入試の出題ミスの対応について

  人間のやることには、必ずミスがありうる。入試問題の作成も例外ではない。センター試験などは、かなりの期間をかけて、何重にもチェックをしているようだが、それでも出題ミスがある。そうした場合、報道を見る限り、ほとんどの場合、その問題は全員に点を与えるという措置がとられるようだ。しかし、それは、正しい対応なのだろうか。もちろん、それ以外の対応は、ほとんど大きなクレームが寄せられるだろうから、クレームのない方法として、全員加点以外ないということは、私にもわかる。しかし、それでも納得できないものがある。
 こういうことがあった。あまり知られていない試験だが、小学校教員免許の認定試験というのがある。小学校免許を取得するコースは、あまり大学に設置されていないので、とらずに卒業してしまったひとたちが、社会に出たあと、やはり小学校の教師になりたいという人のために、一発試験で、合格者に二種免許をあたえる試験である。
 当時、私はこの試験を受験する学生と一緒に、勉強会をしていたのだが、ある学生が受験した科目に、出題ミスがあった。その学生は、その問題をさんざん考え、ずいぶん時間を使ったのだそうだ。出題ミスで正しい答えがないのだから、いくら考えてもわからないわけだ。しかし、納得のいく答えが見つからないということは、実は、よく理解している証拠である。もし、あまり学力のない受験生であれば、直ぐに諦めて、他の問題に時間を使うだろう。しかし、その学生は、その問題に拘ってしまったために、他の問題に費やす時間が少なくなってしまったことと、他の科目の受験のときにも、どうも気になってしかたなかったらしい。自己計算で一点不足で不合格になってしまったわけだ。その試験は資格試験なので、基準点を越えれば合格であり、不足点数がわかる。その学生が優秀であった証拠は、当時かなり難しいとされた県の教員採用試験には合格したのである。しかし、その認定試験が不合格になったために、採用試験の合格も取り消しになってしまった。おそらく、出題ミスがなければ、他の問題も充分に回答できたはずであるし、数点はあがったろうから、合格できたに違いない。もちろん、その学生も「全員加点」の恩恵に浴したことにかわりはないのだが、しかし、出題ミスは、こうした影響もあるのだ。
 ところで、選択式の問題に関しては、出題ミスを絶対的に防ぐことができるのだから、なぜ、そうした方式を採用しないのか、私には理解不能である。それは、受験関係者なら、誰だって知っていることだ。それは、問題の選択に関して、「正解答はひとつに限らない」という注記をいれておくことと、各問題の選択肢に、「正答はない」という選択肢をいれることだ。このふたつがともに設定されていれば、あらゆる出題ミスが、ミスでなくなる。出題ミスというのは、「選択肢のなかに正解がない」か、「選択肢のひとつだけが正答だと設定していたが、実は、他の選択肢も正解と考えうる」ということの以外には存在しない。もちろん、最初は(ア)が正解だと設定していたが、よくよく考えてみたら、(イ)が正解だったというのは、出題ミスではあっても、正解答をかえればいいだけのことだから、採点上の不公平さは生じない。つまり出題ミスと考える必要はない。
 出題ミスがあったら、全員に加点というのが、公正な対処法であるならば、それでいいのだろうが、上記事例でわかるように、ミス問題への関わりが、受験生の間でかなり違うのだから、全員一律の対応が公正とはいえないのだ。ただし、受験生に応じた異なる処置などは、有り得ないのも事実だから、全員一律しか方法はないし、全員0点だったら受験生は怒るだろうから、全員加点にせざるをえないわけだ。しかし、だからそうすれば問題ないといったら、まったく無責任だろう。適切な対処法があるのだから。
 なぜ、誰でもわかる適切な対処法を採用しなかったのか。
 私には、よくわからないが、想像するに、
・出題ミスは相当にチェックしているし、ないはずであるという前提でやってきた。
・「正解なし」を選択肢にいれると、著しく正答率が下がり、難易度があがってしまうので、さけてきた。
・そうした選択肢にすると、いかにも出題者の自信のなさが表れてしまのでさけたい。
 いろいろあるのだろうが、実は、「正解なし」をいれると、本当に理解していないと正解がだせない確率が高くなるから、受験勉強のレベルをあげなければならない、逆にいえば、あげさせる作用を果たすことになるという点で、非常にいいことなのだ。
 共通テストになることの変化として、「正解なし」をいれることになるそうだが、それはぜひやるべきである。共通テストが、センター試験と何がかわるのか、ということがあいまいになっているが、形はどうあれ、この点の改訂は必要である。全員加点などという安易な方法で処理してほしくない。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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