アメリカは、日本とともに、先進国として死刑制度を残している例外的な国である。もっとも、多くの州は廃止しており、制度的に許容している場合でも、実際の死刑判決がほとんどでていないというところも多い。Law & Order は、ニューヨークを舞台としているが、1995年にパタキ知事によって再導入された。Law & Order は、第6シリーズにあたり、このシリーズでは死刑の話題がしばしば登場する。そして、実際に死刑判決がでるのが第3回で、死刑執行がなされるのが最後の第23回である。
ある死体が発見されるが、それは潜入捜査官クロフトだった。死刑が再導入された時期だったので、警官が殺害されたとあって、刑事たちは必ず犯人を捕まえると意気込み、検察は最初の死刑適用事例にしようと考える。結局、犯人は、表は社会的地位が高く裕福な公認会計士のサンディグであり、家族と幸せな生活を営んでいるが、裏では、麻薬王の一人の手下で、公認会計士としての地位を利用して、資金洗浄に協力していた。それをクロフトに嗅ぎつかれて殺害したのだった。
検察内部でも、死刑判決の求刑でそろっていたわけではなく、検事補のキンケードは明確に否定する意見を述べる。だが、検事のマッコイは、厳罰主義的であり、死刑を求めていくことになる。
ドラマでは、死刑の対象は、単に殺人罪というだけではなく、殺害の対象が限定されていることになっている。実際の法がそうなっていたかは、いくつかの文献を調べたのだが、わからなかった。とにかく、ここでは、警官や裁判の証人他、社会を守っている人たちを殺害した場合となっている。クロフトは潜入捜査官という警官であり、サンディグはそのことを知って殺害しているので、規定に当てはまることになる。しかし、それは、人間を職業や社会的属性で差別することになるのではないか、という疑問もドラマのなかでは語られる。もちろん、その職業が社会の安全を守るために危険をおかして務めている人たちだから、差別ではなく、必要な区別なのだという見解も述べられる。Law & Order のなかでは、裁判の証人として出廷することが、かなり緊迫感をともって進行することが多い。役員として雇った人物が、実はマフィアで、製品の欠陥を報告しようとした他の役員を殺害してしまうという事件では、殺害実行者が、マフィアの役員に事前に会社にやってきて、相談しているのだが、そのことを社長は知っていても、証言を頑なに拒む。何度も説得するが、命が惜しいというわけだ。結局、最後は覚悟を決めて証言するのだが、その帰りに殺害されてしまうのである。
ドラマでは、有罪判決が出され、その後量刑審査になるのだが、死刑求刑の場合には、再度陪審員の審議にかけられる。そして、全一致でのみ死刑判決が承認されるのだが、ドラマでは、有罪となったサンディグは、涙を流して、間違ったことをした、後悔していると情状酌量を願う。結局、死刑が相当という判断を陪審は下す。そして、裁判長が、一人一人、死刑判決に同意しているのかを確認するところまでやっていた。裁判官の多数決で決まる日本とは、かなり異なっているのだ。
この死刑に関する重さは、第6シリーズの最後の23話では、「重さ」だけがテーマとなっている。つまり、事件はまったく起きず、警察官や検事たちの一日が描かれる。
まず最初に、死刑執行場面がある。薬物の注入による執行だが、ガラス越しに検視をする人たちが座っている。これは、日本とまったく違うことだ。アメリカでは、公開ではないが、何人かの関係者(被害者関係者も含まれる)が立ち会うのは、以前からの慣習である。(日本では、執行担当者以外の立ち会いは検察官のみのようだ。)最初カーテンが閉まっているのだが、執行責任者が、開くかどうかを尋ね、死刑囚が開けろというので、カーテンが開かれ、見えるようになるという設定になっている。そこで、警察官のブリスコ、カーティス、検察のマッコイとキンケードが見ることになる。
ブリスコがいうように、死体はしょっちゅうみているが、実際に死にゆく場面を見たのは初めて、しかも、国家が殺害を実行する場面だから、みな非常なショックを受ける。4人はみな非番になっていて、執行後思い思いに過ごすのだが、普段とは全く違ってしまう。離婚後ずっとあわなかった娘と、久しぶりにあって話し込むブリスコだが、結局理解しあえるところにはいかない。マッコイは、普段は決していかないような場末のバーで何時間も飲み続け、厳格だった父のことを語り続ける。敬虔なカトリック教徒で、極めて道徳観念の強い若い警官のカーティスは、近づいてきた大学院生の女性に「ランチに誘われてあげる」と言われて、浮気をしてしまう。明確な死刑否定論者であるキンケードは、大学の法律学の講義に出かけて、恩師の教授とそのあと議論をする。この場面だけではわからないのだが、父親なのだろうか。教授は死刑賛成の立場なので、そのあと彼女は警察にいき、警部のビューレンと話し込む。帰宅したビューレンは、母親に手紙を書いて、犯人は死刑で当然だという内容だが、夫に嘘をついていいのかとたしなめられてしまう。
娘と分かれたブリスコは、マッコイがいるバーにやってくる。酔ったマッコイを送ろうとするが、タクシーで帰り、しばらく遊んでいるところに、キンケードがやってきて、彼女が運転して、これも酔ったブリスコを送ることになる。しかし、その途中で、話し込んで注意が削がれたところで車に衝突され、キンケードは死んでしまうという結末になる。
この一日に描かれた主人公たちの行動は、普段とはまったく異なるもので、それはリアルな死刑をみたショックの大きさを表現している。Law & Order というドラマが全体として、主人公たちの私生活や生い立ちはほとんど問題にしないのだが、この回に限っては、私生活や生い立ちばかりで構成されている。
死刑廃止論のひとつに、執行する人間に対する「非人間的なことの強制」を理由にあげるものがある。現代の国家が行う死刑では、かならず執行ボタンを複数の担当者が押すことになっている。だれのボタンによって死なせたかがわからないようにするためだ。それは、死刑執行官の精神的負担が極めて大きいという理由からである。
実際に犯人を捕まえる警官や、死刑を要求する検察官にしても、実際に死刑を目の当たりにみれば、極めて大きな精神的負担になることを示しているドラマといえる。
ただ気になるのは、死刑否定論だったキンケードが事故死してしまう点だ。もちろん、これは、キンケード役が、ドラマを降りるからだが、途中退職しようと思うと漏らすことにつなげて、やはり、自分は人を死刑にする仕事には耐えられないといって、去っていく筋立ても可能だったはずだ。番組として、死刑を肯定する立場を強くだそうとしたのだろうか。