文系の研究者はだれでもそうだと思うが、本が商売道具である。だからたくさんの本をもっている。当然私のその一人だ。商売道具だから捨てることはできない。単に趣味で本を読んでいるならば、読んだあと売ったり、捨てたり、あげたりしても構わない。しかし、研究のためにもっている本は、読んだあとも、いつ参照するかわからないので、保存しておく必要がある。それでどんどん増えてしまうのだ。幸い、大学に勤めているので、個室の研究室がある。そこに、家におさまらない本を多数置いておいた。しかも、悪いことに、私の父がまた大変な蔵書家で、わざわざ本を置いておくために借りていた別宅を引き上げるというので、お前が引き取れ、と言われ、何度もワゴン車を往復させて、家と研究室に運び込んだ。その頃、私の研究室は、たてに4列の本棚が並んでおり、かなりの収用力があったために、なんとか納まった。運び込んだといっても、本棚には前後2列に並べ、どの本がどこにあるのか探すことが困難な状況になっているほどだ。
この状態が、私にとって、とんでもない事態を引き起こした。東日本大震災で、3列分の本棚が倒れてしまい、本が床になげだされてしまったのである。奥にあるデスクまで、ずっと1メートルほど本が堆積することになった。たまたま、そのとき別の教室で打ち合わせをしていたので、研究室にはおらず、事なきをえたが、居たらどうなっていただろう。私が大怪我をしたというような噂も飛んだらしい。さすがに、これではいけないと思い、その後、2列分の本を図書館に引き取ってもらった。かなり研究に必要な本が多かったが、大学所蔵の本、本棚の35段分くらいあった。実は図書館としても、それは多いに困った事態だったようだ。おそらく、どこの図書館でもそうだろうが、本をおくスペースが不足している。正確には知らないのだが、図書館内の本棚におけないものを、トランクルームを借りて置いているようだ。だから、OPACで検索して借りる手続をしても、直ぐには入手できない。本を処分することは、大学としてはやるべきではないので、トランクルームはどんどん増えていくのかも知れない。
さて、私もいつまでも大学に勤めているわけではなく、定年が近づいてきたときに、本をどうするのか、考えざるをえなかった。家には、既に本棚を二重に占拠しているだけの本があり、これ以上もってくることはできない。しかし、大学には、私の本が、20段分あり、それも二重に並んでいるのである。定年になれば、すべて引き上げなければならない。以前は、個人の本を大学図書館が引き取ってくれたものだが、今は、確実に断られてしまう。個人の本を引き取れば、それだけトランクルームを余計に借りなければならないので、費用が発生するのだ。
捨てるわけにはいかない商売道具だが、とうてい置き場はない。どうしようか。トランクルーム、あるいは、部屋を借りるという手はあるが、定年後の年金生活に入るのに、そんな余裕はあるはずがない。そこで、「自炊」することにした。本を解体して、ドキュメント・スキャナーにかけて、PDFファイルにする。これを、「自炊」と呼んでいる。本をきれいに裁断できる裁断機、ドキュメント・スキャナーとパソコンがあればできる。ここ数年、少しずつ自炊をして、本を減らしている。まだまだかかりそうだ。
実は、こうした本のデジタル化は、グーグルが全世界の大学図書館の本を、すべてデジタル化するという雄大な構想をたてて、実行しだしたことがある。世界の主な大学と提携して、高性能のスキャナーを開発し、実現に向けて、グーグルは、どんどん体勢を整えていった。私は、多いに期待したのだが、大きな抵抗にぶつかった。著作権をたて、出版業界が反対したのである。もちろん、個人で反対したひとたちもいる。
こうしたこととは別に、著作権の切れた本を、ボランティアがパソコンで打ち込んで、無料で公開する試みは、世界中で行われている。おそらく最初にそうした取り組みをしたのは、グーテンベルク計画だろうと思うが、日本でも青空文庫が、かなりの著作物を既に無料で公開している。だが、これは、かなりの労力を使うもので、グーグルが開発したような高性能のスキャナーを活用すれば、もっとずっと効率的にデジタル化することができる。著作権が切れた図書は制限対象にならない。
グーグルがぶつかった壁は、「自炊業」も同じようにぶつかった。自分で自炊するのは大変だから、業者が代行してくれるサービスが、一時興隆しかけた。しかし、やはり、出版界や作家等に大反対によって、裁判が起こされ、裁判で違法であると認定されてしまったのである。その後、業者と出版界や作家との間で合意ができ、一定の条件の下で、自炊を代行することができるようになっているが、業者の数がかなり少なくなってしまい、利用しやすい環境にはない。
さて、こうしたことを長々と書いてきたのは、本はやがて、デジタルが主流になると思うし、また、そうなるべきだと思うからである。最大の理由は、ペーパーレス化が必要だからだ。世界中の書籍は、膨大な紙を使用しており、それは当然木材からとるわけで、ペーパーレスにすれば、かなりの環境改善になる。
本を多数所蔵している個人や組織にとっては、場所を開放してくれる。本の内容を保持しながら、本という物体を処理してなくすには、自炊せざるをえなかった。というより、タブレットやパソコンのなかに、数千冊、数万冊の本が入って、まったく場所をとらないのだから、実に都合がいい。探すのも楽だろう。個人がこうした自炊を行うのは、著作権上の問題はないとされている。自炊するためには、本を解体しなければならないので、本がファイルに置き換わるだけだし、私的に利用するための複写は許されている。
問題は図書館だ。ほとんどの図書館が、本の置き場所がなくなって困っている。だから、デジタル化したいと思っているはずである。国会図書館は、古い古文書などを、画像にして公開している。古文書だから、既に著作権は切れているし、校訂等の作業も入らないから、可能なのである。
図書館にある著作権がある図書をデジタル化することはできないのだろうか。これが可能になれば、スペース問題は一挙に解決するのである。
出版社が了解すれば、技術的な問題は解決できるはずである。現在でも、図書館の本は、貸し出されることが前提になっている。ただし、本は一冊、一冊、借り出されたら、返却しないと次の人が利用できない。だから、コピーを制限すれば、出版社側にとって、大きく不利にはならない。それと同じ状況であればよいはずである。サーバーに読みにいく形にして、同時には一人しか読めないようにする。あるいは、ダウンロードできるが、一定期間過ぎたら、自動的にファイルが消去されるように設定しておく。このような方式がとられるならば、現在の図書の貸し出しと同じであって、出版社側に不利になることはない。もちろん、技術的に不正をすることは可能だろう。消去されないようなソフトを開発する人がでてくるかも知れない。しかし、それは今でも図書館から借りた本を、個人ですべてコピーしてしまうことは、可能である。コピー機を禁止することはできない。
このように、図書館の本がデジタル化すれば、利用者にとって、非常に便利になる。わざわざ図書館に出向かなくても、本を借りることができることになる。
こんなことを考えながら、自炊に勤しんでいる。