単に年末年始だったからというのではないように思われる。なんとも、日本政府の反応が鈍いのだ。これは、海外メディアでも指摘されている。とにかく、日本での法的拘束を受けていて、海外渡航を禁じられている被疑者が、無断で出国し、かつ、これから日本と闘うなどと宣言しているにもかかわらず、政府としての見解をまったく出していない。少なくとも、検察は、公式表明ができるはずであるし、また、出入国を管理している当局は、これが犯罪であると、「世界に向けて」発信すべきものだろうと思う。これから、確実にゴーン氏は情報戦をしかけてくるし、また、日本の司法に対する批判は国内外に強い(私も一部批判的だ)のだから、対応を間違えれば、日本の司法の評価はどんどん低下していかざるをえない。
しかし、何故か政府は何も語っていない。
だからか、日本政府にとって、ゴーン氏の逃亡は都合がいいことだったのではないか、ひょっとして、助けていたかも知れない、などというコメントもある。まさかとは思うが、ゴーン氏の逃亡は、裁判で徹底的に、日本の司法の批判、そして、自分やケリー氏だけをターゲットにして、同罪であるはずの西川氏など、日本人取締役をまったく野放しにしているだけではなく、むしろ、日産の経営陣になっていることすら、容認している。これは、徹底的に不公正ではないか、と世界に向けて、裁判の場を使って訴えられるだろうから、日本の司法、そしてそれを維持している政府にとって、かなりやっかいなことになる。しかし、ゴーン氏が逃亡してしまえば、海外でそうしたキャンペーンを張ったとしても、日本としては、あくまでも卑怯な逃亡者として扱うことができる。だから、氏の反日本の司法キャンペーンを薄めることができる。そんな見方だろう。そんなことはないことを祈るが。
ゴーン氏の主張には、認めざるをえないこともある点は、日本の司法も認識してはいるだろう。だから、やはり、今後の改善は必要なのである。
ゴーン氏の正しい点とは、被疑者に認められるべき、あるいは欧米では当然に認められている権利が、日本では認められていない点が多々あるということだ。弁護士を同席させての取り調べを認めないこと、拘留期間があまりに長いこと、保釈がなかなか認められないこと、保釈が認められても、あまりに不適切な制限が多いこと、そして、日本人の取締役は逮捕起訴していないことである。最後の点については、司法取引をしたとしても、あまりに大きな落差があった。司法取引は、微罪ならともかく、完全に免責するのではなく、刑を軽くする程度のものだろう。冷静にみて、同罪とはいわないまでも、共同の責任がある人が社長になるというのは、日本人にとっても理解不能な事態だった。
長い拘留と保釈後の大きな制限という点については、レジス・アルノーという人が次のように書いている。
「実際、ゴーン氏は日本さえ出れば「自由の身」になれた。世界は(そしてゴーン氏自身も)、日本の裁判所が電子ブレスレットやアンクレットのような被告人の位置を特定できるツールを使っていなかったことに驚いている。これは、フランスやアメリカなどの先進国で使用されている基本的なツールである。実際、ゴーン氏側は保釈請求にあたって、このツールの受入れも明示していたが、このようなツールは日本では採用されていないことから、裁判所はこれを保釈の条件とはしていなかった。」(「逃亡後のゴーンが明かした日本への「復讐計画」 レバノンでの「忘年会」で知人に語った」東洋経済on line 2020.1.2)
ゴーン氏自身が受け入れることを申し出ているのに、裁判所がそれを採用しないというのは、いかにも間抜けでおかしなやり方だ。もし、そうした手法を採用すれば、ゴーン氏の行動の自由をかなり認めることもできた。そして、逃亡の可能性は低下しただろう。古い時代の手法に固執して、被疑者の行動を制限し、新しい手法を拒否するというのでは、世界の恥というべきだろう。また、アルノー氏は、日本の司法の人々が、セレブの感覚をまったく理解していなかったと皮肉っている。15億円くらいなら、捨てる気になる、というのは、ゴーン氏の収入を充分に理解しているなら、誤解しようがないように思うのだが。そして、あれだけの資力と人脈と行動力がある人物ならば、なんとか、脱出する手段を獲得するというのも、特にセレブはやってみようとするだろうというのも、予想されるところだ。なぜ、検察は、保釈したら逃亡するという危惧をもっているなら、ゴーン氏が受け入れていたツールの採用を主張しなかったのだろうか。
ゴーン氏の主張がおかしい点は、もちろん多々ある。日本では、有罪率が99%だから、最初から有罪にするための裁判をするのだ、いくら正論をいってもだめだ、というのは、受け入れがたい主張だ。日本の検察は、確実に有罪にできる事件を起訴するのであって、有罪の確信があっても、証拠の点で、確実な有罪判決が期待できないものは、起訴を見送る傾向があることはよく知られている。だから、本当は犯人であっても、起訴もされず、野放しになっている人も多いのだ。
少なくとも報道されることが、事実であるとすれば、ゴーン氏の有罪は、多くの人が認識していると思われる。
もうひとつ、ゴーン氏がフランスのパスポートをひとつだけ、鍵付きのケースにいれておくという条件でもつことを許可されていたという説明がなされている。どうもよくわからない。それは誰が管理していたのだろう。当初はパスポートを、弁護士が預かるということだったのが、ゴーン氏の弁護士を通じて、それでは、外国人はパスポートを常に携帯しなければならないということだろうが、出入国管理法に違反するので、という理由で要請があり、先のようなことが決まったというのだが、鍵を弁護士が預かっているというような説明もついていたが、それでは、当初と同じではないか。おそらく、鍵もゴーン氏がもっていた考えられる。しかし、通常、パスポートは一部しかないはずであり、海外逃亡の恐れがあるから預かりというシステムは、もともと、常時携帯が不可能な方法を強制していることになる。それで、これまでやってきたのならば、ゴーン氏が違反に問われることはないはずである。有名人だから、状況は誰もが知っているので、違法状態を問われることがあるとは思えない。にもかかわらず、弁護士の発案で、一部のみ本人が所有できるようにしたのならば、弁護士の責任も問われる必要があると考える。
最後に、アルノー氏は、ゴーン氏が、「20年間日本に愛されてきた」と書いているが、私自身は、ゴーン氏のやり方は、あまりに乱暴で、一時的な効果はあったが、あまりに長くやりすぎたと思っていた。日産という会社が、派閥争いという病根があったことは周知のことだから、彼のような人物が当初は必要だったろうが、後半は逆の思いを多くの日本人が感じていたから、ゴーン氏の逮捕劇を受け入れた人が多かったのではないだろうか。