芸術に対する公的補助

 「芸術に公金、広がる波紋=市劇場専属の舞踊団―首長交代で一時存続危機・新潟」という時事通信の記事がでている。(2020.1.19)公共劇場の専属舞踊団Noismへの補助金の打ち切りが検討されているというものだ。一端打ち切りの方向になったようだが、条件付きの活動の継続7が決まっている。それは当面のことで、今後はどうなるかわからない。
 Noismは、2004年に公共劇場「りゅーとぴあ」の専属舞踊団とてり、13人のダンサーを抱え、生活費と練習場所が保障されている。前市長の意向だったようだが、市長が変わることで、状況が変わったということだ。日本ではよくあることで、私が所属している市民オケにおいても、まったく規模が違うが、市長交代で状況変化が起きるという経験をしている。
 地域貢献をすることで、22年8月までの継続が決まったということだが、おそらく、継続はかなり難しいのではないだろうか。記事には、次のような説明が付されている。
 「公共劇場の専属芸術集団は欧米では一般的だが、日本では「多大な予算が掛かる」と敬遠され、ほとんど例がない。
 新潟国際情報大の越智敏夫教授(政治学)は「文化事業は価値を数字で測りにくく、予算削減の対象になりやすい。一回やめると復活は難しい」と話し、行政による文化・芸術活動の支援の難しさを訴えた。」
 芸術活動に対する公的補助の問題は、愛知トリエンナーレでも大きな対立を生んだが、非常に難しい論点を多く含んでいる。
 まず、欧米では、公共劇場に専属芸術集団が属しているのが一般的だと書かれているが、私はそうは思わない。少なくとも、アメリカはそうではない。公共劇場の意味にもかかわるが、アメリカの主要な劇場は、基本的には民間の運営ではないだろうか。アメリカの主要オーケストラは、確かに、専門的に使うホールがあるが、オケもホールも民間だから、専属というよりは、契約関係のように思われる。巨人軍と東京ドームのような関係だ。
 ドイツには、大きな都市には、たいてい歌劇場があって、そこにオーケストラと合唱団、バレエ団が専属していることが多い。演劇も同様だという。そうした団体にとっては、極めて活動しやすい環境だ。しかし、ヨーロッパでも他の国が、ドイツと同じ状況とはいえないように思う。それぞれの国で、重視される芸術には差があるからだ。オランダのアムステルダムにあるオペラ劇場は、比較的新しいものだが、専属のオーケストラはない。既存のオケと演目ごとに契約する方式だ。日本の新国立劇場がオペラ劇場としてできたとき、オーケストラをどうするか、大分議論になり、音楽関係者は、オケのない歌劇場なんていかさまだとかなり怒っていたが、結局、オランダのように、既存のオケとの契約になった。ただし、合唱団とバレエ団はあるが、契約条件は厳しいようだ。
 日本には確かに、国立、都道府県率、市立の文化会館が多数ある。しかし、日本の文化会館は、ほとんどが多目的ホールである。様々な音楽のジャンルで演奏会があり、舞踊もあるし、演劇もやる。そして、様々な集会にも利用されるのが普通だ。政党、宗教団体、経済団体なども利用する。だから、そこに専属の芸術集団を抱えるという発想そのものがないわけだ。むしろ、愛知トリエンナーレで問題になった、美術分野のほうが、むしろ美術館という目的にそった施設がある点で、例外的である。
 芸術・芸能に携わるひとたちは、プロであれば、その活動によって生活をしていくのが、望ましいのは当然だが、本来の活動によって生活が可能になる分野は、限られているかも知れない。バレエ、劇団などは、多くがアルバイトで生活しているのではないだろうか。
 更に、芸術・芸能には、活動によって得られる収入で、経済的に自立できる分野(もちろん、人気があればということだが)と、まず自立不可能な分野がある。自立できる分野の代表は、人気アーティストの行うポピュラー系の音楽だろう。万単位の聴衆を集める一方、莫大なコストがかかるわけでもないはずである。
 自立不可能といえる代表は、クラシック音楽のオーケストラだろう。ここで数字をだすことはしないが、練習日数と演奏会数、演奏会と練習会場にかかる会場費用、満員になったとして入る入場料収入、団員、および指揮者、運営スタッフの人件費を計算すれば、絶対に入場料収入で賄うことはできない。満員になったとしても、かなり大きな赤字がでるはずである。
 だから、オーケストラには、外的な補助が必要である。アメリカのように、裕福なひとたちや企業が寄付をして支えることが可能になっている場合以外には、公的な補助が必要という主張になる。しかし、それが国民的なコンセンサスになるかどうかは、かなり疑問である。愛知トリエンナーレでは、芸術の補助と政治性との関連が問われたといえるが、むしろ、大きな問題は、公的補助を、どの分野にどの程度行うのか、という選択である。ドイツでは歌劇場や演劇場には専属専門家がいて、生活が保障されているといっても、それはドイツにおけるそうした文化が、市民のなかに根付いて、市民が日常的に愉しむことで、そうした公費支出が容認されているからだろう。
 しかし、日本では、伝統文化だけではなく、欧米から流入した芸術・芸能分野がたくさんある。どの芸術に補助するのか、補助する予算が潤沢にあれば、申請すべてに対応することができるかも知れないが、ひとつの舞踊団すら抱えることができないのだから、多くの団体に補助することは無理であり、選択が必要となるか、あるいは、あまり実効性のない金額の補助になってしまうだろう。
 正直なところ、私には名案がない。芸術に公的補助をという主張には、ずっとあまり共感することができないできている。それは、私の好きなオペラは、どう考えても、補助金の対象になりにくいし、なっても金額はわずかだろう。ドイツはかなり恵まれているほうだが、ヨーロッパでは、多い少ないの差はあるが、公的支援がオペラ劇場に対してなされている。しかし、日本でそのような市民のコンセンサスにはなりそうもない。しかも、オペラは最もお金のかかる芸術なのだ。
 まず基本的には、芸術といえども、国費に依存して発展するものではないと考える。芸に対しては、観衆は対価を払う。チケット代ではとうてい賄えないとしても、録音・録画などでの収入も可能な社会になっている。CDやDVDとして販売できなくても、有料のyoutubeなどのネット配信などで費用をある程度回収することは可能だろう。
 そして、アメリカのように、芸術に対する寄付を、税の控除とするシステムを、もっと普及させるべきだろう。スポーツについては、チームをもつ企業はまだある。だから、芸術団体をもつ企業があってもいいし、また、そこまでではなくとも、芸術団体に恒常的な援助をする企業が、社会的に評価されるようになる雰囲気づくりが必要だろう。芸術団体が地域貢献することも、そうした雰囲気づくりに大切だ。オーケストラが生の演奏を子どもたちに聴かせる等の活動など。
 もちろん、こうしたことは、私が若いころに比べれば、格段に進歩している。
 だが、現在の学校教育をみると、あまりにも「体育会系」が支配的であり、もっと「芸術系」が重視されるべきだ。
 どうも煮え切らない文章になっているが、継続的に考えていきたい。国会でも議論されているし、地方レベルでは、東京と異なる状況がある。文化の地域格差をどうするかということも、重要だ。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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