大分合同新聞が、夕刊を廃止するという記事があった。(読売2020.1.14)廃止の理由は、人件費や原材料費の上昇、配達員の確保が難しくなってきたということをあげているそうだ。月極め料金を3565円から3500円にして、ビジネス、教育などをテーマにしたハーフサイズ版を週4回、朝刊に折り込むかたらで発行するという。大分合同新聞というのは、知らなかったが、インターネットでも部分的には読めるようだ。
私は、常々、日本の新聞が朝刊と夕刊を毎日(最近は休日もあるが)出し、しかも、地域版があり、一日のうちに版を変えていくというシステムに、疑問を感じている。朝か夕に一回出し、しかも、版の変更などすることはないと思うのだ。今は、ネットで新聞記事を読むことが普通になっており、新しい記事はネットで流していけばいい。
長年の慣習なので変えることは難しいのだろうが、変えることによるメリットはたくさんあると思う。
まず、現在のような一日2回、多数の版をだすことの問題は何か。
それは、記事の内容が浅くなるという点である。上記のような方式で毎日新聞を出していれば、一日に15,6回紙面を作成することになる。もちろん、必要な記事を入れ換えていくだけだから、それだけの紙面を新たにつくるわけではないが、それでも、どんどん内容を変えていくわけだから、政治、経済、社会の大きなできごとの分析は、短時間にしなければならない。そもそも、紙面による新聞は、記事の即効性においては、テレビやインターネットには絶対に太刀打ちできない。事件を早く知りたいと思う人は、テレビをつけるか、ネットで検索するだろう。そういうなかで、新聞の役割は、月刊誌や週刊誌のようなテンポより早く、しかし、必要な情報を集めた上での分析が出ているというレベルで充実していく必要がある。そのためには、ニュース記事は必要だろうが、新聞としての存在価値は、解説になっていくのではないかと思うのだ。
上記のような作り方は、当然人手もたくさん必要である。記事を書く人、編集する人、オペレーターなど、常に働いていることになる。しかし、一日一回になれば、相当な労働の削減になることは明らかだ。もちろん、毎日2回発行すれば、紙の新聞は毎日2回配達しなければならない。配達員の確保が大変なことは、大分合同新聞に限らないだろう。以前は、新聞社ごとに配達網が区分されていたが、今やいくつかの新聞社は、合同の配達システムをとっている。それだけ人手が足りないということだ。今の日本社会において、たくさんの人手が必要な職種は、もし合理化することで、不要にできるなら、どんどんすればいいのだ。もちろん、全廃することはないだろうが。
では、一日一回、しかも、版の改新などをやらなければどうなるのか。
それは、紙面の新聞は、読んでためになる記事を中心にできるということだ。昔であれば、新聞でニュース、つまり、新しいできごとを知るものだったが、今やは、そんなことを期待している人はほとんどいないに違いない。最新のできごとを知るためには、テレビ、ネットになっているのだから、新聞に存在価値があるとすれば、どんどん新しく起こっている事態が、どのような背景をもち、どのような結果をもたらすのか、そして、どのような意味があるのか、という深い分析を提供することだと思うのだ。
あたらしいできごとの報道については、通信社の配信に頼ったり、あるいは、市民の情報提供を活用したりすれば、現有の記者をかなり減らしても、充分にネットでの配信は可能ではないかと思う。