女系天皇容認の自民幹部に対する産経の反論は(続き)

 前回書き忘れてしまったことがあるので、以下補充。
 二階幹事長が、男女平等という立場からすれば、結論は容易に出てくると述べたことでわかるように、自民党の幹部ですら、現在の男系男子の立場が、男女平等に反すると考えざるをえない。そして、産経の記事「危うい自民幹部の『女系』容認論 先人たちの知恵に学べ」11.30)は、この点についても反論している。それをみておこう。まず以下のように、基本認識を書いている。

 「皇室の問題と『男女平等』を絡めた時点で、すでに理解不足だ。『女系は不可』という言葉に引きずられ、女性に対して差別的と考えているのなら、むしろ逆である。」

 逆というのならば、女系容認論のほうが、男女差別的であるということになるが、そのことには全く触れていない。女系容認論が、男女差別的であるはずがなかろう。女系容認論は、男系でも女系でもよい、という立場なのだから、まさしく男女平等の立場である。この時点で、既にナンセンスな議論を産経はしていることになるが、次をみよう。次の説明を見ると、「逆」というのは、女性のほうが優位である、ということを言いたいのかも知れない。

 「あくまでも可能性の話だが、日本人であれば女性は誰でも皇族になりうる。『陛下』の最高の敬称で呼ばれる地位につくこともあり、2人の民間人女性が『陛下』となられた。しかし男性の場合、たった一つの家系を除いては、誰も皇族になれない-というのが日本の皇室制度なのだ。」

 事実を逆にごまかした論法である。女性は誰でも可能性として皇族になりうるが、男性は皇族に生まれないとなれない、だから、むしろ女性を重んじているのだ、と言いたいのであろう。しかし、それは、「男性として皇族に生まれた者は、皇族として留まることができるが、皇族でも女性は、結婚後、皇族から離れる。」という制度の結果として起こることに過ぎない。男性は皇族であることが保持されるから、結婚した女性が皇族になるが、女性皇族は、結婚後民間人となるから、結婚相手の男性も民間人であるままだ、ということを示している。だから、そうした結果を生む制度は、やはり男女不平等なのである。 
 一系こそが大事なのだと書いたあと、次のように書いている。

 「つまり万世一系とは、世界に比類のない、連綿と続く皇位の正統性の証なのだ。
 その一系が、どうして母系ではなく父系なのかは諸説あるが、少なくとも女性より男性が優れているといった、差別的な理由ではない。それは日本の最高神、天照大神が女神であることからも明らかである。」

 前段も問題があるが、話題がそれるので、ここでは二段目に絞る。まず、万世一系であれば、父系でも母系でもいいような書き方で、どうして父系になったのかは、「諸説ある」ということなのだそうだ。そして、その諸説のなかの正しい説を明示していない。しかし、男系男子であることが、絶対的な基準であるのに、それが何故正しいのか、あるべきなのか、母系ではだめなのか、示さない。つまり、男系男子が絶対必要である理由は示せないらしい。
 しかし、何故、父系で来たのかという歴史的な説明は、充分に可能である。それは、民主主義の時代以前は、力が支配する社会であり、従って、男性が支配的地位を獲得していたからである。つまり、男女不平等な世の中だったから、父系になったわけだ。皇室や貴族以上に力によって支配した幕府には、女性将軍は一人もいない。

 男系主義が男女差別であることは、否定できないことであり、否定しようとすれば、詭弁を弄するしかないことが、よくわかる記事である。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です