文科省の道徳教材の中学を見ていったら、とても気乗りがしないような教材が並んでいる。いかにも「道徳教材」というきれいごとの文章で、こんな教材で教えたら、間違いなく特定の道徳的価値観の押しつけになってしまう。そう思いつつ読み進めていって、「二人の弟子」という教材は、なんとか取り組む意欲が湧きそうなので、今回はこの「二人の弟子」を扱う。
道徳教材には、歴史的な題材が少なくないが、多くが、時代やその背景を無視した文章になっている。おそらく、作者はいるのだろうが、それを教科書編集者が書き換えてしまうのだろう。道徳は時代的限定を受けない、普遍的な価値を教えるのだ、という立場もあるだろうが、時代が変われば道徳的価値が変化することも明らかなのだから、私自身は、やはり、教材である以上、その時代背景や事実を無視することは間違っていると思う。
二人の修行僧と上人が登場人物だが、宗教に関しては限定されていない。しかし、名称から推察するに、「西山寺」と書かれているのは、京都にある善峯寺のことであり、もうひとつの本山とのみ書かれているのが、比叡山延暦寺と解釈できる。(間違っているかも知れないが。)そして、時代的には、平安時代以降であれば、現代でもいいわけだが、文中に「白拍子」と出てくるので、平安から鎌倉時代にかけてということになる。
修行僧のうち、智行は名家の三男で、当時の慣習として、寺院での高僧を目指して修行しているのだろう。それに対して、道信は、先の戦で孤児となったと書かれているので、武士として生まれたのだろう。先の闘いとは何か。京都での闘いと考えれば、保元・平治・源平あたりだ。つまり、貴族社会から武士社会へ移行していく、激動の時代である。だから、価値観も大きく変化していく。智行は、そうした時代、社会の変化を全く意に介せず、僧としての修行に没入していて、そこの価値観にとらわれているが、その限りでの優れた人材である。
他方、道信は、武士に生まれながら、僧として修行をしているのは、自分の意思ではなく、上人に拾われてそうなっただけのことだ。おそらく、最初から、智行のような信念があったわけではないだろう。たまたま、智行のようなよきライバルがいたから、修行に励んでいた。
そして14歳になったときに、本山での修行に送り出される。付属の名門高校を卒業して、大学にいくようなものだ。
ところが、ある日、智行が道信に呼び出され、ある白拍子を忘れられなくなって、修行が無意味に思われてきたと相談される。それは一時の気の迷いだと説得するが、結局道信は出奔してしまう。そして、10年後、西山寺に戻って、智行のところに、ぼろをまとった道信がやってきて、再び修行したいと言う。
10年間の間に、修行に励む日々→白拍子に恋→道信出奔するが、「すぐに」白拍子に捨てられる→悪行の生活→結婚→2年後に妻病死→死のうとして登山、しかし雪の下に芽をだすフキノトウをみて、修行をやり直す決心→西山寺へ
道信はこういう、激しい変化と苦しい生活をしてきたことになる。この部分は、中学の道徳教育では深入りせず、流すところなのだろうが、私としては、ここは流せない。
・二人の修行僧は、付属高校の校長から推薦を受けた大事な学生で、もちろん、寮生活をしながら学んでいる。外出などは厳しく制限されている。そういうなかで、どうやって白拍子と知り合い、そこに転がり込むほど親しくなったのだろうか。学生といっても、15,6歳のはずである。生活力もないし、また名門の出でもない。実際の授業で、「白拍子ってなんですか?」と生徒に質問されたら、教師はどう答えるのだろうか。もちろん、白拍子は、高い芸能の技術と知識をもった高級娼婦のようなもので、望みは貴族や上級武士の妻妾の一人になることである。だから、道信のような修行僧と駆け落ちめいたことを、望むというのは、あまり考えられない。白拍子が拒絶しているのに、無理やり押しかけたのだろうか。いずれにせよ、結果は明らかである。
もちろん、若者だから無茶をするだろうが、そこを通り過ぎることはできるのか。
・まったく生活手段がない若者が、白拍子に捨てられて、どうやって生きたのか。盗みもやったということだが、そんな生活をしながら、結婚して所帯をもったというのも、その成り行きは想像しなければならない課題だろう。それこそ、道徳教育として、避けられない題材のように思われる。平安末期から鎌倉初期と考えれば、戦乱の続いた時代だから、当然成人男性は少ないはずで、農村などにいけば、主人のいなくなった家にはいることは可能だったとも考えられる。しかし、所帯をもった以上、妻が死んでも、生活基盤はあるはずで、悲しみから酒びたりになり、死のうと思うようになったという展開が書かれているが、これもまた、様々な立場から検討課題だろう。
ここからは、道徳教材としてなかなか興味深い展開がある。
再度修行をやり直したいという道信に対して強い反感をもつ智行、しかし、上人に取り次ぐ。上人が許すはずがないと思っているのだが、意外にも、上人は、道信に対して「お前も大事な弟子の一人だ」といって、許す。動揺した智行は、上人にその理由を尋ねると、「人間は誰でも自分に向き合わねばならない」と答える。そして、外を彷徨する智行は、白い百合の花をみて、ショックを受けるのである。
ここは、多数の論点が散りばめられているし、ここを中心に授業をすることになるだろうから、特に考察しない。ただ、一点教材に不満がある。やはり、許可を得た道信が、智行に、取り次いでくれたおかげで、許されたのだから、「ありがとう」とお礼を述べる場面が欲しかった。智行は、それに対してどのような対応をしただろうか。智行は、既存の修行する仏教をまったく疑わない優等生だ。だから、道信のような、一旦道を外れた者は、残る資格がないと考えている。しかし、上人がまったく違う判断をするので、ショックを受けてしまう。しかし、学校教育は、智行のような生き方を推奨しているのではないか。道信のような生き方を受け入れる学校は、あるだろうか。そういう学校のあり方を問うという点で、この教材は、かなり活用できると思われる。
太田先生、御無沙汰しております。
たまたま、「二人の弟子」を検索していたところ、先生のブログにたどり着きました。
道徳の教材の背景を考えること、今の学校教育に置き換えたらという視点、参考になりました。
私は今でも道徳の教材だけではなく、吹奏楽で扱う曲も背景を徹底的に調べたくなります。それは今考えてみると、先生の講義を受けた影響のように感じます。(今でも公民の授業で、安楽死を扱う際には、先生の講義で学んだことを活かしています。)
これからもお体に気をつけてお過ごしくださいね、またブログを見に来ます!