教育行政機関の不甲斐なさ オンライン授業がなぜうまくいかないか

 関東近県でも、休校措置が解かれることになっているところが出てきた。5月中は休校だという前提で動いていたようだが、急に事情が変わったということもあって、現場はかなりてんてこ舞いのようだ。そういうなかで、いわゆる「足並み論」が強固なせいか、学校や地域の自主的な行動を制約し、混乱を生んでいるという声をきく。21世紀の教育は、子どもたちの自ら行動できる能力の向上が、極めて重要であるのに、それを指導する立場の人たちが、自発的な行動を阻害し、かといって、優れた統一的な指針をだすことで、全体的な効率をあげているのではなく、現場をとまどわせているというのでは、何をか況んやである。これは、必ずしも、現在のような緊急事態だからそうなっているのではなく、平素のやり方が、「足並み論」であり、「上からの指示で動け」というものだからだ。今回の騒動で、もっとも欠陥が露になったのは、オンライン教育に関してだと思うが、これは、普段のIT教育のあり方から、ごく自然におきた混乱であるにすぎない。こうした間違ったやり方を、まずは上から改めなければ、今後の日本の教育は、まことに心配である。
 ではどういうことか。
 普段のIT教育について考えてみよう。
 私は、学校でパソコンの教育を受けたことはないが、現在の40歳以下の年代なら、ほぼ受けたことがあるだろう。そして、その教育とは、ほとんどが、週1程度、パソコン教室で基礎的なことを教わって、実際にやってみる。普段は教室は鍵がかかっていて、自由に使うことはできない。おそらく、ある程度の数のパソコンが、自由に使えるようになっていて、自分のやりたいことができるのは、大学にはいってからではないだろうか。少なくとも、私が学生たちに聞いたところでは、例外はなかった。
 他方、私が1992年にオランダに海外研修にいき、娘を現地の公立小学校にいれたときには、オランダの小学校はみな本当に小さいのだが、そのホールみたいなところに、パソコンが2台置いてあって、子どもは自由に触ることができた。しかも、インターネットにつながっていたのである。1992年といえば、国際的に、インターネットの商業利用が可能になった年だから、すぐに学校でも可能にしたということだろう。驚いたのは、子どもが勝手に使うことができた点である。
 この差は極めて大きい。
 また、2,3年前だったか、ある中高一貫の学校の紹介をしているときに、今はAIの第一人者の一人となっている卒業生の、在校生時代のことを紹介する場面があった。驚くべきことに、彼は、中学生のあるときから、高3の12月まで、授業中ずっとパソコンをいじっていたというのである。そして、先生たちは、それを気にはしていたろうが、彼のことだから仕方ないと放置していたという。
 こうしたことを考えるまでもなく、コンピューターに関わる能力、技術は、極めて高度な専門的なものから、既成のハードとソフトを使って仕事をするレベルまで、多様で幅がある。したがって、共通のことを教えることは必要であるが、それ以外は、自由にやりたいことを、制約なしにやらせることが大事なのである。しかも、コンピューター分野は、大人の世代よりも、若い世代が絶対的に柔軟に対応できる分野であり、大人が「やることを厳格に決める」などということを、絶対にしてはならないのだ。そこが、基本的な学科とは、まったく異なる点である。しかし、週1だけ教室をあけて、基本を教えて終わりなどという体制をずっと維持してきた教育行政当局は、今回のオンライン教育が必要となったときに、まったく充分な対応がとれなかった。いや、かなり不十分な対応すら、ほとんどの地域でとれなかったといえる。しかも、この後に及んでも、やってはいけない体制をとり、さまざまな制限を課していた。
 私が現場の人間であれば、まずは、line、zoomなどを使って、日常的に連絡をとり、学習の具合や質問などを確認して、双方向のコミュニケーションをとるだろう。もし、校長であれば、そうしたネット環境にない子どもだけは、学校に登校許可して、直接、短時間の指導を行うように仕向けるだろう。また、子どもたちのネット環境がよければ、在宅勤務であっても、zoomなどをつかって、家で授業を行うだろう。それが、実際の授業としてカウントされるかどうかは、まったく気にしない。大事なことは、子どもたちの学習を援助することだからである。
 しかし、行政は、そうしたことを「禁止」している、あるいは、禁止されていると、教職員たちは思っている、だから何もできない、そういう事態が進行しているのである。これは、教育の危機というべきではないのだろうか。
 大事なことは、とにかく、現場を信頼することだろう。何も、教育委員会が統一的な授業映像など作らなくてもいいのだ。もちろん、作りたければ作ればいいが、それ以外のことを教師がやることを禁じるのではなく、これは参考だから、教師一人一人が創意工夫して、いいものをどんどん作ってほしい、あるいは、どんどん子どもたちとコミュニケーションしてほしい、と奨励すべきなのだ。そうすることに、どんな不都合があるというのだろう。
 政府の後手後手も情けないが、教育行政当局の制限主義も、本当に日本の教育をだめにしている。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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