問題起こした人が「改善案」を作るのか? 「桜を見る会」

 国会の延長を回避し、強引に閉会にした安心感があふれた安倍首相の記者会見だった。これで、逃げきれたと思っているのだろう。あきらかに「逃げ」だった。そして、批判があることは承知しているので、「私の責任で」改善案を作るのだそうだ。同様の趣旨のことを、管官房長官もいっていた。しかし、それはおかしくないだろうか。安倍首相や管官房長官は、伝統的に、おそらく「きちんと」行われてきた「桜を見る会」を、自分の利益のために私物化した張本人ではないか。悪用した人間が、悪用したシステムを、正しい方向に改善するなどということを、信じることができるだろうか。ありえないことだ。きちんと第三者委員会を作って検討してもらう、というのが筋だろう。
 何故、そうしないのか。それは、第三者委員会を設置したら、当然資料等を提出しなければならない。そうしなければ、適切に検討することができない。しかし、資料を渡したら、私物化の実態、あるいはもっと酷い状況が、明るみに出てしまう。そんなことは絶対にさせないというので、「私の責任で」になるわけだ。そうして、廃棄などしているはずがないデータが出てくることを押さえ込もうとしているのだろう。
 安倍首相周辺の政治家の腐敗ぶりは、今日始まったわけではないが、もうひとつ残念なのは、官僚のなかで、これだけおかしなことが行われていることに対して、抗議の告発をする人が一人もいないのだろうか、という点だ。トランプのウクライナ疑惑は、実は、政府の高官たちは、みんな知っているわけだ。だから、噂としては、早くから流れたが、証拠をもって告発した政府内部の人がいたから、現在のような疑惑追及の流れがでてきた。
 森友・加計問題のときには、斎藤健農相や前川文部前次官などの、事実を語る人がでた。しかし、今回はまだ役人はみんな沈黙を守っている。今回の問題は、私の受け取りでは、森友・加計問題より、ずっと深刻である。おそらく、「桜を見る会」だけではなく、さまざまな政府関連の行事の場所選定において、癒着があるのではないだろうか。そして、それは、かなり巨額な費用の流れが絡んでいると、私は想像している。
 しかし、それは今後明らかになっていくだろうと思う。(野党がだらしなければ、その追求にまではならないのかも知れない。)

 さて、第三者委員会のような部外者が検討するのではなく、当事者たちが検討したほうがいいという分野もある。その代表は、いじめに対する対応の検討がそうだ。実際は、何か重大な事態が生じたときには、第三者委員会が設置される。しかし、これは、本当に検討しなければならないことが、回避されてしまう。第三者委員会の検討結果は、ほとんどが、その事態が、いじめによるものであったかどうかという「判定」になっている。しかし、本当にそうした「判定」が必要なら、それは裁判で審議するほうがずっと正確だろう。
 一番大事な検討は、事態が経過するなかで、関係する教師たちが、どのような行動をとり、それが何故なのか、どういう認識でいたのか、という事実の確認と、そうした行動がなぜ、重大な結果になってしまったのか、他の行動はとりえなかったのか、あるいは、他のどのような対応をすれば、防げたのか、という「当事者」でないとわからないことを出し合って、真摯に検証することによって、再び、同様のことがおきないようにできるのだ。もちろん、当人たちは、第三者委員会に呼ばれて、いろいろなことを聞かれるのだろうが、他人が聞いて判断するのと、当事者たちが、事実を踏まえて考えるのとでは、まったく違うだろう。もちろん、当事者の検討委員会に、第三者が参加することも重要だろう。しかし、現在の第三者委員会は、「判定」が目的のようになっているので、当事者たちが議論に参加することはない。

 要は、第三者委員会で扱うべきことと、当事者委員会が扱うべきことが、逆転しているということだ。
 安倍・管ラインの「検討」なるものが、どのような結果をだしてくるかは、目に見えている。人数の削減と、推薦枠の減少、その程度だろう。しかし、そうさせない野党の追求を期待する。それは、日本の政治全体のためでもある。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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