ヒトラー・ユーゲントのドキュメントの後編を見た。これまで、戦争末期のヒトラーユーゲントの活動については、あまり知らなかったので、非常に有益だった。それにしても、ずいぶんフィルムが残されているものだ。お互いに宣伝戦の要素が強かったので、双方が可能な限り戦場カメラマンを配置していたのだろう。
ヒトラー・ユーゲントのメンバーは、現在の中高生の年齢だが、戦況が悪化すると、どんどん実際の戦場に投入されていった。最初は、対空防衛への配置だというので、ドイツが空襲されるようになったときだろう。空襲されるということは、制空権を奪われているから、実際には敗戦濃厚ということになる。しかし、駆り出されたヒトラー・ユーゲントたちは、実際の戦闘に参加できるので、多いに喜び勇んで闘いに出ていったし、また、実際に飛行機を撃墜することもあったという。そして、勲章を受けた。そうした戦闘員のなかに、戦後ローマ法王になったベネディクト16世もいた。ベネディクト16世が法王になったときに、さかんにナチスとの関係が取り沙汰されたが、ヒトラー・ユーゲントのメンバーとして戦闘に参加していたということだ。
既に勝利は望めない状況になっていたが、若者への洗脳のためだろうか、大人の兵隊が状況を説明しても、ドイツが負けるはずがないと思い込んでいた者がほとんどだった。しかし、さすがに悲惨な状況が頻発するようになり、それを目の当たりにするようになっていく。
ビルが一部崩壊し、救出作業のためにヒトラー・ユーゲントが招集され、懸命に瓦礫などを取り除く作業をしている。女性が腕を挟まれて出られない状況になっているので、挟んでいるものを取り除こうとするのだが、無理で、その間に崩れが酷くなっていく。「お前腕を抑えておけ」といわれ、抑えていると、兵隊が彼女の腕を電動鋸で切り落とし、救出したとたんに、ビルが全崩壊したという。命は助かったが、悪夢を見ているようだったろう。
また,別の人の話。空襲があったので、森のほうに逃げた。爆撃を受けた列車が木っ端みじんになった。ある少年がよろよろやってきて、僕の背中に石があたったんだという。そして背中を見ると、銃弾を受けて大きな穴があいていた。空襲が激しくなると、ヒトラー・ユーゲントのメンバーは、死体の処理をする仕事をさせられたが、死体の写真は、決して公表されることはなかったという。かなりの分量が撮影されたようで、ドキュメンタリーのなかではたくさんの死体が並んでいる映像が何度もでてきた。
いよいよノルマンディー上陸作戦が実施され、壮烈な戦闘が行われたが、最も勇敢に闘ったのが、ヒトラー・ユーゲントの軍隊だったという。といっても、既に成長していた彼らは、退去して親衛隊にはいり、ヒトラー・ユーゲント出身者の部隊が作られていたのである。そして、連合軍を捕虜にすると、ナチスは容赦なく射殺したが、その役割をヒトラー・ユーゲントの部隊にさせた。インタビューの人は、狂信的だった、ヒトラーの虜になっていたのだと話している。捕虜を殺害したメンバーは、その後戦争犯罪者として裁かれることになる。
ヒトラー・ユーゲントから、更に兵隊が補充されていった。形式は志願という形であったが、志願しないことは許されない雰囲気があったという。そして、逃亡すると処刑されるので、勇敢に闘わざるをえなかったのである。逃亡した少年兵が後ろから射殺される写真が映されている。最後の段階では10歳の子どもまでが招集されたそうだ。
結局ベルリンが陥落し、みな敗残兵となり、捕虜になるか逃亡かであった。捕虜になった者は、多くがソ連の収容所にいれられ、労働に従事したり、あるいは、米軍の捕虜になった者は、徹底した洗脳を解除する教育を受けた。
逃亡した者の一人が、ポーランド人が住む地域に紛れ込み、そこには、強制収容所にいれられていた人たちがいたが、彼らがベッドを譲ってくれたことにショックを受けた。強制収容所を実際にみて、自分たちが知らなかった現実を初めて知ったという。ユダヤ人であることを隠して、ナチスのメンバーになっていた彼は、やはり、さまよっているときに、ユダヤ人の印をつけた人物にあったので、ユダヤ人かと聞くと、怪訝そうにいってしまった。とっさに追いかけ、突然思い出したユダヤ教の教典の一節を後ろから唱えると、そのユダヤ人が振り向き、受け入れてくれた。それから、ユダヤ人に戻る努力をしたと語っている。
最後に、インタビューに応じた人々は、自分たちが知らずに冒してしまった過ちを繰り返させないように、語り伝えることが、自分たちの義務であると考え、さまざまな活動をしていると語っていた。ユダヤ人の女性と一緒に、講演をしてまわっているとも言っていた。
全体をみて、最も憤りを感じるのは、敵を捕虜にして、ヒトラー・ユーゲントたちに処刑をさせていたことである。もちろん、それは国際法違反であって、連合国側はだいたいにおいて、捕虜の処遇に関する条約を守っている。ソ連のように、強制労働に使った国もあるが。しかし、それでも直ぐに射殺したりはしていない。そういう国際法違反行為を、自分たちでやらずに、少年たちにやらせていたというのは、あまりに卑劣な行為である。
日本でも、特攻隊は、ほとんどが若い兵隊で、学徒動員で戦場にきた者も少なくなかった。これも同じようなことだろう。ドイツでも、日本でも、全うな大人の軍人たちは、既に戦争に勝つことが不可能なことは知っていた。そういう段階で、若い兵隊に、国際法違反の捕虜射殺を実行させたり、あるいは、希望のない特攻隊を命じたりするということに、ファシズムの軍隊の特質がある。アジアの解放のために闘ったなどということが、いかにでたらめであるかがわかる。自国の青年たちを、大量に死に追いやって、他の民族を解放するなどということはありえない。
日本の子どもたちは、労働力に駆り出されたり、学校で軍事教練を受けたりしたが、実際に兵隊と駆り出されることは、私の知る限りなかったと思う。しかし、本土決戦が実行されていたら、中高生が兵隊として使われていた可能性は高い。決戦が行われた沖縄を見れば、同じことが起きただろう。
ドイツと日本の共通点は、どれだけ空襲が激しくなっても、そのことによって、戦争をやめようとか、国民を守る必要があるというような政策は出されなかったことだ。ヒトラーのほうがその点酷く、徹底していた。空襲で酷い被害を受けるのは、国民の責任であるなどと語っていた。そのようなことを政治指導者が語ったという事実は、日本では明らかになっていないが、1945年の東京大空襲で東京のほとんどが壊滅したのに、その後5カ月も戦争を継続し、原爆投下やソ連の参戦という事態を招いてしまう。犠牲者は、日々増加し、膨大な数になっていたのに、そのことをもって、戦争を終息させようという動きはなかったのである。ドイツの場合、地下防空壕にいるヒトラーの命が危なくなったとき、真剣に防衛しようとした部隊は、ヒトラー・ユーゲントだったというのは、問題の深刻さを表わしている。