スピーカーコードを換えてみた

 我が家のスピーカーは、実に40年くらい前に買ったものだが、換える気持ちにならないくらい、私の耳にはいい音がする。比較的広い部屋にフローリングというのも、いい音がするにはいい条件だ。さすがに、アンプは3台目で、今は、オンキョーのCDデッキをアンプ代わりに使っているが、それまで使っていた古いものよりは、いい音がするし、前のはハンダ付けが緩んでいたのか、けっこう雑音がしていた。それほど高くないCDデッキだから、アンプに換えればもっといい音がするのかも知れない。
 最近でたブルーノ・ワルターのコンプリート(ソニー)は、ステレオ録音については、まったく新しくオリジナルテープから、リマスターして、ワルター特有の低音を重視した音に変えたという宣伝になっている。その感想を若干書いたが、それでも、以前に聴いていたものに比較して、それほど低音が強調されているように思えなかった。それで思いきってコードを換えることにした。というのは、以前からずっとこのコードについては問題があった。それでも20年くらいこのコードを使ってきたのだから、今から考えると、ずいぶんと損したものだ。疑問というのは、当たり前のことなのだが、スピーカーは3メートルくらい左右が離れていて、しかも、アンプやBDデッキは、更に左側の離れたところにある。従って、右スピーカーのコードが7メートルくらいあるのに、左スピーカーは3メートル程度なのだ。それで、どうしても左スピーカーの音が多少大きめに聞こえる。以前のアンプは左右の音のバランスを変えることができたので、少し右を強くしてバランスがとれているのだと思っていた。しかし、CDデッキのほうには、左右のスピーカーの音量を個々に調節することができない。
 ワルターは、私の最も好きな指揮者であるので、この最新リマスターの音が、宣伝の文章のように聞こえないのは、やはり、システムに問題があるのかと思い、とにかく一番てっとり早く、かつ安上がりにできるコードを換えてみたのである。別段高いコードにしたのではなく、アマゾンベーシックという銘柄の上のものに換えた。ポイントは、左右のコードの長さを同じにするということだ。
 すると驚くことに、いままで聞こえていた音とは、相当違うものになったのだ。これまで、左の音、特にバイオリンの高音などは、ギラギラした感じできつかったのだが、よりソフトに聞こえる。本物の音に近いということだ。そして、右側は、もやもやしていて、低音楽器は、ときどきフォルテで弾くときにはよく聞こえるのだが、その他は、埋もれてしまう感じだったのが、くっきりと聞こえるのだ。チェロやコントラバスの持続音も、またチェロやビオラの刻みの音もすっきりと聞こえてくる。オーケストラの配置に従って、それぞれの音が鳴っている。
 来年の5月の演奏会で、ベートーヴェンの田園交響曲を演奏することになっている。田園は、開始がチェロとコントラバスのFの持続音がなり、その上に、8分休符のあとすぐにメロディーが始まるのだが、これまで、最初のFの持続音が明確に聞こえなかった。しかし、コードを換えたあとは、明瞭に聞こえるのだ。これは耳の錯覚なのかも知れない。しかし、左右のバランスが崩れていると、鳴っている音も明確には聞こえず、正確なバランスが保たれると、鳴っている音がそのまますっきりと聞こえてくるということが、今更ながらわかった。
 特に違いを感じたのが、マーラーの交響曲9番だ。これまで、ワルターのマーラー9番というと、戦前のウィーンフィルとのライブ演奏が評価が高く、最晩年のステレオ録音は、無視に近い扱いを受けてきた。9番は誰のがいいか、というような議論で、まったく対象にあがってこないのだ。ワルターは、マーラーの9番の初演者である。マーラーは、一応完成はしたものの、自分で演奏することなく亡くなってしまった。マーラーは初稿を書いたあと、オーケストラで実際に演奏して、そのあといろいろと訂正するのが普通だったのだが、そのプロセスが果たせなかったのだ。それで、夫人のアルマ・マーラーが、ワルターに楽譜を託し、初演を頼んだのである。そういう関係か、戦前は先のワルターのライブ盤しかなかった。そして、その演奏会は、ワルターがナチの迫害を受けており、情勢が緊迫したなかで行われた。ワルターはこの演奏会のあと、直ぐに亡命したのだ。そういう歴史的事実もあって、この演奏は、非常に切羽詰まった感じがあり、高く評価されてきたわけだ。しかし、ワルター自身は、後年、ステレオ録音した際に、この古い演奏の欠点をいろいろとあげて、それを克服できたと、新録音にかなり満足したことが伝えられている。
 この9番も、田園に似て、チェロの音から始まる。そして、これまではあいまいだった音が、くっきりと聞こえるだけではなく、オケの楽器群が別々に奏でる音が、配置されている場所から聞こえてくるのだ。マーラーの音楽は、とにかく、ほとんど関係ないような違う音楽が、さまざまな楽器に割り当てられて、同時進行するという、極めて複雑な構造になっている。だから、主旋律と伴奏などという関係ではなく、いくつもの旋律が、しかも、あまり絡み合うこともなく進行するので、それぞれの楽器群の音が、独立して聞こえてくることが非常に大事なのだ。おそらく、これまでのマスターでは、そこらの分離が不十分だった上、私のシステムの弱点が重なって、さすがのワルターファンである私にも、不満足な演奏に聞こえていたのだが、今回は、素晴らしい名演だと感じた。マーラーの対位法的書法が実感できたし、音のパワーも充分だった。
 今後の音楽雑誌などでのマーラー9番の評価がかわるか、楽しみだ。
 そして、何事も、「バランス」が大事だということを、実感した。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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