主にニューヨークの犯罪を扱ったドラマだから、当然黒人問題が様々な観点から関わっている。そのなかで、現在起きているアメリカの騒動を考える上で、Law & Order の第4シリーズ19回目を紹介したい。こちらの暴動は、今起きている状況より、ずっとおとなしいが。
二人の黒人の少年がバスケットのボールでドリブルをしながら、ハーレムの歩道を歩いている。後ろから知り合いと思われる黒人少年が走ってきて、ボールを奪い、しばらく進んであと、後方に大きく投げる。とられた一人が、ボールを追いかけ、車道に走り出て、丁度走ってきた車に轢かれて死亡する。轢いたのは、ユダヤ人のバーガーだったが、その場は逃げてしまう。そして、数時間後に弁護士を伴って自首する。
ドラマをみている者は、たぶん防ぎようがない事故だったろうということと、逃げたのは何故という疑問をもつ。ベーガーは「ハーレムで黒人を轢いて、無事にいられるか?」と逆に刑事たちに問いかける。不可抗力の事故だったので、自分から警察にやってきたのだという。検事も起訴すべき事案ではないと考えるが、そのままに不起訴にするのもどうかと、大陪審(起訴すべきかどうかを、市民の審議にかける場)にかける。結果は不起訴となる。
しかし、これに怒ったハーレムの黒人たちが、街で抗議行動を起こし、そのなかで、運転中の白人が引きずり出され、殺害され、夫人も怪我をする。側にいた黒人少年から名前を聞き出し、家で逮捕しようとするが、既に犯人のアイザックは逃亡している。祖母を同行して、場所を探ろうとするが白状しない。しかし、名前を告げた少年が、解放されたあと教会に電話するので、教会に匿われていると、警官が出向くが、黒人の牧師によって「教会は聖域である」と拒否される。判事の決断で逮捕状がだされ、犯人は捕まり、裁判にかけられるが、陪審員の結論が出ず、審理不能となる。再起訴されなければ無罪と同じ効果になる。
ドラマ進行に、多少首を傾げる部分もあるが、多くは考えさせる重いテーマがどんどん提示される。
轢かれた少年がボールを追いかけて、道路に飛び出すのは、その前に少年がボールを明らかにわざと奪い取って、しかも大きく後ろに投げ、そのボールを追いかけた結果だから、いたずらともいうべき行為をした少年に警官が事情を聞く場面があってもよさそうだが、全く無視されている。直ちに、そんな加害者を有利にするようなことは、述べるなという指示が黒人牧師からあったのだろうか。
また、科学捜査研究所が、ブレーキによるタイヤ痕から、スピードを出していなかったと結論し、それが不起訴の鍵になるのだが、あとで、時速80キロも出していたという黒人少年が、証人として警察にやってくる。警察側が、科学的検証で反論しても、自分たちを疑うのかと強行に主張する。こうしたことは、はっきりと暴動を扇動し、犯人を匿っている牧師に目を向かせる複線となっているようだ。
大きな問題として、暴動を避けるために、できるだ穏便に済まそうとする検事長のシフと、犯罪は罰するべきとする検事のストーンが一貫して対立する。事件の当初もそうであり、最後の場面でもけんか分かれのようになる。アメリカは周知のように司法取引が活発で、検察が、もっとも責任が重いと判断する容疑者を有罪に持ち込むために、関わりが軽いと判断した容疑者に、主犯に不利な証言をすれば、刑を軽くするという取引をもち出す。こういう場面が、Law & Order の一回分に必ず何度も出てくるのだ。それを活用して、殺害を実行したアイザックを聞き出すことになる。検事長のシフは、最初から黒人を刺激しないために、アイザックを逮捕しても、刑を軽くする司法取引を強く主張する。暴動を防ぎ、街全体の安全・平和を維持するほうが、犯罪者一人を厳しく罰するよりも重要だと考えるわけだ。ストーン検事には、それは偽りの平和だと感じられる。もちろん、ドラマとしてどちらかを支持しているような示唆はない。
次に虐げられた者の行為は、犯罪であっても彼らへの共感が必要だとするグリーン弁護士の議論である。Law & Order では、グリーン弁護士は、黒人が関わる事件では、頻繁に登場する女性の黒人弁護士で、差別糾弾の立場から、極めて激しい弁護活動をする。差別された者の生きざまを理解すれば、厳しく罰することは、彼ら全体のためにならないというが、ストーン検事は、甘やかすことこそ、彼らのためにならないといって、二人はずっと対立したままである。こうした対立は、少年の厳罰化とその反対論の構造と同じである。
グリーン弁護士は、集団ヒステリー論に立つ心理学者を証言にたたせ、集団ヒステリーが起きると、個人はそれに抗うことは不可能になり、そこで行われた犯罪の責任を問うことはできないと証言する。残念ながら、これに対するストーン検事の反対尋問はじっくり映されないので、問題提起だけのようになっている。アメリカ人の感覚では、弁護士はクライアントのみを考えて法廷戦術を考えにるべきというようなので、こうしたかなり奇想天外な議論が主張されるのだろう。そして、実際に、日本ではまず認められない論理が、採用されることもある。集団ヒステリー現象というのは、確かに存在するだろうし、そのなかにいると、その動向に逆らうことは、事実非常に困難だろう。しかし、それと、その動向にのって犯した罪が、免責されると考える日本人は少ないに違いない。しかし、この心理学者は、法学者ではないが、法的責任は問えないと断言する。
ただし、最後の犯人アイザックが、犯行時のことを覚えていることを、ストーンは引き出す。そこで、グリーン弁護士は、バーガーを証人として呼び出して、彼が差別主義だと罵るのだが、それは判事によって強く注意される。
展開からすれば、有罪判決が出そうなものだが、結局、先に書いたように、審理不能になってしまうわけだ。
黒人問題は、単純な議論では対応できない。ユダヤ人であるバーガーは、黒人に対する差別意識はもっていないというが、「何故その場で事故対応をせず逃げたのか」と問い詰められて、怖かったと答える。そして、一人歩いているときに、黒人の少年が二人で歩いてきたら、怖いと感じ、「ユダヤ人の少年は銃などをもっていない」という。そして、グリーン弁護士は、それこそが差別だと叫ぶ。
では、「怖い」と思うのは、差別感情なのだろうか。差別感情とは、通常弱い者に対する優越意識であり、多少乱暴なことを彼らに対して行っても許されるというような意識だろう。もちろん、怖いと感じるのは、犯罪者の可能性が高いという感じ方であり、だから取り締まれとつながっていく。そして、警官が、悪いことをした黒人は乱暴に扱ってもいいというのは、明らかに差別意識である。だが、裁判で「差別意識だ」と叫んだグリーン弁護士は、判事によって厳しく対応される。
今アメリカで起きている黒人暴動やデモが誰かに扇動されているかどうかは、諸説あるようだが、このドラマでは、明らかに黒人の牧師オットがあおっている。そして、犯人を教会で守っている。そして、それが完全に正しいやり方だという信念をもっている。しかし、騒動の渦中にいながら、冷静に殺害をした者に関する情報を、警察に提供する黒人も登場する。
そして、あくまで対立したままのシフ検事長とストーン検事だが、このシリーズの最後に検事をやめていくのである。(直接の要因は、この事件ではないが。)