伊東 乾氏がJBpressに『「単位あげない」殺人未遂事件を起こした甘えの構造』という文章を書いている。(https://www.msn.com/ja-jp/news/national/「単位あげない」殺人未遂事件を起こした甘えの構造/ar-BBYSST0?ocid=spartandhp)
この時期の大学は、成績認定や大学入試など、一年で最も忙しい時期であり、成績処理などもコンピュータ化されて、個々の状況で操作できるものでもなく、教師が締め切りに間に合わなければ単位を出さないというのは、当たり前のことで、学生のとんでもない甘えであるという趣旨の文章である。
私は、この事件があった日に、まったく反対の趣旨の文章を書いたし、この文は見過ごすことができないので、再論する。当日は、刺した原因がわからなかったが、その後、レポートの締め切りに遅れたことだったと説明されている。
いまでは、ほとんどの大学で、成績処理がコンピュータ化されている。しかし、だから、成績処理の融通をきかせることは不可能だということにはならない。教員が成績を提出しなければならない日は決まっていて、これを動かすことはできない。しかし、この期限とレポート提出期限は当然同じではなく、教員は、提出されるレポートを読む時間を、多少余裕をもてるように、レポート提出期限を定めているはずである。当たり前のことだが、提出されたレポートはそれなりの期間をかけて読み、採点するわけだ。だから、数日程度の遅れは、採点上困ることはないはずである。従って、コンピュータ化されているから、締め切りを延ばすことは不可能ということはありえない。
もちろん、伊東氏は、さらに、公平性の問題をいっている。他の人たちは期日通りに出したのだから、それを守らない人も同じように扱ったら、公平さが保てないというわけだ。私は、そんなことはないと思う。記述通りに出せなかったのだから、減点するというバランスのとり方だってある。
問題は、締め切りに間に合わないことが、完全に学生の責任かということだろう。この容疑者の学生がどのような学生であるかは、まったく知ることはできないが、今の学生は、様々な事情で、教員が期待するようにはできない者がいる。例えば、親がまったく学費をだしてくれないために、アルバイトで学費だけではなく、生活費も稼いでいる学生なども少なくないのである。そういう学生と、経済状態がよく、勉学に集中できる学生と、同じように、レポート期限を設定して、守らないのはだめだということが、「公平」であるかどうかは、簡単には決められないのではないだろうか。また、理系だから実験する必要があっただろう。文系なら、図書館にこもる必要があったかも知れない。しかし、季節柄インフルエンザにかかって、自宅からでられなかったのかも知れない。無理すれば可能だったというのは、今のルール上は成立しない。インフルエンザにかかったら、大学に来てはいけないのだから。伊東先生は、絶対に認めないだろうが、部活の中心選手で、試合があり、絶対に抜けるわけにはいかなかったから、レポートにかかるのがどうしても遅れたということだってありうる。私の場合は、部活に限らず、予めわかっている事情があるとき、提出期限前に申し出れば、ある程度は考慮して、別の期限を設定するようにしている。
厳格な伊東先生でも、バイトで生活し、学費を捻出している学生の事情を、まったく考慮する必要はないとは考えないに違いない。とすれば、遅れることを謝りに来た学生に対して、単に「単位はあげられない、留年しなさい」というのではなく、事情をきいて、それなりに考慮する事情があれば、成績のランクを下げることを条件に、可能な範囲で期限を遅らせる措置をとったとしても、他の学生が不満をいうことは、あまりないと思うのだ。もし、そうしたことにクレームをつける学生がいるとしたら、むしろ、その学生の思いやりのない感覚について、考えさせるようにするほうが、クレーム学生の将来にはいいのではないか。
学生の事情をまったく考慮せず、ただ一律にルールを決めて、例外なく実行するというのは、あまり教育的とはいえない。だいたい、教授だって、自分の論文の締め切りを延ばす人はいくらでもいる。私が参加したある論文集の本で、私はきちんと出したのに、10カ月近くも提出を遅らせた教授がいたために、出版もそれだけ遅れたことがある。そういうことは、珍しくないのだ。学生に対してだけ、例外を認めないというのは、私には、あまり納得できないのである。