9月入学は見送りになったので、9月入学を主張するためではなく、この問題をめぐって表れた有名人の主張について、あまりに酷いとと思われるので、コメントしておこうと思う。
まず6月3日付けのAERAdotであるが、「9月入学「首相肝いり」も迷走 賛成は現場を知らない政治家ばかり」と題する文章である。題名自体がいかにも不見識だが、内容はかつて「ミスター文部省」と言われた森脇研氏の発言を主体にしている。
文章は、ある自民党幹部という人の発言の紹介から始まる。安倍首相は最初やる気がなかったが、腹心の下村氏が熱心なので、選択肢のひとつと言い出した。しかし、文科省幹部から、法改正だけで30から40必要、国会議員の休みがなくなる、と言われ、自民党・公明党のチームも見送りを言い出したので、安倍首相も投げ出したという内容である。しかし、下村、稲田、小池氏らは、なおやる気だとする。
そこに寺脇氏のコメントが紹介される。
「だいたい、賛成してるのは、現場を知らない知事や政治家ばかりですよ。全国市長会と全国町村会では、いずれも『慎重・反対』が8割を占めた、と表明しているでしょう。結局、コロナで混乱する学校現場を知っている首長たちは、『そんなことやっている場合じゃない』とよくわかっているんですよ」
「目の前で起きている問題を放っておいて、9月入学で解決するから待て、なんていうのはまさに荘子の『轍鮒(てっぷ)の急(きゅう)』(危急が目前に迫る例え)です。コロナウイルスの感染は天災だが、学校現場への対応の遅れが及ぼす影響は、人災だと思っています」(寺脇氏)
寺脇氏は気が狂ったのかとさえ思うくらいだ。「賛成しているのは、現場を知らない知事や政治家たちばかりだ」といっているが、この記事には、次のような記事がはさまれているのだ。
「そもそも「9月入学」議論の発端は、4月初頭に高校生がつぶやいたツイートだった。
「このまま休校が続けば、高校生活は短くなってしまう。入学・進学を9月にして欧米とそろえてほしい」
この切実な訴えは反響を呼び、別の高校生らが署名活動を始めた。」
高校生の切実な訴えは、「現場を知らない者」の寝言だとでもいうのか。政治家や知事たちは、こうした声に促されたのではないのか。私自身は、ずっと以前から9月入学について書いているが、コロナ禍のなかで触れたのは、4月18日のブログだ。それ以後何度も書いたが、最初のきっかけは高校生の訴えではない。佐藤優氏のラジオでの発言である。高校生のことは、このあと知った。いずれにせよ、現場を知らない政治家だけが、9月入学を主張しているという、寺脇氏の発言は、現場を知る者に対する侮辱であろう。
更に、「目の前で起きている問題を放っておいて、9月入学で解決するから待て」などと、誰がいっているのか。私は、そういう9月入学論を読んだり聞いたりしたことがない。寺脇氏が勝手にでっちあげた暴論にすぎないのではないか。自分で明らかにおかしな論を作りあげて、それに反論するというのは、最も安直で、かつ最も卑劣な批判スタイルなのだ。9月入学にしたとしても、それまではできる限りの学習を行うのだ。当たり前のことではないか。しかし、非常事態宣言が終わって、学校が再開されたとしても、通常に戻るのは時間がかかるのだ。いまだって、分散登校をしている学校がほとんどだろう。それで、学力の遅れを取り戻せるのか。誰もが、不可能だと思っているはずである。9月入学は、9月から改めて新学年を始めるのだから、学力を取り戻すには、最もゆとりがあるのだ。しばらく分散登校で、やっと通常に戻るころには、夏になるが、夏休みや土曜日を返上して、しかも、内容をかなり間引いていくことが、「現場を知る者」の「充分な学力保障」の対策なのか。
それから、私学が反対しているからとこの記事は強調している。私学が反対する理由は、私にはよくわかる。私も3月まで私立大学にいたから。しかし、はっきりいうと、それは既得権死守という立場ではないのか。ほとんどの業種で自粛の影響で苦しんでいるのだから、私学はある程度身をきって、社会の貢献しながら、半年間耐える方法を探る姿勢があってもいいのではないだろうか。
森脇氏の見解は、結局、面倒なことはやりたくない、という改革否定の姿勢にしか見えない。
もうひとつ、ごく短く触れているだけだが、舛添要一氏のJBpressの「近づく長期政権の終焉、首相に引導を渡すのは誰か」(2020.6.6)のなかで、次のように書いている。
「このような世論調査の結果を総合すると、安倍退陣を前提として自民党内も動き始めているとみてよい。たとえば、9月入学は、コロナ対応の不備から国民の目をそらす目的もあって、官邸自らが打ち上げた花火のようなものであるが、結局は準備が整わないという理由で、安倍首相は撤回している。」
9月入学は、コロナ対応の不備から国民の目を逸らす目的もあって、官邸自らが打ち上げた花火のようなものにしか、舛添氏には見えないのか。政治家が最初に打ち上げたものではないことは、上記の通りだが、舛添氏は、まともに9月入学について考えたことはないのだろう。政治学者だから、あまり責められないが、時期的にはずいぶん前に辞めているとはいえ、先頭をきって自らやると宣言した東大で、かつて助教授をしていたとは皮肉なものだ。