松坂が今でもレッドソックスに嫌われているという記事

 12月12日のJBpressに「西部復帰の松坂大輔が今もRソックスに嫌われる理由」という文章が載っている。ここに書かれている内容については、私は多くを知らなかったが、日本のメディアの松坂に対する甘い評価については、日頃から疑問に感じている。
 まず記事の内容を紹介しよう。執筆は、臼北信行氏である。
 古巣の西部に復帰して、松坂は覚悟を決めているのだろうと書いたあと、日本復帰後は一年を除き、散々の成績だったことを確認する。そして、大リーグでは活躍したと、多くの日本人が思っているが、実はレッドソックスでは、ヒンシュクをかっていたし、成績も期待されていたほどではなかったと書く。一見いい成績だったシーズンもあるが、統計的評価では、運と味方の援護に大きく助けられたとして、四球が多く、味方もいらいらしていた。2シーズンのあとは、けがや手術で10勝をあげられたシーズンがなく、松坂の獲得は失敗だったと評価されているのだそうだ。
 そして、何よりも、評価を落としたのは、日本人スタッフが付きっ切りで、同僚たちとあまり交流もせず、同僚が近づくこともできなかったらしい。ただ、その何人もいる日本人スタッフを誰が雇っていたのかは、記事には書かれていないのが、少々残念だ。松坂が自分の費用で雇っていたのだとしたら、やはり、アメリカまでどういう覚悟で行ったのか、という疑問がわくし、ヒンシュクをかったとしても、当然だろうと思う。しかし、レッドソックスの球団が雇ったのだとしたら、球団の運営もまずかったことになり、松坂だけを批判するのは公平ではないだろう。ただ、通訳を球団が雇うことはあるだろうが、日本人のトレーニングスタッフを何人も、球団が雇うというのは、ありそうにはない。
 日本でも当時大きく報道されていたが、松坂は、チームの投球数制限を無視して、より多く投球練習をしていた。帰国して、日本で調整しているときには、今日は何球オーバーなどとスポーツ新聞は書き立てていたものだ。こんなこと書いていいのだろうか、松坂を不利にしているだけではないか、と当時私は思いながら読んでいた。
 調子を落としていたときに、西部時代の元監督の東尾氏をブルペンにいれて、教えを乞うていたことが、ヒンシュクをかっていたということだ。それはそうだろう。結局、手術後は大リーグで活躍することはできず、日本に復帰したわけだが、その後の「活躍」ぶりは周知の通りだ。
 私は、高校時代の松坂以外は、ほとんど高く評価できない気持ちでずっときた。高校野球は、ほとんど見ないのだが、松坂の甲子園決勝戦は全部見ていた。率直にすごいと思ったから、途中でやめることができなかった。しかし、プロに入ってからの松坂には、失望の連続であり、かつ球団の甘やかしには、あきれていた。特に酷いと思ったのは、彼が車で交通違反を起こしたときに、かつてのオリンピック選手で西部の広報課長だった黒岩氏が、自分が違反したと代理出頭したことだ。当時黒岩氏は、自分の判断でやったと語ったそうだが、球団全体の甘やかし体質抜きに、こうしたことは考えられない。しかも、松坂は免停中だったという。両名とも略式起訴され、罰金刑に処せられている。そして、球団社長と黒岩氏が責任をとって、役職辞任に追い込まれているのである。
 西部時代、確かに、活躍した。しかし、その期間は、才能の割りに非常に短かったのではないか。まるで、高校時代の遺産で勝っていたといっても、大きな間違いではないだろう。あまり練習していないのではないか、と感じていた。たくさん投げて肩を作るというタイプだから、たくさん投げてはいたのかも知れないが、金田が絶対に必要という「走り込み」はあまりしていたようには見えない。高校時代の体型と、プロになった数年経ってからの体型とでは、明らかに太っており、上半身で投げているという印象だった。高校時代とプロとで体型が変わるのは当然だという意見もあるだろうが、巨人のV9時代のエースだった堀内は、現役を引退するころまで、ほとんど変わっていない。
 西部の選手で、才能通りの活躍をしなかった選手に、もう一人清原がいる。清原は活躍したと評価する人もいるだろうが、私は、ただの一度もタイトルをとれなかった人が、活躍した選手とは思いたくない。
 私は、バトミントンの奥原の父親が(小さいころのコーチだった)、「迷ったときには苦しい方をとれ」と教えたことを、奥原が実践しているということを、テレビで述べていたのを聞いて、びっくりし、非常に感心したのだが、おそらく、松坂や清原は、「迷ったときには、楽な方」をとってきたのではないかと思うのだ。
 ただ、これだけなら、彼らを単に非難しているだけということになってしまうが、私がもっと大きな疑問を感じるのは、彼ら二人に対するメディアの扱い方である。特に、清原は絶対に行きたかった巨人に指名されず、男泣きに泣いたことで、メディアの寵児となった感じがある。それに対して、大学に進学すると表明していた桑田が、約束を破って巨人に入ったことで、完全に悪役になり、ずっとそのイメージをメディアはとり続けた。しかし、当時の指名を決めた王監督は、単純に桑田の方が野球人として優れていると思ったから、桑田を指名したのだ、と語っている。私も、野球選手として桑田のほうがずっと上だと思っているので、巨人の指名やそれを受けた桑田を批判するのは、ナンセンスだと思っていたが、こうした扱い方は、相当長期間続いたのである。それに大学の推薦入試を受けなかったわけであるし、また、ドラフトの前に試験があって、合格していたとしても、巨人の指名を受けて、大学の合格を辞退することに、何の問題もないのである。おそらく、桑田自身は、そうした批判で潰れることはなかったが、むしろ、それに対する「清原かわいそう」ムードは、清原を甘やかし、本来の才能をすり減らす結果になったと思う。清原が巨人に移ってきたときに、松井のバッティングのヘッドスピードを見てショックを受けたと、感想を述べていたが、その時点で、清原のバッティングレベルは、松井よりずっと低かったということだ。そして、その後、遅れを挽回すべく懸命に努力したとは、とうてい思えない。
 「迷ったら、苦しい方をとれ」下手すると精神主義だが、合理的な練習や努力をしているときには、金言だ。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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