盟して、協会として認定してもらうのである。そしてその協会の信用によって、加盟大学の信用が保障される仕組みなのだ。これをアクレディテーションという。
しかし、そうした信用などいらないと思えば、勝手に大学を名乗り、学生を募集したり、こうして学位を発行したりできるのだ。当然、卒業生の学歴をチェックするときには、そうした虚偽の可能性もあることを、アメリカ企業や大学の採用側は、承知しているはずである。
アメリカのような優れた大学制度をもっている国ですら、卒業とは、あいまいな部分があるのだ。
日本ではどうだろう。日本では、「大学に入るのは難しいが、出るのはやさしい」とよく言われる。少なくとも、文系学部の多くは、よほどさぼったりせず、レポートを出さないとか、試験を受けないというとをしなければ、単位をとることも、卒業することも、さほど困難でないことは間違いない。文科省の政策が、留年させるなという原則である。大学は総定員で縛られているから、留年をだすと、財政的に不利になるような仕組みになっている。だから、成績判定を厳密にして、単位をあげない、卒業させないというようなやり方は、なかなかとれないのも事実である。だから、日本の卒業認定だって、国際的に誇れるようなものではないのだ。日本で、卒業にまつわる不正があまりないのは、実際に卒業が難しくないことと、不正をしてまで資格を手にいれる利益が感じられないからだろう。だから、不正があるとしても、それは「入学」のときに起きるのだ。
このように考えれば、不正ではないにせよ、日本の大学の卒業証書は、その個人の能力の証明とはあまり考えられていない。そして、アメリカのように、大学全体が不正な証書を出している大学が存在している国もある。とすれば、民主主義でない国で、大学の卒業資格が、不正に発行されることなど、十分にありうることだし、エジプトのカイロ大学がそうでないとはいいきれないだろう。(「カイロ大「小池氏は卒業生」声明の正しい読み解き方」盛岡裕之 2020.6.12 https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/60884?pd=all参照)
もちろん、大学の学長が、どのような手続きによったかはわからないが、正式な卒業証書だと声明を出したからには、それを「形式的」に覆すことは、ほぼ無理だろう。学長の声明にあるように、カイロ大学のほうで名誉棄損で訴訟を起こせば別だろうが、そういうことはしないとおもわれる。小池氏も決して石井氏を訴えることはないだろう。小池氏側から提訴すれば、小池氏側に立証責任があり、卒業に関わる様々な資料を提出しなければならなくなる。受講した講義や取得単位など詳細を説明しなければならなくなる。小池氏にとっては、公職選挙法違反に問われなければ、別に構わないのだ。
結論的にいえば、小池氏は、公職選挙法違反に問われないように手だてをとったといえる。
しかし、本当の問題はそこにはない。実際に政治家として小池氏が優れた実績を積んでいて、今後も都知事としてしっかりとやってくれるような人物であれば、何も学歴などなくてもよいのだ。問題は、カイロ大学という、日本人にとっては極めて卒業が難しい(言語的にだけではなく、背景になる文化的・宗教的な教養の点でも)大学を卒業したというに相応しい実力があればよいのだ。少なくとも、カイロ大学卒業を、積極的に売りにしてのし上がってきたのだから、その実力があるかどうかは、重要なことだろう。
やはり読んでおく必要があると考え、石井氏の本を、昨日kindleで購入して読んでいる。まだ全部ではないが、半分くらいまでの叙述でも、小池氏が、着実に「実力」を磨きつつ、政治家として成長してきたとは思えないのである。
私は、大学で出欠をとるときに、自分で名簿にチェックをいれさせる。また、レポートの提出はほとんどが掲示板に書かせる。不正をしようと思えば簡単にできる。だが、人間は不正をして切り抜けることを一度すると、困難にぶつかったときに、かならず不正をしてなんとかしようとするようになってしまう。だから、欠席したら、正直に欠席とする、拙くても自分で書く、これが自分を大事にすることだ、と繰りかえす。
このような観点で石井氏の「女帝」を読むと、小池氏は、ごまかしで生きてきたということが、実に明瞭だ。書かれていることが、すべて本当だというわけではないにしても、メディアに出るようになり、政治家として活動するようになった時期は、記録が残っているので、かなりの部分は本当だろう。
政党での活動は、リーダーの下で、政策作成などの重要ではない担当をしていたから、なんとかやってきたが、都知事は、トップである。しかも東京は、小さな国家よりも大きな規模の人口や財政を抱えている。小池氏は、初めて真の実力を都知事になって試されたといえる。その結果は、私には、ほとんど評価できないが、都民の人には、ぜひ冷静に4年間を評価して投票してほしいものだ。
ただ、蛇足的に書いておくと、カイロ大学の学生と称していたとき、実際には、ほとんど勉強していなかったようだが、ただ親からまったく仕送りもない状態で、すべての費用をアルバイトなどで自分で稼いでいたという事実は、小池氏の生命力、活動力を示すもので、ここは率直に感動した。こういう面を、虚飾でなく活動に活かせば、もっともよい人生だったのではないかと思われるのだが。