教育学について考える2 自由と参加

 文科省が正式に、9月入学の見送りを決めたようだ。その流れは決まっていたようなものなので、特に驚かないが、日本教育学会の提言に対して感じたことと、同じような感じをもったことが、かつて一度あった。それは、学校選択制度に関することだった。
 私は、これまで何度か書いたように、1980年代にいじめによる自殺が多発したときに、教育制度として、このような悲劇をなくすことはできなくても、少なくするようなことは考えられないのかと考えて、学校選択制度に行き着いた。学校でのいじめに耐えられず、しかも、教職員がきちんと対応してくれないときには、容易に転校できるシステムであれば、自殺などしなくてすむし、また、学校を自由に選ぶことができれば、いじめ対策をきちんとしていない学校ではなく、何か問題には真剣に取り組んでいる学校を選べるわけだ。言いかげんにしていると、生徒が集まらないから、学校も真剣に取り組むだろうと考えたわけである。
 では、そういうシステムをもっている国はないのかと探したところ、オランダがまさしくそういう国だった。そこで、オランダの教育を調べることになったのだが、オランダでは、もちろんいじめは珍しくないが、いじめによって自殺するなどということは、まず起きないと、誰もがいう。家庭で親子が話し合う雰囲気が、日本よりはずっと強いということもあるが、やはり、学校を選んで入るために、信頼関係が強く、学校不信は極めて稀だ。不信感をもったら、他の学校に移ることになる。
 こうした学校選択を支えている社会的な制度はいろいろとあるが、もっとも重要なのは、国家が教育の細目を決めて、それに学校が従う義務があるという考えではなく、多様な教育の在り方を認めて、そうした学校を設立することを容易にしつつ、多様な学校のなかから、自分にあう学校を選択して学ぶのがよいのだ、という考えかたである。
 考えてみれば、これは「教育を受ける権利」を本当の意味で実現するためには、当たり前に必要なことといえる。国家が決めた教育しか受けることができないのだとしたら、それは権利ではなく、義務であるに過ぎない。国民は「教育を受ける権利」をもっているのであって、「教育を受ける義務」を課せられているのではないのだ。
 ところが、ずっと長いこと、というよりは、今でも、通学区を指定して、入学する学校を国家が決めることは、教育の機会均等を保障するために必要であるとか、あるいは、教育水準を保持することで、教育を受ける権利、教育の機会均等に反することはないのだと説明されてきた。それは、文科省だけではなく、日教組の立場にたつ教育学者でも、同じ立場だったし、その流れは今でも続いている。
 20世紀の末に、日本でも、東京の一部を中心に、学校選択を実現しようという動きが起き、教育学の世界では大きな論争となった。教育学者の多くは、学校選択に反対した。当然、一人一人その意識や理由は異なるだろう。だが、いくつかの共通点がある。
 反対した教育学者の最大の理由は、文部省や教育委員会が導入しようとした学校選択は、教育の多様性を認めて、多様な教育を選択させるためではなく、やはり、選択可能にして、学校間の競争を促すことを目的としていた点にある。その批判は、正当なものであり、私も競争を目的とした学校選択を支持するつもりはない。もっとも、最初に導入した品川区では、若月区長が、学校は特色をもつようにしろと促していた。しかし、その場合の学校の特色というのは、あくまでも学習指導要領を前提とした、国家的に統一された教育内容やスタイルを前提とした「特色」であって、オランダのように、多様な教育理念や方法を可能にするような特色ではなかった。現に存在している学校に、特色を出せといっても、無理な話だ。学校の特色というのは、設立時にしっかりと考えるものであるし、また、特色を本当に出すためには、学校にかなりの自由がなければならない。そのような自由を認めず、極めて限られたなかでの特色にしかならないし、結局は競争の結果として、後付けの特色になってしまう。
 したがって、品川のような学校選択論に、批判的になることは、自然なことであったともいえる。更に、大きな政治的な流れ、つまり、新自由主義という潮流のなかででてきた学校選択論であるから、そのネガティブな面を強調することは、教育学的には、自然なことであった。
 しかし、そうであったとしても、選択論は、教育を受ける側の意志を尊重するという側面がある。原理的に、選択論を否定すると、親や子どもは、学校の方針に基本的に従うべきものだという立場を押しつけることになる。「教育を受ける権利」ではなく、「教育を受ける義務」になってしまうのである。
 そこで、学校選択論を否定しながら、教育を受ける権利を重視する教育学者たちは、「参加」こそが必要だと主張した。選択ではなく、参加なのだというのだ。だが、これは、まったくリアリティのない議論だった。なぜなら、学校選択を実施していたオランダや、また、選択を支持する人たちで、参加を否定する人は、ほとんどいないからである。むしろ、学校選択が100%国家全体で実施されているオランダでは、参加制度も広範に取り入れられているし、それは、日本の参加論よりはるかに超えたレベルで実施されていたのである。つまり、中等学校以上は、生徒にも学校の運営に参加する権限がある。
 参加システムは、その後行政側によって、まるで生徒や保護者の意志を反映しない形で、実現していく。(学校評議員、学校運営協議会)「教育の自由」という概念が、支配層に絡め捕られたのは、1980年代の臨教審の議論の過程においてであり、「参加論」が絡め捕られたのが、この時期の学校選択をめぐる議論においてであった。

自由と参加の教育、教育学的意味
 「自由」と「参加」は、教育にとって本質的な概念であり、従って教育学にとっても同様である。
 「国民の教育権」論は、「教育の自由」を中心的な概念として位置づけていたはずであった。その代表的な論客が堀尾輝久氏手あった。しかし、堀尾氏も、臨教審のときの「教育の自由化」論に反対し、学校選択において、明確な反対派となっていた。その後、堀尾氏が「教育の自由」論の旗手になっているとは思えない。
 では、何故「国民の教育権」論が、自由や参加という概念を絡め捕られてしまったのか。
 そこに踏み込む前に、では、「自由」や「参加」は、教育と教育学にとって、どのような意味をもつのか、それを抑えておこう。このふたつは、目的概念であるとともに、方法概念でもある。このふたつを区別しつつ、両方をともに実現することが不可欠である。
 目的概念としての「自由」とは、ある分野の能力や技能、知識を獲得していくと、レベルが高くなるに従って、それらに対する拘束から解放されて、自由に能力や技能を発揮したり、知識を獲得できるようになる。そうした自由な水準に高まることを目指すのが、目的概念としての「自由」である。
 柔道の野村忠弘は、背負い投げが得意技とされるが、実は、どんな技でも瞬時の判断で繰り出すことができたという。従って、得意技はないというほうが的確な表現のようだ。相手がしかけてくる技を利用して、自分の技を繰り出す。これこそ、柔道でもっとも高度な力量であり、「自由の境地」であるといえる。ショパンのピアノ曲には、20個以上の装飾音符がつけられることがよくある。それは、自由なテンポで流れるように演奏されるのだが、これを自然な流れで弾くことは、とても難しいに違いない。自分の弾きたいイメージと、それを指に伝え、実現する筋肉運動が、完全に一致しなければならない。それが完全に一致したとき、ピアニストは自由を獲得したことになる。
 目的概念としての「参加」はどうか。参加とは、広くとれば、コミュニケーションであり、協力であり、主体的に活動を担うことである。人間は、社会的動物であり、孤立して生きることはできないのだから、組織、共同体等のなかで、主体的に参加していく必要がある。そうした資質を培っていくことが、教育の目的のひとつであるし、究極的には、「自由」と「参加」は統合された概念、あるいは同一の概念になっていく。
 新しい学級になったとき、直ぐにとけ込める人と、なかなか入っていけない人がいる。入っていけないことを否定することはできないだろうが、人間が人間らしく生きていくためには、自分が所属する集団のなかで、位置を占め、役割を担い、相互に認め合う関係が作られるほうが望ましいことは、自明であろう。無理に参加させることではなく、参加できるような資質を向上させていくという意味で、目的概念なのである。
 では、方法概念としての「自由」と「参加」とはどういうことなのか。
 現代の教育は、多様でなければならない。音楽家をめざす人、アスリート志願者、学問を志す者等々が、同じ教育を望むことはない。また、同じ内容を学ぶにしても、学び方も多様である。厳しいトレーニングを主体とする方法もあるし、自発性を重んじて、枠をはめない指導法もあるだろう。もちろん、人間として、国民として共通の資質や教養は必要となる。しかし、科学技術やスポーツ、芸術が多様になり、かつ水準が向上していけば、教育の対象や方法もまた多様になっていく。その多様性を保障するのが、「自由」である。どのような学校を設置するか、どのような教師を、どのような方法で選ぶか、どのような教育内容を重視していくか、そしてどのように教えるか。こういうことを、自由に決められるかどうかに応じて、目的を達成する可能性が変化する。自由が保障されるほど、効果は高くなるだろう。もちろん、自由であれば、間違う可能性も高くなる。しかし、長い目でみれば、不自由な教育は、学習者の向上の度合いを低下させることは、経験が示している。
 参加も同様である。あることを知識として習得するのと、実践的に学ぶのとでは、どちらが効果的か。参加とは、実践的に学ぶことを保障するという意味である。
 文部省(文科省)は、長く高校生の政治活動を禁止してきた。しかし、18歳で選挙権が認められるようになって、選挙権を高校生が行使することになった。政治活動を禁止しておいて、最も広範に行われる政治活動である「投票」を、適正に行えというのは、いかにも無理である。そこで、さすがの文科省も、政治活動の制限を緩和せざるをえなくなった。政治を、知識としてだけ学んでも、主権者国民として行動することはできないのである。
 以上、簡単に見たが、「自由」と「参加」は、絶対に対立概念ではなく、共に、目的概念として、また方法概念として、教育にとって本質的に重要な様相なのである。「自由」の概念を放棄してしまえば、「参加」を代りに主張しても、「参加」自体を放棄せざるをえなくなる。ふたつは車輪の両輪だからである。
 では、教育学者は、何故、この自由と参加という概念を、からめ捕られてしまったのだろうか。(以下に続く)

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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