学校というのは、地域の重要な施設であると同時に、迷惑施設ととらえられる場合もある。学校は様々な面で地域に貢献しているから、そうした恩恵を感じている人にとっては、なくてはならないものだろうが、特に高齢者になって、学校とは関係なくなった人にとって、子どもや学生が地域で粗暴な振る舞いをしたり、あるいは、小中学校などは校内放送が外にも聞こえてうるさい場合がある。吹奏楽が熱心に練習している場合には、特に騒音と受け取られることも少なくない。
私の大学も、決して地域住民のモラルに比較して、問題があるとも思えないのだが、地域住民から、クレームが来たりする。しかし、
朝日新聞2020.3.25に、「東洋大が群馬・板倉から移転 多額の支援した地元は反発」という記事がでている。
東洋大学は、東京が中心だが、埼玉にもキャンパスがあり、群馬のキャンパスが、都内や埼玉に移転するという記事だ。群馬板倉キャンパスは、記事によると1997年4月開設という。
比較的名前の通った大学は、1970年代、80年代に、続々と郊外にキャンパスを移転させたり、新キャンパスを設立した。大学進学率の上昇にともなって、規模を拡大するために、新たな施設が求められたわけだ。しかし、少子化が進み、大学全入時代に突入すると、都心回帰の傾向もでてきた。私が住む近所にある大学も、2,3年前に東京キャンパスに撤退し、今は学生がまったくいない。非常にきれいな校舎群が、ほとんど使われていないのではなかろうか。おそらく、今回の東洋大の措置も都会回帰の一環だろう。逆に、東京には、回帰した大学や、新キャンパスを設ける大学が多数存在する。
そもそも、大学がその地域にあることは、どのような得失があるのだろうか。確かに、大学を誘致しようとする地域は少なくない。大学には、小中高よりはるかに広い敷地が必要なので、「誘致」は有り難い。誘致される限り、様々な援助がある。東洋大学の板倉キャンパスの設置に関しても、県と板倉町がそれぞれ10億円、県企業局が24億円を支援したという。渡良瀬遊水池の開発事業の中心的なものだったそうだ。
学部は、生命科学部と食環境科学部のふたつ、そしてその上に大学院があり、1900名の学生と80名の教職員という構成。ひとつのキャンパスとしては、小規模なものだろう。東洋大学のホームページによれば、他にも、川越キャンパスの「理工学部生体医工学科」も朝霞キャンパスに移転ということなので、かなり大がかりなキャンパス移動になるのだろう。
さて、不満を述べている山本県知事は、「産学官連携による協同研究を実施」して、地元としても協力してきたし、東京一極集中の是正や地方創生の国の方針に反すると不満を述べているそうだ。地元が期待する第一のものは、大学の研究を地元の経済の活性化につなげたいということだったのだろう。特に理工系の大学であれば、地元はこうした利点を期待して誘致すると思われる。そして、大学としても、地元の支援(特に土地の提供は大きいように思われる。)によって、充実した教育を行ってきたとホームページに書かれている。「①グローバル人材の育成、②充実した設備による実験・研究指導、③「分析技術講習」「農業体験」などの課外体験教育、④資格取得支援などに力を入れています。」ということだ。
文系の学部の場合には、教養講座的なものを開く、学校教育への可能な協力などがあるが、他には、学生が生活することに関連する、アパートやサービス業などの利点があるのだろう。大学設置による地元雇用の創出という側面は、あまり期待できないと思われる。
他方、学生はともするとはめを外す行為が多いから、騒音や迷惑行為などの被害を訴える住民も少なくない。
東洋大学のように、地方のキャンパスを東京や近郊に移す動向も、特に、少子化による大学経営が厳しくなるにつれて、活発になってきたのは、学生の応募に影響するからである。大学も経営体である以上、中心的な「商品」である学生が応募してくれないことには、成立しない。そして、学生は、純然たる地元か、あるいは東京のような大都市に志望をもつ。ある大学が、東京にキャンパスがあるわけでもないのに、それまでの名前の上に「東京」と冠したら、途端に受験生が激増したという話が実際にある。しかも、JRの路線の拡大によって、それまではとても通学できなかった首都圏でも、東京に通学できるようになり、この東京集中はますます強まっている。
キャンパスがいくつもに分かれていることは、大学の運営に大きな負担となる。純粋に専門科目だけで構成されているならば、教育的には、キャンパスがわかれていても、大きな負担の増大はないが、教養科目なども存在するから、その分は、別々に置かねばならない。キャンパスがまとまれば、教養科目などは、4クラス必要だった授業が2クラスで済むようになる。また、事務職員は、キャンパスごとに仕事をするから、必要人員が多くならざるをえない。つまり、複数キャンパスは、可能ならばまとめるほうが、絶対的に経済的負担が軽くなる。そして、東京や近郊にキャンパスがあれば、そこに集約することによって、学生募集にも大きな効果がある。従って、地方にあるキャンパスを東京に集中させようという大学は、これからも出てくるだろう。
確かに、山本知事のいうように、地方創生に反する。そして、大学としては、その地域に多大の援助を受けている場合がほとんどだろう。当初の約束を裏切ることになる。以前、平安女学院が、滋賀県の守屋にキャンパスを設置して、多大の援助を自治体から得ていたのに、数年でキャンパスを放棄して、大阪に移転してしまったという、かなり酷い事例があった。それに比べれば、東洋大学はまだ20年以上活動したことになるので、ましだろうが、それでも、批判は免れないと思われる。
では、大学としては、どうすればいいのだろうか。この3月まで大学に籍をおいていた身ととしては、東京やその近郊に移転可能であれば、そうせざるをえない事情はわかる。しかし、地元がこまるのも間違いないだろう。とすれば、やはり、跡地をどのように活用し、そこで大学としてできる貢献をする具体的な道を探ることしかないだろう。記事では、その事情まではわからないし、今後も追っていきたい。