高校野球の投球数問題

 高野連が、大会中、1週間の投球数を500級に制限するという方針を打ち出し、波紋を呼んでいる。例によって張本氏は、たくさん投げることで肩を作っていくのだから、そんな制限をしたら、完投できる投手が育たないと反対している。また別の観点から、桑田氏は、制限はするべきだが、小手先の方法になっていると批判している。個人差はあるが、投げすぎが肩に過度の負担を与え、投手生命にマイナスであることは、経験的に明らかだろう。先日、youtubeで快速球投手の回顧ビデオをみたが、尾崎が投げすぎで早く引退したことを思い出した。
 野球というスポーツは、サッカーやラグビーなどの集団競技と、全く違う点がある。それは、サッカーやラグビーはほとんどの選手が、大きな身体的負担を負いながらプレーをしているのに対して、野球は、投手だけが過度の負担を強いられる。他の選手は、試合中は、それほどの肉体的酷使はない。また、滑り込みなど以外では、危険なこともほとんどない。このことによって、試合の間隔が大きく違っている。プロの場合、サッカーやラグビーは、試合の間隔を大きく開けるが、野球は、ほぼ毎日行う。前者は、ベストメンバーを組めば、ほぼ同じメンバーで闘うことが多いと思うが、野球の場合は、野手は同じだが、投手は毎試合違う。つまり、投手は多く揃える必要があるわけである。
 ところが、高校野球の春や夏の大会は、最初のうちは、チーム数が多いから試合間隔があくが、後半になると、勝ち続けるチームは毎日のように試合をすることになる。しかし、優秀な投手はそれほど多くないし、多くのチームは一人の投手が投げ抜くことになる。もっとも、最近は、野球留学が多いチームが強豪で、そういうチームは優秀な投手を複数揃えることができるから、逆にそうした強豪チームが常に有利な立場になる。それでも本当に投げ抜くことができる投手は、チームに二人程度だろう。つまり、甲子園大会は、野球の性質上、無理のある大会なのである。昔から、甲子園の優勝投手は、プロで一流の投手になれない、と言われてきた。もちろん、例外はいくらでもあるが、優秀投手は、多くがプロに入るが、確かに確率的には、優勝投手でない投手のほうがエースになっている印象がある。その理由のなかで、連投による肩の消耗が小さくはないだろう。だから、連投が強いられるような試合運営の仕組みは絶対に変える必要があるのだ。
 その方法は、おそらく限られる。単純な投球数制限以外に考えてみる。
 第一に、試合間隔をあけることである。試合間隔をあけるためには、例えば、土日だけ試合をする。甲子園球場を使用するなら、そういう方法があるが、これはプロチームとの関係で無理だろう。あるいは、夏に集中させるなら、複数の球場を使用する。幸い関西には、プロ野球で使用する球場が複数あるのだから、複数で試合をすれば、かなり日程が楽になるはずである。また、それぞれのブロック大会で予選をして、準決勝から甲子園に移すという手もある。これも複数での同時進行だから、日程の間隔を多少あけることが可能になるはずである。更に、桑田氏は、他の大会、ソフトボールとか、軟式大会などと組み合わせることで、間隔をあける方法を提案しているが、私は、それは現実的ではないと思う。それこそ、かなり長くひとつの球場を使うことになり、球場との折り合いがつかないのではないだすうか。
 第二には、代表チームではないが、代表チームが選ばれた地域の選手であれば、投手を数名補強選手として認めることである。甲子園大会は、地域選抜のあとの全国大会なのだから、出場チームは地域代表である。地域の選手であれば、むしろ地域全体にとって、代表チーム以外からも参加者があることは、好ましいのではないだろうか。
 いずれにせよ、そのスポーツの特性、チーム構成の特性などを考慮し、最大限合理的な運営をすることが、選手たちを育てるために必要なことである。高校生の大会でも、サッカーなどは、マイナス面がないように、運営がなされているのに、何故野球はできないのか。おそらく、日本のスポーツ界が、精神主義で覆われていた時代に盛んだった野球と、ある程度精神主義の反省が行き渡った段階で盛んになってきたサッカーとの違いがあるのかも知れない。あるいは、野球は一人だけが超人的な活躍をする、そして、確かに以前はそうした超人的な投手が投げ抜いて、勝っていった。江川のように。しかし、江川ですら、選手寿命は驚くほど短かったのだ。更に、野球は南北アメリカと東アジアくらいで盛んだが、サッカーは文字通り世界中でさかんだから、そのなかで勝ち抜くには、やはり合理的な練習や試合形式が不可欠になっているという違いがあるのかも知れない。
 高野連は、あまりに非合理的な運営が多すぎる。今年の選抜日本チームは、遊撃手を6人も選ぶという、考えられない暴挙をして、早々に負けてしまった。どんなに優秀な選手でも、高校生がなれないポジションを守れば、エラーがでることは明らかで、最初から指摘されていたことだ。夏の暑さ対策に対しても、非常に後手後手であった。桑田氏のいうように、小手先の改革ではなく、全体として選手を育てる方向で改革をしてほしいものだ。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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