中村哲さんの死を考える

 中村哲さんは、真に日本としての誇りであり、また、世界の平和活動としても優れた典型を示していると思う。しかし、原因はいまだにわからないようで、新聞報道では、原因に切り込むような記事があまり見当たらない。そういうなかで、ふたつの文章が掲載された。
 ひとつは、2019年12月6日付けの「人道支援の医師はなぜ狙撃されたのか」という伊東乾氏の文章(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/58502?pd=all)と、12月11日付けの「アフガンの農業から考える中村医師殺害の本当の理由」という川島博之氏の文章である。(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/58527?pd=all)
 伊東氏は、何一つ悪いことをしていない中村医師が殺害されたのは、不可解であると書きながら、「同時に、そうでない現実もかいま見てしまった経験がある」から、どうしても書かねばならないということで、書いたとされる。そのかいま見た経験とは、2008年にルワンダ共和国の招きで参加した「ジェノサイド再発予防」のセミナーでの経験だそうだ。そこで、ルワンダの悲惨な経験を知ると同時に、ヨーロッパからの援助が、役に立っていない側面を見せつけられ、上からの援助という意識への疑問を感じたということのようだ。
 そして、中村医師の活動を振り返りつつ、国土を豊かにする活動をしつつも、「中村さんたちは別種の圧力と直接対峙を迫られることに」なったと書いている。ひとつは、パキスタン政府からの圧力であり、ひとつは、イスラム原理主義からは、人道援助は「伝統的なムスリムの生活に西洋文明の恩恵を導入して、人々を堕落させようとするスパイ行為である」というようなキャンペーンだという。そういうなかで、伊藤和也さんが、タリバンに拉致、殺害された。そして、それから11年、医療や土地改良をはじめ、決して「上から」「外から」ではなく「中から」「基層から」の本質的な変化があればあるほど強固な残存する反対勢力が、見えない摩擦を大きくしていた可能性も考えられる、という結論に至っている。イスラム原理主義が犯人だと断定しているわけではない。
 最後に、伊東氏は、犯人を憎むだけでは解決せず、本質的な解決に向け気の遠くなるような長い取り組みが必要であると結んでいる。
 伊東氏よりも、もっと明確に、なぜ殺害されたのかを分析しているのが、川島氏の文章である。
 アフガニスタンの食料問題が深刻であることから、川島氏は出発する。アフガニスタンの人口が、1961年には910万人だったのが、2019年には、3700万人と、4倍に増加しているそうだ。1970年代以降、アフガニスタンはずっと戦闘状態だったわけだから、それにもかかわらず、人口が4倍にもなったというのは驚きだ。
 当然、食料不足になる。そこで、中村医師は、灌漑施設を設置して、農地を拡大し、食料生産を増やそうと努力したのだが、川島氏によると、国全体としては、灌漑面積を増加していないという。2003年くらいがピークで、2018年はかなり下がっている。(図で示されている。)
 では、どうやって増加した人口を養うための食料を調達したのか。それが次の図である。
 
 食料生産はかなり上下しており、特に近年は減少気味であることがわかる。それに対して、輸入が増えている。つまり、輸入によって、食料を確保しているが、アフガニスタンの現状で、では、その資金はどうしているのか。川島氏の考えでは、それこそが、中村医師の命を奪った原因につながっているというのだ。それは、麻薬である。アフガニスタンが、現在最大のケシの栽培国であり、世界の7~8割を生産しているというのは、どこでも指摘されている。以前は、他の国が多かったが、国際的な禁止条約が実行されて減りつつあるが、1970年代からの紛争状況のなかで、特に、ソ連の進行した1980年代から、タリバンの支配、アメリカによるアフガン戦争と続く戦争のなかで、タリバンなどのゲリラ集団は、ケシの栽培で軍事力を保持していたことは、よく知られている。ケシは栽培が簡単で、しかも年二回収穫できるのだそうだ。もちろん、非合法のルートで売買されるが、灌漑施設をつくって小麦をつくるよりも、はるかに大きな収入をえることができるし、また、テロ組織が管理している。そういうなかで、農地を広げようという活動は、自分たちのケシ畑を潰していこうという、欧米の生活を押しつけるだけではなく、経済的にもうかるケシを潰すことになるわけだから、アフガニスタンを永久に貧しい状況におこうとしている企みだ、と受け取られたのではないか、だから、激しく憎んだのではないか、というのが、川島氏の分析である。そして、最後に「先進国の人間がよかれと思ってする行為が、途上国の一部の人々には「偽善」に見えてしまうことがある。今回の事件はその典型のように思えてならない。
 イスラム過激派についてはいろいろと語られているが、我々が彼らの怒りの根元を理解することは難しい。今回の事件は図らずも、我々と彼らとの間に深い闇が存在することを思い知らせてくれた。」と結んでいる。
 さて、どう考えるべきか。
 このグラフは少々古いが、先進国が途上国にしている援助がどの程度有効かというランクであり、残念ながら日本は最下位になっている。もちろん、日本の援助が役に立っていないということではない。

 しかし、上位の国は、政府の援助であるが、実際に相互の民間の援助団体が、互いに確認しあって援助内容と対象を決めていて、政府はそれを基本的に追認する形で実行される傾向があるが、日本の場合は、政府間援助が中心なので、時には民衆の反発を招くことがある。そうしたことが反映しているグラフといえる。

 さて、中村医師の援助は、そうした日本の政府によるものではなく、徹底して、アフガニスタン社会のなかに入って、アフガニスタン人と一緒に、模索しながら、農業の改良をしていった。だからこそ、アフガニスタン人の多くに受け入れられたのだろう。しかし、伊東氏も川島氏も指摘しているように、それを受け入れない人々もいた。
 アフガニスタンで農業をしても、それほど生産性がいいわけではなく、国際的には小麦は安く買えるのだから、より生産性の高い産業を起こして、小麦を輸入するほうが合理的であるというのは、決して間違いではないだろう。砂漠の多い国土だから、農地に適していないことは否定できない。しかし、そのより生産性の高い産業が、麻薬づくりということになると、賛成できるはずがない。
 ではなぜアフガニスタンで、世界の大部分を占めるようなケシの栽培が増加したのか。それは、ソ連の侵攻、そして、アメリカの侵攻に対するゲリラ活動をする集団が、資金源とするために、ケシの栽培を利用したからである。しかも、多くの先進国は、麻薬を政策的に利用したことがあり、また別の問題として、ケシからつくられるモルヒネは、医療用に用いられる薬品でもある。だから、合法的に栽培されているものもあるのだ。今回の犯行がタリバンによるものではないにしても、アフガニスタンの半分の地域を支配しているとされるタリバンは、今でもケシの栽培をやっているだろう。
 最も望ましいのは、平和になることだ。戦闘状態が続く以上、反政府勢力は、アフガニスタンでは麻薬を活用して資金源とする。
 しかし、タリバンと現政府、そしてアメリカとの間で交渉がまとまり、選挙による政治体制に移行したとしても、ケシ栽培の問題は残る。どのような国でも、現在農業だけで経済を成り立たせようと考えない。より生産性の高い工業にシフトしていく必要があると考えている。また、そもそも、農業や工業は、イスラム的秩序に反するのだろうか。イスラム教の基本は、商業原則だという説がある。それならば、商業は農業や工業を前提に成立するものだから、イスラム的秩序を支えるものだろう。もし、ケシ栽培よりもずっと生産性の高い産業が、アフガニスタンに定着するならば、麻薬に依存する経済から脱却できるし、また、それを受け入れるのかも知れない。ここらは、更に考えてみたい。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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