国際社会論ノート 慰安婦問題を考える3

 最初に設定した問題がひとつだけ残っている。
5、違反者が罰せられるべきか
 実際に、罰せられた事例は、インドネシアでの法廷で、死刑を含む有罪判決があったのみだったと言われている。しかし、今から当事者を罰するということには、意味があるとは思えない。モサドによるユダヤ人の追跡は、いまでも続いているのかも知れないが、これとても、今生きている旧ナチといえば、90歳を越えていることになり、しかし、90歳といえば当時はまだ未成年だから、自分の意思で戦争犯罪を実行したとは言い難い。慰安婦問題でも同様だろう。
 従って、最後に、どのようにお互いが歩み寄ることができるのか、あるいは何が必要なのかこそが重要だろう。
 まず必要だと思うのは、お互いの歴史を知ることだろ。これは、おそらく、驚くほど互いに知らないのではないだろうか。韓国で、体系的な日本史の本がどの程度だされているかわからないが、日本では、体系的な朝鮮半島の歴史書は極めて少ない。個別的なテーマを扱った朝鮮の歴史書はあるが、通史は少ないのだ。アマゾンで購入できる通史は(通史に限らないが)、かなり明確な立場が表明されており、そして、レビューを見ても、それに対するコメントが寄せられるような本が多い。圧倒的に、朝鮮の歴史に否定的な見方をする書物が多い印象を拭えない。
 学校の教科書をみても、朝鮮半島の歴史叙述は極めて少ない。韓国の教科書で日本関連記述が多いことと対照的である。教科書で見る限り、日本人は朝鮮半島の歴史にはほとんど無知のままであり、韓国人は、日本に対する反感が醸成されるというところだろう。
 日本の教科書に関していえば、古代における朝鮮半島が日本の文化に対して果たした役割をもっと詳細に学べるようにする必要がある。中国の文化も多くは、朝鮮経由で入ってきたのであり、遣唐使なども、当初は半島沿いに往来していた。
 中世においては、朝鮮側からの日本への戦争(元寇での先兵して)と、日本から半島への戦争(秀吉の朝鮮出兵)を、より詳細に学ぶ必要がある。
 そして、徳川幕府が行った修復作業、江戸時代の交流、日本の開国から、朝鮮統治までの歴史などは、極めてわずかしか学ばない。韓国側も、学ぶ対象が集中しているという点で、日本を理解するようにはなっていない。相互の交流史だけではなく、それぞれの通史を学ぶことも大事だろう。
 私自身も今後少しずつ学んでいきたいと思う。
 さて、慰安婦問題だ。
 以前読んだのだが、今回読み直した本、朴裕河(パクユハ)の『和解のために 教科書・慰安婦・靖国・独島』(平凡社)を紹介しつつ、整理してみたい。本の題名でわかるように、「和解」のために、それぞれが改めなければならない「考え」を示している。同じことに対して、日韓ではまったく違うような解釈が行われる。村山首相のときに設立された「女性のためのアジア平和国民基金」の解散のあとに書かれた本なので、この国民基金の動向をめぐる形で書かれているが、ここに、現在にまで至る日韓の受け取りの違いが既に現われている。
 日本政府は、日韓条約があるので、政府としての賠償はしない(できない)が、国民から支出するという形で補償をする、そして実質的に国家がかなりの出資をして、首相の謝罪の手紙も添えて慰安婦に渡すことになった。
 しかし、韓国側は、政府の責任逃れのための方策であり、真の謝罪になっていないと受け取りを拒否するように、元慰安婦たちに働きかけ、更に、受け取った者には、その後の韓国側で行った補償対象から外すことまでした。そして、日本政府の行ったことの正確な情報は、韓国人にはほとんど伝わらなかったという。パク氏は、当然日本政府のやり方の不十分生を批判しているのであるが、韓国側のこうしたやり方についても、かなり厳しく批判している。韓国人のなかに深く根付いている「本質主義的正義」の観念が、日本に不信感をいだかせているとする。国民基金の不十分性への批判は、日本にもあるわけだが、韓国の問題は、被害者に対して受け取りを拒否させる、あるいは受け取った者を差別するというそのあり方である。当初受け取ったのは7名ということだったが、和田春樹氏によると60名ほどだったという。その多さに、韓国側の運動家もショックを受けたようである。「本質主義的正義」とは、日本の本質は軍国主義であり、国家は過去の責任を決してとることはない、それが日本の本質だ。正義は自分達にあるのだから、日本のやり方は徹底的に否定しなければならない、というようなことだろう。「謝罪」にしても、「本質主義」からは、「真剣な謝罪を求めているのに、形だけだ、それは謝罪になっていない」と解されることになるが、国家の謝罪は、パク氏もいうように、そもそもが「形式」なのだ。だから、本質主義になると、永遠に謝罪を求めることになる。
 更に、パク氏は、実は日本の慰安婦問題と同じような問題は韓国にもあるという指摘をする。ベトナム戦争の件は、日本でも反韓のひとたちが頻繁にもちだすが、朝鮮戦争のときに、米軍のため、あるいは現在でも(少なくとも執筆当時)米軍基地の近くには、慰安施設があるのだそうだ。韓国では売春禁止法が施行されているが、米軍基地近辺は例外とされているという。こうして、パク氏は、韓国側に対して、大きな反省も合わせて迫っている。
 しかし、私たちにとって必要なのは、「そうだやはり、韓国側に問題があるのだ」と受け取ることではない。日本側は、より大きな「考え」方の問題がある。日韓関係の悪化が進むにつれて、慰安婦問題についての開き直りが大きくなっているように思う。
 最初に書いた「処罰」の問題を離れれば、当時は公娼制度があり、問題ではなかったのだ、という言い方は、現在の時点でそう主張することは、今でも公娼制度を多少でも容認する姿勢にとられても仕方ない。
 他の問題として、日本の右派のひとたちには、植民地では、日本が朝鮮に対して近代化のために大きな貢献をしたという考えがある。私はもちろん、この点の専門家ではないので、詳細なことはわからないが、基本的な考えの柱については理解しているつもりだ。戦前の数少ない植民地研究者であった矢内原忠雄は、朝鮮についても当然研究をしていたが、現地にいっての調査研究には相当な妨害があって、系統的な研究はできなかったようだ。そこで、「朝鮮統治上の二、三の問題」と題する短い論文を参考にする。
 矢内原は、日本の植民地経営の基本が「官治的内地延長主義」と「同化主義」であったとして、前者は、父権的保護主義として現われ、産業振興や投資が盛んに行われた。後者は、教育の拡大として現われ、統治開始時に、官立の学校は小学校を含めて、100校程度しかなかったのに、昭和10年には2358校となり、学んでいる生徒も70万人近くになっていたという。
 如何に朝鮮統治のために支出が多かったかを、矢内原を数値で示している。人件費では、大量の日本人が行政上の役人として存在しており、俸給も数割増しの在勤手当を支給するから、多額になっているが、内地延長主義であるために、朝鮮人に役人を置き換えることで、経費節約することが難しかったという。しかし、朝鮮人からすれば、日本人ばかりが優遇されているという不満が生じただろう。
 警備費が、民族主義的運動の取締や満州国国境警備などで不釣り合いに多かったとする。
 産業や教育の奨励についても、先に述べたように、多額の投資が行われた。特に教育では、同化主義の中心的役割を果たすことが期待され、その手段として、日本語教育を重視したわけだが、政治的な権利を内地の日本人と同等にすることは認めないので、言語教育によって同化を達成することはできないと矢内原は断じている。
 結局、政治的権利を認めないわけだから、反対運動が起きる、そのために、警備を厳重にして、多額の出費が余儀なくされる。日本政府は、植民地の財政的独立をめざしていたが、それは期待できないと結んでいる。
 別のところで、矢内原は、どんなに植民地のためにお金を使い、制度を整備したとしても、それを現地のひとたちが望んでいたわけでもない限り、決して、感謝などされることはないとも書いている。
 考えてみれば、イギリスやフランスなどと比較して、植民地の産業や教育の振興のために、多額の費用を投じたことは事実であり、工場や学校がたくさん作られたわけだが、そのことが、現在、韓国のひと達によって、まったく感謝されるわけではなく、逆に、政治的抑圧の面だけが重視されて恨みの対象になっている。植民地をもつということは、実に馬鹿げたことだったと考えざるをえない。植民地経営などは、割りがあわないのだ、という認識は、矢内原だけではなく、石橋湛山なども当時から主張していたことであり、これは現在でも決して忘れてよいことではない。「持続可能」な経済や社会のあり方は、こうした点に直接関連しているからである。
 もちろん、私自身が韓国のあり方に疑問をもつ面もあるし、注文もある。
 多くの人が指摘しているし、朴氏もそうだが、韓国の活動家たちが、日本のお金を受け取るなと圧力をかけたり、あるいは受け取った人を差別したりすることは、慰安婦問題の解決を真剣に考えているわけではないことを、暴露している。慰安婦を単に政治的道具として扱っていることについて、韓国の一般のひと達が、その矛盾を認識して表明すべきだろう。
 また、日本に対する点だけではなく、「被害」への対応において、後ろ向きであることが多いと感じる。植民地にした、それは不当だから賠償すべき、という対応は、独立から70年以上も経った時点での対応だろうか。植民地化されたことは、当時の韓国の政治状況の弱さがあったからであることは否定できないはずである。その弱点を克服するのは、「賠償」ではなく、自身の強化である。
 日本も開国に際して、無知でもあり、かつ弱体であったから、大変な損失を受ける条約を強制された。日本人なら誰でも知っている「不平等条約」である。しかし、日本は、その条約を一方的に破棄したり、無効だとしたりせず、対等な関係の条約を結び直すために、40年もの内政と外交の努力を傾けたのである。そのためには、外国人を招いて近代化に協力してもらったわけだが、そのために投じた国費は莫大なものだった。賠償をとれれば、楽かも知れないが、長い目でみれば、自力で奪回するほうが、国力の増進に寄与することは間違いない。
 とりあえず、今回のブログの文章は、これまでにするが、この問題はもっともっと深く学ぶ必要があるので、学んだあとに、再度論じることにしたい。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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