女系天皇容認の自民幹部に対する産経の反論

 この問題については何度か書いたので、躊躇したが、自民党の幹部が女系天皇を容認する発言をしたこと、自民党内で波紋があったこと、そして、産経新聞が容認論への批判(「危うい自民幹部の『女系』容認論 先人たちの知恵に学べ」11.30)を掲載したことで、再度書いてみることにした。
 男系男子死守論者という言い方があるかどうかわからないが、そう名付けたくなるひとたちの議論の荒唐無稽さと、それを臆面もなく書く神経には、むしろ感心してしまう。要は、女系論は、皇室のあり方に対するまったくの理解不足によるものであり、父系で継続してきたことが、かけがえのないことなのだという趣旨につきるといっていいだろう。
 しかし、それを裏付ける議論は、本気なのかと思ってしまう部分がある。例えば、次のような文章だ。

 「令和元年は皇紀2679年だ。その間、居住面積が狭小な島国で暮らしてきたわれわれ日本人は、先祖をたどれば必ず、どこかで天皇家の血と混ざり合っている-と考えるのが自然だろう。いわば天皇家は、本家中の本家であって、われわれは分家か、分家の分家か、分家の分家の分家みたいな関係だ。それを日本人は無意識のうちに受け入れてきた。大多数の国民は自分のルーツである本家を大切にしようと思うし、本家が決めたことには従おうという気持ちにもなる。」

 日本人はみんな天皇家とどこかで血がつながっているのだそうだ。そして、そう考えるのが「自然」なのだそうだ。そもそも一系でつながっている血筋に、1億以上の人が、どこかで血縁でつながっているなどということは、荒唐無稽なことだと考えるのが「自然」というものだろう。皇紀2679年だと書いているが、日本の最初の天皇が即位したのが、2679年前だなどと考えている、歴史の専門家がいるとは思えない。
 分家は本家を大切にし、本家が決めたことには従おうとするというのであれば、何度も天皇家の間に起きた血なまぐさい争いごとは、どう考えるのか。
 また次のような文もある。

 「過去に日本人は、国が崩壊するほどの危機を、天皇を中心に結束して乗り越えてきた。端的な例が、先の大戦における終戦の聖断だろう。徹底抗戦をとなえる陸軍も、8月15日の玉音放送により一夜にして銃を置いた。そうでなければ、いまの日本はなかった。」

 冷静にみて、日本が国家的危機となったことは、元寇と先の大戦との二度であろう。元寇のときに、朝廷の人々が日本の危機を救ったというのは、どう考えても事実に反する。元寇の危機を乗り切ったのは、幕府の対応、そして、御家人たちの奮闘であって、京都の朝廷のひとたちは、単に祈っていただけだ。「終戦の聖断」が日本の危機を救ったというのは、100%間違いだとは思っていないが、むしろ終戦への流れとしては、間違った解釈というべきだろう。既に東京大空襲あたりから、終戦論が出ていたにもかかわらず、天皇がそれを抑えていたと指摘されている。もし、聖断が戦争をとめることができたのならば、その時点でとめて、その後の大きな被害を防ぐことができたはずである。

 歴史的事実の無視という点では、「万世一系」もそうだ。一系とは、一本の線でつながっているということだと書いているが、天皇の系統図をみれば、一本の線でつながっていないところは、いくつもある。一本でつながっているということは、例えは変だが、アミダクジでつながっているようなことだろう。しかし、あるところから、逆に戻って、別の系統に移らなければならない部分がいくつもある。例えば、48代称徳天皇から49代光仁天皇への移行は、どう考えても一系とは言い難い。これは、つとに指摘されるところだ。父系でつなげたということは確かにいえるが、一本の線とはいえない。なぜ、一系が貫徹できなかったのか。それは、天皇家のなかに争いごとが頻繁に起きたからだ。
 男系論の文章は、このように、むしろ歴史的事実をまったく無視して、都合のいいように変形した「虚像」を提示しているにすぎない。こういう文章を読むと、ますます、国民の総意にもとづく天皇は、男女平等な民主主義的な原則に則ったあり方に変わっていかなければならないという思いが強くなる。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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