12月14日毎日新聞に「小中学校・2学期制、再ブレーク? 「通知表3回もらえぬ」不人気一転… 年35時間増、授業確保に有効」という記事が載っている。働き方改革が進むなかで、新学習指導要領で増加した授業時間数をこなすには、2学期制のほうがよいということで、人気が復活しているという記事である。何故、授業時数を増やせるか、働き方改革になるかというと、始業式、終業式、通知表の回数を減らすことができるということのようだ。
これまで、通知表を夏休み前にほしいという保護者の要望があり、2学期制は不人気だったのだが、現場で望む声が多くなっているということだろうか。文科省によると、2018年度では、小学校19.4%、中学校018.6%が2学期制だが、記事によれば、来年度からはもっと増えるということだ。
しかし、働き方改革をしようという姿勢はわかるが、すっきりしないものを感じる。
始業式・終業式と通知表は多少問題が異なるだろう。学期制と絡めれば、同じように考えられるのだが、そもそも違う面がある。何がすっきりしないかというと、これらの3つを減らせるというが、始業式と終業式などは、やらなければいいのだ。そのために一日使うことはない。それは3学期制でもできる。それに対して、通知表はなくすことは難しいだろう。しかし、学期制とは無関係に、例えば年一回にすることは可能である。法令上は義務ではないのだから、なくすことも可能なのだが、学年で区切っている以上、成績の通知があったほうがいいとは思う。が、何も毎学期する必要はない。特に、最近通知表を書くこと自体が、非常に大変な作業になっていることを考えれば、負担軽減のために、学年末に一度出すことにすればよい。
もうひとつは、2学期制か3学期制かということを越えて、学期制を考えるならば、秋学期開始の可能性をこそ検討すべきであると思うからだ。秋開始は、出ては消える課題といえる。近年では数年前に東大が秋学期の開始を表明したことがあるが、社会の反対で立ち消えになっている。しかし、秋学期制のほうがはるかにメリットがあるのだ。そして、実際に国際社会のほとんどは秋学期開始であり、日本でも一時期そうしていたことがある。
ではどういうメリットが秋学期開始にはあるのか。
第一に、入学試験の実施を、最も気候的に悪い時期から、良い時期に転換できる。これまでセンター試験のときには、東北や北陸では多くの場合大雪が降って受験生が苦しんでいた。初夏に行われれば、そうしたことは防ぐことができる。また、新学年の前に夏休みがあるから、準備なども十分に余裕をもってできる。あるい放つ休みに実施すれば、高校や中学の授業を通常通り行える。
第二に、学年の途中に、夏休みという長い空白ができないので、教育活動の継続性を保ちやすい。
第三に、国際社会にあわせることになるので、留学生の受けいれ、送り出しがともにスムーズになって、国際交流をしやすくなる。国際化が叫ばれている時期に、こうした国際慣行とあわないシステムは、できるだけ是正すべきである。
このようなメリットがあるのに対して、春学期開始には、私には何の特別なメリットがないように思われる。そして、秋学期開始のメリットは、そのまま春学期開始のデメリットになっている。
こうしたことは、多くの人が同意するだろう。では、何故変更しないのか。
それは、ただこれまで長年やってきたことを変えるとなると、大きなロスが生じるし、混乱するというのではないだろうか。しかし、大いに国民的な議論をして、明確にメリットをコンセンサスとして国民が受けいれれば、全教育機関、そして企業の採用方式も、一斉に変更すればいいのである。その移行期間はわずかに半年に過ぎない。半年の移行期間をどのような形態にするかは、いろいろあるだろうが、メリットをとるためだから、可能ではないだろうか。
日本は、ある時期に、社会全体を変えてしまうようなことを、今まで何度か経験している。明治維新や戦後改革はそうだった。特に戦後改革は、極めて大きな変更であり、かつ短期間にかなり混乱もなく実行された。それは、占領軍という絶対的な力があったからで、この点でも政治家が強力なリーダーシップを発揮すれば可能なはずである。国際社会の慣行だからというだけで合わせる必要もないだろうが、明らかに不利益を被っている。国際的な姿勢が消極的になっていると指摘されている現在、そうした消極性を払拭するために、秋学期開始にして、大いに国際交流すべきではないだろうか。