検察庁法改正に問題を感じない人がいるのに驚き

 国家公務員法と検察庁法の改正案に関して、youtubeなどをざっと見ていると、何が問題なのか、騒ぎすぎだなどと語っているのが多い。例えば、高橋洋一氏は、これはずっと前から段階的に定年を延長してきたものの一環であって、新しい動きではまったくないし、また、日本は公務員を政治的に選出することがまったくない、世界的にも稀な国なのだ、などと述べて、反対している人を揶揄するかのような発言をしている。しかし、単純に年金開始年齢にあわせるための、段階的な定年延長の法案でないことは、まともに今年の政治状況をみていれば、誰にも明らかである。それに、定年を延長することについて反対しているわけでもない。もちろん、高橋氏だってわかっているのだろう。もし、これまでの延長上の一環としての定年延長法案であれば、特別条項などはいらないはずである。検察庁法に、特別条項などないのであって、これは完全に新設である。これまでなかったから、黒川問題が起きたわけだ。今後、黒川氏のように、政府に都合のいい人物を、特別扱いしても、「違法」ではないようにしておこうという意図が見え見えではないか。だから、国民の多くが反対しているし、検察の人たちも多くが反対していると報道されている。
 それから、日本では、公務員の人事を政治で左右することがない、などと断言しているが、とんでもないことだ。確かに、アメリカのように、政権が変わると、公務員の上級部分がそっくり変わるというようなシステムにはなっていない。あくまでも、官庁の内部で昇格していくわけだ。しかし、同期のなかで誰が出世階段を昇るかというのは、有力政治家との結びつきが大きく影響することは、これまで数えきれないほどに指摘されてきたのではないか。結婚による閨閥づくりと、政権との関わりで、権力との結びつきを強めた官僚が、事務次官レースに勝ち残ることが多いとされるのは、否定しようがないではないか。黒川問題は、それが極端に、また露骨に表れているにすぎない。
 今回のツイッターを使った反対運動は、これまでの日本の運動とは異なって、多くの芸能人が参加していることが注目されている。芸能人は政治的な発言をするなという雰囲気が日本では多いが、私は芸能人であっても、また、スポーツ選手であっても、しっかりした政治的識見をもつべきであると思うし、必要ならば、それを堂々と表明すべきであると思う。何も言わないことは、結局、悪政を許すことになる。逆にいえば、これまで政治的表明をすべきではないと、言われてきた社会的風潮のなかで、これだけ目立って芸能人が意見表明をしているのは、あまりに「酷い法案」であるからだというべきだろう。黒川氏の定年延長のときもそうだったが、今回も、担当大臣が、シドロモドロの答弁しかできないことが、その酷さを更に鮮明にしていた。これは大臣の資質であるというよりは、法案そのものの欠陥であろう。
 なお、高橋氏は、黒川氏が検事総長になることはないだろうと、予言していたが、その点については、私も同意見だ。なるべきではないということもあるが、むしろ、これまでの安倍内閣のあまりに露骨なやり方が、逆に、黒川氏の検事総長の芽を摘んだと考える。もともと、定年で辞めてしまうはずだったのだから、むしろさらし者にしてしまったのではないだろうか。安倍首相は、起用したいかも知れないが、人事交代のときに、むしろ首相ではない可能性が高い。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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