沢尻逮捕は政治問題を逸らすためのスキャンダル?

 いつも興味深い論考を書く窪田順生氏が、「「沢尻エリカ逮捕は政権の指図」元首相も認めた陰謀論は本当か」という記事を書いている。https://diamond.jp/articles/-/221184?utm_campaign=doleditor
 「政権がピンチになると芸能人が薬物で逮捕される」という、耳を疑うようなことを一部の人がいっていることをとりあげているのだが、元首相である鳩山氏が、事実と認めたことに驚いて、この論考を書いたという。「沢尻エリカが逮捕されたのは、政府が、スキャンダルを隠すために、国民が関心を示すスキャンダルをで覆うためだ」という風に、鳩山由紀夫氏が書いているのだそうだ。私は、そのツイートを呼んでいないが、鳩山氏ならば、書きそうなことだとは思う。
 窪田氏は、こうした解釈をナンセンスとしつつ、この間の安倍内閣のピンチと、有名人の薬物逮捕を検証するのだが、実は、ある程度、時期的に重なるわけである。
 ピエール瀧-厚生労働省の不正統計
 甘利経済再生相の現金授受問題-清原逮捕
とここまでは、腑に落ちるというのだが、安倍首相最大のピンチであった森友・加計問題のときには、だれも逮捕されていないから、この説は、成立しないとしている。しかし、氏も書いているように、外交の問題もあり、森友・加計問題の時期には、北朝鮮のミサイル発射が何度もあった時期でもある。スキャンダル隠し説をとる人は、この北朝鮮ミサイルも、実は裏でつながっているのではないか、と考えているふしがある。かなりとんでも解釈だが、絶対にありえない話というわけではない。
 ただ、具体的にこの政府のピンチを救うために、このスキャンダルが引き起こされたということを証明するのは、極めて難しいが、既に確実にあったことがわかっている事実は存在する。それは、有名な事件だが、沖縄返還交渉が進んでいる段階で、日本政府とアメリカ政府の間に、いくつかの密約が存在していることを、毎日新聞の西山記者がつきとめ、記事にして追求した事件である。当時の佐藤内閣は、絶対的なピンチに陥ったのであるが、自民党は、なんとか問題をそらすための材料がないかと探して、西山記者に秘密文書を渡したのが外務省の女性の事務員であることをつきとめ、それを男女のスキャンダルとして大々的に宣伝することによって、世間の目をそらすことに成功したのである。西山記者が意図的に男女関係を築き、それを利用して、秘密文書を入手したのだという筋書きである。そのどこまでが本当であるかは、わからないが、まったくのでっちあげではなかったようだ。そして、何よりも、西山記者が、情報源を秘匿するということを徹底せず、外務省文書として示された文書のなかに、コピーをした人物がわかってしまうような情報が消されていなかったことによって、情報源が突き止められた。ジャーナリストとしての基本が守られていなかったという弱点があった。そうして、ピンチを切り抜けた政府は、無事予定通り沖縄返還を実現し、沖縄の本土復帰が実現した。
 しかし、西山記者の指摘していたことは、後に、アメリカの外交文書公開によって確認され、事実であったことが判明したのである。
 こうした事実からいえることは、権力者は、自分の不利を打開するために、意図的にスキャンダルを作り出して、世間の目をそらすことがあるということである。
 ただ、だから、沢尻逮捕はけしからんということには、もちろんならないし、メディアが報道するのもおかしいともいえない。ただ、大騒ぎするようなことかとはいえる。権力というのは、そういう操作をするものなのだ。そのとき、目を逸らす役割を演じてしまうことは、メディアとして情けないことだ。全体像はわからないが、テレビなどは、客観的には、目をそらす役割を演じてしまっているのではないか。
 「桜を見る会」を批判する野党は、政策的に無内容だから、こうした政府のスキャンダルをおおげさに取り上げているのだ、というような批判もあるが、それは違うだろう。現政府の政治に対する、基本的姿勢が、私物化的政治が行われているという側面があるという問題指摘なのであって、それは重要な批判である。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

「沢尻逮捕は政治問題を逸らすためのスキャンダル?」への2件のフィードバック

  1. お祭り好きの太田ゼミ卒業です。
    こんばんは。久しぶりにブログを見て、楽しく読ませていただきました。

    現在、教師8年目。4年生の単学級の担任をしています。支援を要する子が多く在籍するクラスです。

    一昨日、音楽会を終え、その感想を自分も書いてみました。保護者にお便りをと思って書いたのですが、自己満足な内容になってしまいました。もう少し再考しようと思います。
    最初に書いたこのお便りを、自分の中に留めておくことができず、でもSNS等で発信する勇気もなく、太田先生にメッセージしています。
    書くことを通して、自分の考えをまとめることは、大学の時に太田先生に教えていただき続けています。
    今後も大学で学んだことをいかしていきたいです。

    つむぐ〜音楽会を終えて思うこと〜

    4年1組のみなさん、保護者のみなさん、半年間音楽会のために、たくさんの協力をしていただきありがとうございました。

    最初に音楽を学習した日、音程がとれず姿勢や気持ちもバラバラで、とても不安になったことを今でも覚えています。4月の参観日で、音楽の授業をしました。保護者のみなさんにも様子を観てもらい”さあ、ここからだぞ。”と、自分に喝を入れて半年間やってきました。

    学年だよりを「つむぐ」としたのは、音楽会を見据えてでした。「1人1人の糸を、しっかりと同じようにつむいで、太くて丈夫な糸にする」そんなイメージでつけた題名でもあります。今、音楽会を終え、自慢の自分、自慢の友達、自慢のクラスになっているでしょうか。

    4年1組の成長を継続してみていきたいと思い、音楽会のキセキ(軌跡・奇跡)として、総合学習で自分の気持ちを書く活動も取り入れました。保護者の皆さんにも懇談会で協力していただいたことに感謝です。初めて歌と出会った5月の終わりから、今の気持ちは大きく変わったと思います。掲示を残しておくので、ぜひ振り返って見てもらいたいです。

    6月から、滝田先生にもお世話になり、歌の指導が始まりました。素直な子達ですので、歌の技能はどんどんついていきました。音程もとれるようになり、きれいな声が出せるようになりました。夏休み前には、曲の感じをつかむことができていたと思います。

    問題は夏休み明けの9月からでした。「なんとなくきれいな歌」から「伝える歌」にするのはとても難しかったです。言葉を大切に発音したり、フレーズを大事にしたり、曲想をつかんだりするのは、4年1組にとって大きな課題でした。気持ちを込めること、クラスがまとまって一つの方向に向かって歌う力が必要だったからです。
    教師の一番の仕事は、授業を教えることだと思っています。だから、私も滝田先生から教わったり本を読んだりして、合唱についてはかなり勉強しました。車では模範のCDを何度も聴きました。でも・・・・・何かが足りない。

    11月に入ってからは、授業での練習の他に、2時間目休み、昼休みも練習をしました。4年1組のために体育館を毎日お借りしました。先生方も快く貸してくださり、たくさん応援してくれました。おかげで、どんどん歌が上手になりました。息が続くようになり、広いところでも声が響くようになりました。音楽係は毎日CDを流してくれ、手伝い係はキーボードの準備と片付けを毎回やってくれました。伴奏者もピアノを素早く準備したり片付けたりと、歌以外のところでも一人一人のやる気は見えてきました。
    でも、クラスの気持ちを一つにして、伝える歌にするというのは、やっぱり大きな課題でした。

    本番を3日後に控えた11月18日月曜日。国語の授業を使って、クラスに話をしました。私の長い話を、子ども達は真剣に聞いてくれました。それは、歌の技能についてではなく、態度や気持ちの面についてでした。もしかしたら、吉岡小に来て子ども達に話す、1番長い話だったかもしれません。それでも、目を合わせて一生懸命聞いてくれました。

    子ども達の成長は突然やってきました。歌うスイッチが入ったな、と思いました。
    音楽会前日、19日の音楽集会では、初めて誰一人動くことなく合唱を披露することができました。子ども達の想いが、指揮をする私にも伝わってきました。クラスが一つになった手応えを感じました。

    音楽会当日、38人全員揃って舞台に臨みました。あっという間の7分間でした。みんなの口が開いていて、言葉をしっかり伝えていました。真剣な顔がとても輝いていて、さくらめいとに響いた歌声は、すごくきれいでした。あたたかくて、優しい、澄んだ歌声でした。
    Change!は、まさに4年1組そのものを表していました。いのちの歌は、保護者の方にも届いたと思いました。
    心を一つにして、想いをつむいだ7分間。緊張をした子もいると思いますが、本当によくがんばりました。今までで1番の演奏です。

    合唱は一人でできるものでは、ありません。みんなの声が、呼吸が、気持ちが一つになったとき、歌に想いがのります。想いがのるからキラキラします。たった数分のために、半年間かけてきました。音は消えてしまいますが、きっと、心に大きなものが残ったと思います。何年経っても色あせることなくこの音楽会を思い出せるといいな、そして、歌がいつもみんなの側にあるといいなと思います。

    頑張った自分と、一緒に頑張ってきた仲間と、支えてくれた家族に大きな拍手です。

    この音楽会を通して、子ども達の大きな成長と可能性を肌で感じることができました。これからの長い人生、子ども達には辛いことや苦しいことがあるかもしれません。自分の興味のないこと、つまらないこともあると思います。そんな時、音楽会を思い返してほしいです。頑張れる自分がいること、手を取り合える友達や家族がいること。
    もし、選択に迷ったときには、あとから振り返ったときに、自分を褒めてあげられる道を選んでほしいと思います。

    子ども達にも休日の宿題を出したので、私も同じように書きました。書き出したらすごく長くなってしまいました。私にとっても忘れられない、大切な音楽会になりました。ありがとうございました。

    4年1組で過ごす日々もあと4ヶ月です。みんなでつむいだこの絆を大切にし、また新たなことに挑戦していきます。今後とも末永くよろしくお願いします。

  2. 田島さん、久しぶり。元気そうですね。本来、今年の3月で定年だったのですが、教員免許の事情で1年延びてしまい、来年の3月でいよいよ正真正銘定年になります。このブログも定年後の活動のひとつの柱として再開したもので、本当に定年になったら、もっとしっかりしたものを、時間をかけて書いていこうと思っています。書くことは大切ですね。
    コメントの文章は、学級通信ですか? 今の学校の状況で、学級通信(あるいはそれに準じるもの)を出すというのは、本当に素晴らしいというか、大変なことですね。合唱祭の練習の様子、とても興味深かったです。ある日突然のように飛躍が起こって、まとまっていき、よくなるということは、確かにありますね。いまでもオーケストラをやっているので、そういうことは、比較的頻繁に経験しています。そういう経験をした子どもは、それが今後、いろいろなことに挑戦するときに、役立ってくると思います。また、時々実践を知らせてください。 太田 和敬

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