ドイツの奉仕義務導入の議論

 現在ドイツでは、義務的な奉仕活動の制度を導入する議論が、CDU(ドイツキリスト教民主同盟)を中心にかなり活発に行われているようだ。議論そのものは、昨年から出ていたが、Kramp-Karrenbauersという女性の党リーダーが、党員の意見を聞く会を精力的にまわり、そのなかで、出てきた意見を受けて提唱している。それが11月で、その後多くの党やメディアで盛んに賛否が論じられている状況になっている。
 ドイツは2011年まで徴兵制があった。兵役につくか、あるいは市民的奉仕活動をするかの選択はあったが、それが廃止され、その後は純粋にボランティアによる奉仕活動が行われているだけである。だいたい年4万人の人がボランティア活動をしているというが、もちろん、若者ばかりではない。 (災害等で臨時にボランティアをする人ではなく、登録して日常的に実践している人だと思われる。)今議論され、提案としてまとめられているものは、教育を終了した人が、1年間社会的奉仕活動を義務づけられるという案である。2018年に行われた世論調査では、実は賛成が多数になっている。政党別に見ると以下のようになっている。
CDU 77%
AfD 72%
SPD 62%
緑  66%
FDP 65%
Parteichef Christian Lindner は自由の制限だとして拒否
左派は52%
 反対が上回っている政党支持層はないのが特徴的だ。もっとも、これは、全世代を通じての数字であって、義務化された場合に、自分の問題になる世代ではないひとたちが多数を占めているはずである。当事者たちの支持率は、当然のことながら、ずっと低いはずであるが、今回の調査では、その数値は見つけられなかった。
 こうした支持があるとしても、実現は極めて困難であるというのが、だいたいの共通理解である。というのは、ドイツの基本法は、ナチスの政策への反省から、「強制労働」を禁じる条項があるのだ。
 基本法12条の2項が「何人も、伝統的で一般的な、すべての人に平等に義務付けられる公的な勤務の枠内にある場合を除き、特定の労働を強制されない」と規定している。
 兵役義務はあったが、それは防衛のためのものであって、「労働」ではないと解釈されていたのだろうか。あるいは、市民的奉仕活動を選択できるから、「強制」ではなかったというのか、その論理は、よくわからないのだが、とにかく、兵役義務がなくなった時点では、義務的な奉仕は、強制労働になるという解釈が一般的であるから、憲法(基本法)の改正が必要であるとされている。日本のような国民投票はないが、議会の3分の2以上の賛成が必要であるので、敷居はかなり高い。他方、「伝統的」であればよいと解釈できる文章なので、この「伝統」を拡張解釈して対応できるという考えもあるが、伝統的にそうした強制労働は存在しないので、あまり説得力がない。
 では何故、義務的な奉仕活動の制度を導入しようとしているのか、もちろん、人によって理由は異なるだろうが、多くは、社会的連帯の問題として考えているようだ。他人への共感の意識が乏しくなり、社会としてのまとまりがなくなっている。移民の増加は、そうした感覚を増大させているだろう。兵役義務は、団結の意識を涵養するにはよかったし、代替措置としての市民的奉仕活動もその機能を果たしていた。しかし、それがなくなって、自発的なボランティアだけになると、ほとんどの若者はしないままで、社会のために何かを協力してやるという機会がなくなっている。それを作り出すことによって、社会の結合、凝集力を向上させようという意識といえる。兵役、消防、治安、福祉など様々な領域で、活動が必要だということもあるのだろう。
 他方、反対意見は、もちろん、そういうことが必要ではないという議論をしているわけではない。「強制」はよくないという、極めて明瞭な反対意見となっている。奉仕活動というのは、自発的な意思によって行うべきものであって、行うかどうかは、各人の自由に任されなければならないというわけだ。
 こうした見解に対して、賛成派は、自由は大事だが、社会の一員としての「責任」も重要ではないか。自由と責任の双方を尊重する必要があるという議論を展開している。
 日本でも同じような議論が過去何度かなされてきた。代表的なのは、2000年に出された「教育改革国民会議」の提案のなかに、「奉仕活動を全員が行うようにする」という、奉仕活動必修提案がなされた。これは、教育活動のなかで、つまり、「生徒として」行うので、ドイツで今議論になっていることとは異なる。だが、この教育改革国民会議の提案に対しては、一方で理念的な批判、つまり、自由意志で行うのが奉仕活動の本質であるという批判が主なものだったが、もちろん、そういうことに時間を割かれることの抵抗も、保護者や生徒のなかに少なくなかったろう。(ただし、キャリア教育のなかで、企業などに入って1週間ほど働くなど、極めて短期間のものであるが、日本では、導入されている。)
 ドイツの現在の議論は、学校を終了したあとの一年間を奉仕活動に使うという提案である。だから、かつて、兵役ではなく、市民的奉仕活動を選択した者が行ったようなスタイルでの活動をイメージしているようだ。週何時間を奉仕活動に使うというようなものではない。その間、通常の勤務はできないわけだから、大きな生活上の影響がある。
 日本でも繰り返し提起され社会奉仕の必修化をどう考えるのか。
 私は、基本的に社会奉仕というのは、自発的意思によって行うものだと思うので、少なくとも国家が強制することについては、強く反対する。ただし、以下のような、ある程度外的に必要とするということはあってもいいのではないか。
1 個別入試において、大学がボランティア経験をレポートなどで出させる。あるいは、企業が業務の一環として社会奉仕を組み込む。ただし、これらは、求めるものだが、不可欠のものとするのは賛成できない。加点するというようなものだろう。
2 交通違反や刑事罰で有罪となったものが、社会奉仕で代替する。あるいは、執行猶予がついている場合に、社会奉仕を求める。交通違反で免停になると、このような方法が使われることがある。
 注意すべきは、共同体精神等を理由に、安上がりの労働力として使われることだろう。ヒトラーユーゲントはまさしくそうした組織であった。
 ドイツの動向に、今後に注意しておきたい。
参考にした文は以下の通り。
’Brauchen wir eine Dienstpflicht?’ Reinische Post 2019.12.20
‘Dienstpflicht: Zwei Drittel der Deutschen für ein Pflichtjahr’ Zeit online 2018.8.10
‘Hitzige Debatte über Pflichtjahr für Jugendliche’ Morgenpost 2018.11.2
‘AKK will junge Leute verpflichten – Zusammenhalt: Kann eine Dienstpflicht helfen?’ ZDF 2019.11.28
‘Die CDU diskutiert: Dienst für unsere Gesellschaft’ https://www.cdu.de/dienstpflicht

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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