名城大学で教員が刺される事件

 1月10日の夕方、名古屋市の名城大学で、准教授が学生に刃物で刺されたという。報道によれば、レポートをめぐってトラブルになっていたとか。今の時期だから、レポートのトラブルといっても、成績評価のことではないに違いない。提出期限とか、あるいはレポートの形式などで、受け取り自体を拒否されたというようなことなのだろうか。以前、中央大学でも構内で教員が刺された事件があったが、やはり、理工系だった。文系でレポートをめぐってトラブルになり、教員が暴行を受けたりということは、あまり聞いたことがない。文系の場合には、成績が就職に直結することは、ほとんどないと思われるが、理工系の場合には、そうした面が文系よりは強いに違いない。だから、成績は重要な意味をもつのだろう。
 あまり参考にはならないが、成績に関するトラブルは、起きないに越したことはないので、一応は気をつけている。
 私の授業では、レポートは原則として、みなが見ることができるような形で提出される。これは、教育的な意味もあって、学生は、どんなレポートがよく、どんなレポートがまずいのか、あまり判断できる機会をもっていない。通常はレポートを提出して、成績がつくだけであり、他の人のレポートを読むことはできないからである。それを読めるようにしておくことで、よいレポートの事例をたくさん知ることができる。それから、成績のクレームにきたときに、自分は充分なものを書いたと思い込んでいる学生に対して、特別によいレポートを指定して、このレポートを読みなさい、自分のものと比較してみなさい、というわけだ。そうすると、自分の書いたものの不十分さは、さすがに認識できるから、納得する。それでもなお納得しなかった学生は、これまでに皆無である。もっとも、私の大学の学生は、それほど自分の書くレポートに自信をもっているわけではないので、提出したのに単位をもらえないのは何故か、というクレームはあっても、AのはずなのになぜBなのかというようなクレームは、残念ながら滅多になかった。
 クレームがつかないようにするためには、形式にもある程度気をつかった。 
 ひとつは、面倒な形式を条件にしないことである。中には、用紙、あるいは文章の守るべき形式などを細かく指定する教員もいないことはない。それを守らないと単位をださないとなれば、クレームが出やすいだろう。
 もうひとつは、締め切りやミスに対しては、できるだけ寛容に扱うことである。みんなが読めるようにするために、講義科目の多くは、掲示板を使ってレポートを毎回ださせている。もちろん、実名を書かせるわけにはいかないから、学籍番号を元にした「何年度の何の科目の誰か」がわかる符号を指定している。それを間違える学生が少ないが毎年いる。間違えると、検索にひっかからないので、未提出扱いになり、単位が出ない。しかし、クレームがでると、どんな符号で書いたのかを提出させたり、こちらでいろいろとやってみて、確かに提出されていることがわかれば、成績の訂正を行う。間違えたこと自体は一切問わない。
 こうしてことで、大いに揉めたということは、一切なかった。最近の学生は、単位の習得については神経質になっているものが多いように感じる。大学では、日常的に近い距離で学生と教員が接しているわけではないから、やはり、成績に関することは、できるだけ誤解のないように、かつ、あまりに形式的なことを厳格にしないようにすることが、揉め事を少なくするこつだろう。
 名城大学の事件が、どんなレポート上のトラブルだったのかは、今後明らかになっていくだろう。もちろん、いかなる理由であろうとも、成績関連の不満で教員を刺すなどということは、許されることではないが、教員として気をつける点があることも間違いない。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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