ナルシスト国家になりつつある日本

 12月29日付けで、渡邊裕子氏(ニューヨーク在住)執筆の「メガネ禁止、伊藤詩織さん、小泉環境相…2019年海外メディアは日本をどう報じたか」という非常に優れた文章が掲載されている。ぜひ多くの人に読んでほしいと思う。
https://www.msn.com/ja-jp/news/world/メガネ禁止、伊藤詩織さん、小泉環境相…2019年海外メディアは日本をどう報じたか/ar-BBYqC3j?ocid=spartandhp

 ただ、全面的に賛成なわけではなく、より多面的な見方が必要であると感じる部分もあるので、そういう点も含めて紹介しよう。
 執筆の基本姿勢として、日本に帰国するたびに、「日本はすごい」と外国人からみられていることを紹介するテレビ番組が増えたことに驚いている。日本人は、どう見られているかを気にするのに、日本のメディアしか見ない人が圧倒的である。外国の報道をみればわかるのだが、かなり辛口に言われることが多くなっているのだ。こうした観点から、辛口に論評されていることを、外国のメディアによって、いくつか紹介している文章である。
 最初に、あるジョークが紹介されている。

ある教授が、「象についてのレポートを書きなさい」という宿題を出した。ドイツ人は「象の存在についての哲学的考察」、アメリカ人は「象を使ってできるビジネス」、中国人は「象の料理の仕方」、フランス人は「象の性生活について」というレポートを書いてきた。日本人は?というと、「日本人は象をどう見ているか。象は日本人をどう見ているか」だ……というオチだった。

 日本人は他人の目を非常に気にする国民だ、という話だが、それは必ずしも日本人だけの特質ではない。「日本人論」がさかんなのは、日本人のそういう特質によるとされることが多いが、自国に関する「**人論」は、他の国でもさかんな場合がけっこうある。たいていは自虐的な内容が多いのも共通の特徴だ。オランダ人も「オランダ人論」がけっこう好きだ。
 ただ、最近の日本における「日本礼賛」的メディアの傾向が、極めて深刻であることは間違いない。これは、以前にもここで書いたことがあるが、「日本礼賛」は、日本の深刻な状況、日本人の自信喪失の表れであること、そして、その状況に正面から立ち向かわないからこそ出てくる現象であって、決して「自信」の表れではない。
 渡邊氏は、海外のメディアが報じている日本ネタなので、一つ一つ丁寧に英文も出ているが、それは省略する。
 まず、日本の企業、特に「受付」を始め、人と接する仕事をする女性に対して、めがねを禁じているという話題だ。対応は逆だが似た話題として、「ハイヒールの強制」が次に出てくる。
 こうした広く服装に関する規制は、企業の論理としては、「強制はおかしい」だけでは済まない問題もあるようには思う。私は大学が職場なので、服装の規制は、日常的にはほとんどない。しかし、それでも教員に対して、規制が発動されることがごく稀だがある。それは、入学試験の監督の際の「マスク着用禁止」と最低限のフォーマルな服装だ。服装規制だけではなく、特にセンター試験の監督に関しては、ほとんどすべての行動がマニュアル通りに行われることが求められている。*時**分に「****」と説明するというように。しかも、年々注意事項が増えていくのだ。それは、何か受験生の気に障ることがあると、センターにクレームが来る、そして、一部はメディアで報道される。すると、次の年のマニュアルに、それが反映されるというわけだ。つまり、規制が、ユーザーへの対応という側面もあることになる。つまり、職場の服装等の規制は、そこの仕事から来ることと、ユーザー対応とが混ざっているということだ。仕事上の規制は当然ありうることだろう。めがね問題の火付け役となった「職場でメガネ禁止される女性たち。「まるでマネキン」受け付けから看護師まで」という竹下郁子氏の記事には、美容クリニックで「メガネの他にも、指・鼻の下・腕・もみ上げ・うなじなど「人の目につく所に毛が生えていてはいけない」「太ってはいけない」「日焼けしてはいけない」「髪が傷んではいけない」「まつげエクステの本数が減ってはいけない」など、容姿に関しては常に厳しい指導があったという。もちろんメイクも必須だという経験談が紹介されているが、どこまでかは別として、こうしたことにほとんど関心のない私でも、もしそこの経営者だったら、程度の差はあれ、同じようなことを従業員に求めるかも知れない。https://www.businessinsider.jp/post-204973
 しかし、やはり、仕事に無関係なところまでの規制は、問題だ。めがね禁止に関しては、私のような事例はどうなるのだろうと思う。私は眼鏡を使っているが、若いときには、何度かコンタクトにしたことがある。短期間だが。やはり、コンタクトのほうが、視野が広く、また眼鏡特有の歪みやサイズのずれがないだけ、自然に見えるから、なんとか慣れたいと思って挑戦したわけだ。しかし、私の場合、不思議なことに、裸眼や眼鏡だと表れない「乱視」が、コンタクトにすると表れる。だから、コンタクトだと、乱視特有の現象が起きる。ハードが特に酷く、ソフトの場合には少しなのだが、皆無ではない。それで、完全に眼鏡派になった。また、ドライアイなどの人もいるから、コンタクト特有の障害があり、それを無視するのは、やはり人権侵害だろう。
 もうひとつ眼鏡をめぐって扱われている論点が、「知的に見える」→「知的な女性は嫌われる」という図式で、めがねを禁止しているという点だ。私の職場は、さすがに大学だから、女性教員も知的であることが求められているとは思うが、世間的には、知的であることが避けられる傾向があるのだろうか。ただ、私は、知的であることが忌避されるのは、男性も含めて、日本社会の特質であり、それが日本社会の閉塞状態を助長していると思っている。端的に、安倍首相だ。多くの人は、安倍首相に知性を感じないだろう。彼の国会での答弁を聞くと、本当にごまかしの連続でがっくりくるが、これは、特に徳川時代からの伝統的な組織的特質といえる。徳川時代は、政治運営は実質的に下の者が担っていて、将軍や大名自身は、直接タッチせず、基本的に承認(それもほぼ形式的)を与える存在だったとされる。横暴だったり、有能すぎると排除されることも少なくなかったようだ。だから、あえて愚鈍を装う大名などもいた。今の自民党政治家が、ほとんど二世、三世議員であることは、その伝統がいまでも生きているということなのだ。そうした伝統があったから、明治維新をなし遂げたのが、下級藩士たちだった。
 しかし、それは社会がいい意味で安定している、あるいは停滞しているときには機能するが、社会そのものが変革しなければならないときには、リーダーの能力が低いことは、変革に対応できないことになる。今は、女性だけではなく、「男性も」知的でなければならない。「めがね禁止」は、そうした必要性に対する遅れを象徴しているともいえる。
 次に、両性の平等ランクで最下位だということが紹介され、伊藤詩織さんの運動が紹介されている。そして、それを紹介する海外の記事が多数載っているので参考になる。
 ここでは、最後の小泉環境相関連を紹介しよう。
 小泉環境相は、国連の環境会議に出かけていって、まずビーフステーキを食べにいき「毎日でも食べたい」と記者団に語ったところで、環境保護運動をしているひとたちの怒りをかった。私もこのブログで皮肉を書いておいた。この点について、渡邊氏は、小泉環境相が、「そうした批判的観点がでたこと事態新しいことだ」といっていたのを、更に批判している。まったく新しいことではなく、既にかなり言い尽くされていることなわけだから、新しく知ったというのが、いかに環境大臣として不勉強であるかということだろう。石炭による発電の推進に関して問われたとき、「まだ環境相になったばかりなので、検討しているところだ」と述べたのは、既に報道されているが、こういう環境大臣が国連に出ていったことは、本当に残念なことだ。
 ところで、この話題に関して、池田信夫氏が、JBpressに「日本は石炭火力で多くの人々の命を救える 宗教になった環境運動にだまされてはいけない」と題する文章を書いているが、まったくの噴飯ものである。環境運動が宗教だというのは、世界中の科学者の圧倒的多数派を否定することなので、彼なりの根拠があるのかも知れないが、文章を読んでいると矛盾だらけだ。池田氏は、「東京の平均気温は、最近100年間で3℃上がった。そのうち地球温暖化の効果は0.74℃で、残りの2℃以上は都市化によるヒートアイランド現象だが、それに気づいている人はほとんどいない。」と書いているが、地球規模の温暖化というのは、ヒートアイランド現象が地球規模で拡大している現象ともいえる。だから、ヒートアイランド現象と地球温暖化を切り離して、温暖化はたいしたことがないかのように述べることは、まったく的外れなのである。そして、地球規模の気温の上昇1度が、冷暖房の普及や輸送の拡大で、25年で10億人もの命を救ったと書いている。このことは、数字はともあれ、そうした現象が起きたことは間違いない。つまり、温暖化というのは、人間の生活が便利になり、より快適になっていることの裏側の現象なのである。だからこそ、歯止めがなければ、どんどん進む現象でもある。というより、20世紀の末から、ずっと温暖化対策が唱えられてきたのに、なかなか進まない理由が、快適を求める人間の欲望があるからである。しかし、快適さを保障する基礎条件が失われれば、快適さどころか、人間の生存条件すら脅かされかねないというのが、温暖化を危惧する理由であり、それは、ヒートアイランド現象によって理解できる。
 ネット上には、こうした矛盾だらけの温暖化否定論がたくさんあるが、論理をきちんと追っていけば、ほとんどはおかしな点に気づくだろう。そして、今の日本の現状を、冷静に見つけること、国際的な動向を正確に知ることが、日本人に必要だろう。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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