日本もホームドクター制の導入を考えていいのではないか

 『プレジデント』2020年1月号に、「病院消滅の夕張で、心疾患と肺炎の死亡率が低下した理由」という記事が載っている。元夕張市立診療所所長の森田洋之氏のインタビューに基づく記事である。周知のように、夕張市は、市として破産したわけだ。もちろん、市が破産しても、無くなるわけではないし、また、倒産するわけでもない。財政や行政が、国の管理下におかれ、財政支出の削減を強いられることになる。その一環として、総合病院が無くなり、いくつかの診療所があるのみとなった。171床が19床になってしまったそうだ。そして、多くの患者があぶれ、適切な医療を受けられないようになると危惧されたが、実際には、その逆だったというのである。森田医師の話によると、「日本人の主な死因であるガン、心疾患、肺炎の死亡率は、女性のガンを除きすべて破綻後のほうが低くなっている」という。その理由が、プライマリーケア中心の医療にシフトしたからだと、森田医師は分析している。
 プライマリーケアとは、地域のかかりつけの医師が、予防から看取りまで行い、必要な場合のみ専門病院を紹介するというシステムである。夕張市では、綜合病院が消滅してしまったので、そうせざるをえなくなったわけだ。入院や手術が必要な場合のみ、札幌の病院にまかせるようにしたのだそうだ。
 その結果、無理な治療が減り、死因も老衰が多くなった。
 必要な医療はきちんと行われるべきだが、無駄な医療が少なくないことも事実だ。延命治療を本人は望んでいないのに、病院や家族の意思で行われることもある。また、不要な治療が行われることもあるようだ。私は、あまり病院にいかないし、検査もしないので、医療費はあまりかからないが、検査をすると、さまざまな治療の必要性を説かれて、受け入れざるをえないことがあるらしい。この記事でも「具合が悪くて病院にかかったら、医師の言うことは何も疑わずに信じるしかないですよね。入院して、手術もしましょうと言われたら、全部受け入れるしかない。それが過剰な医療だったとしても、多くの患者さんには判断が難しいでしょう。」と森田医師はいう。国の医療費が減らないのは、医療が日本で一番強大な宗教と化してしまっているとまで書いている。
 それは決して医師や病院だけの責任ではなく、患者側の要求もあるとは思う。今は改善されているだろうが、高齢者の医療費が無料だった時代がある。そういうときには、どんなに小さな症状でも病院にいって、まるでそこが社交場のようになっていることがあった。高齢者の医療費にも個人負担が必要となって、少なくなっていると思うが、両方の過剰を減らすためには、ここでいうプライマリーケアを実施する方向に向かうべきなのではないか、と私は常々考えていた。
 ヨーロッパでは、プライマリーケアと完全に同じかどうかわからないが、基本的には同じ制度として「ホームドクター制度」になっている。微妙なところは国によって異なるが、だいたい次のようなシステムだ。
 すべての住民は、ホームドクターに登録される。そして、いかなる体調の不良に関しても、まずホームドクターの診断を受け、簡単な治療で済むとホームドクターが診断すれば、その指示によって、治療が行われる。通常は処方箋をもらって、薬局で薬を買って、それを服用する。しかし、ホームドクターが、専門医の診断や治療が必要だと判断すると、紹介状をもって、専門病院にいく。いきなり専門病院にいくことはできない。(救急車で運ばれる場合は、別だが。)
 当然、大学の医学部での教育段階から、ホームドクターと専門医の養成は、異なるカリキュラムで進められる。専門医は、当然、心臓とか胃腸とか、脳等の分野にわかれて、専門教育を受けるわけである。専門病院での診断と治療を受けたあとは、再びホームドクターが専門病院の診断と指示に応じたケアを行うことになる。
 こういうシステムと日本のシステムは、もちろん、それぞれの長短があり、絶対的にどちらかが優れているというものではないと思う。しかし、全体としては、ホームドクター制度のほうが合理的である。
 第一に、ホームドクターは一人一人の健康状態を全体的に把握しているので、適切な判断とアドバイスをしやすい。また、長い付き合いになるので、人間的な信頼関係も築きやすい。ホームドクターは地域に根ざした医療をしているので、長く同じ場所で開業している。従って、特に引っ越さない住民であれば、30年40年の付き合いという人もいるわけだ。
 第二に、日本の大きな病院でよくあるように、専門病院が混雑することがない。確実に、その専門病院での診断が必要な患者がくるだけで、自分の判断で患者がやってくることはないから、充分な時間をとって、診察することができる。
 こうした利点に対して、もちろん欠点もある。それは、ホームドクターが、どのような疾患の徴候も見逃さず、適切に専門的診断と治療が必要な病気であると、いつでも判断できるかどうか、という点である。病気には、かなり特殊なものもあり、ホームドクターすら知らない、あるいは接したことがない病気は、少なくないだろう。また、症状があまり現われていないために、見逃してしまい、そのうちに進行してしまう場合もあるだろう。
 エルンスケという有名な写真家(日本にも何度もきて、日本の風景の写真集をたくさん発行した人)がいたが、癌であることがわかって、みずからの癌闘病記録をずっと撮影したのである。そして、そのなかで、彼は、自分はずいぶん前に、調子がおかしいので、ホームドクターのところにいったのだが、診断があいまいで、癌の検査を必要と認識しなかったので、専門的な診察を受けることができず、その間に進行してしまったのだ、と嘆いている場面が撮影されている。日本なら、自分で専門病院にいくこともできるし、他の医師に診察をしてもらうこともでてぎる。しかし、ホームドクター制度では、それは難しい。
 ただし、ホームドクター制度といっても、国によって違いがある。端的にいうと、地域指定制と選択性である。私が、オランダにいた時期には、イギリスが指定制で、オランダは選択制だった。しかも、オランダでは、複数のホームドクターに登録することも可能だったので、もしエルンスケが、複数のホームドクターに登録していれば、早期発見が可能だったかも知れない。
 医療的な長短は以上のようなことだが、社会的に見れば、ホームドクター制度のほうが、確実に医療費を抑えることができる。専門医にかかる人数が、本当に必要な人数に近づくだろうし、また、余分な治療はあまりしなくなるはずである。
 医療費の構造は、もちろん、設備や医師養成など、多くの場面での多額の費用がかかることも反映しており、単純ではないが、全面的に移行するかどうかは別として、ホームドクター的な要素を取り入れていくことは、有用であり、また必要ではないだろうか。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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