有名女優が違法ドラッグを所持していたということで逮捕され、メディアは大騒ぎになっている。こうしたことが起きるときに、いつも感じる疑問があるので、そこを考えてみたい。
最初に断っておくが、私は違法ドラッグの解禁論者ではないし、たばこすら吸ったことがない。ソフトドラッグ合法のオランダに2年間暮らしたことがあるが、合法のドラッグを吸いたいと思ったことも、一度もない。法律を守る必要があるというような感覚よりは、単にそういう欲求がないということであり、たばこについては、子どものころからたばこの煙が嫌だったということだ。もちろん、健康にいいはずがないし、お金も無駄になる。だから、これまで手を染めずにきた。オランダに倣って日本でもソフトドラッグを合法化すべきだとも、全然思っていない。そのことについては、別途論じてみたいが、今回は、異なる観点から考えてみる。
ワイドショーやインターネットの書き込みなどをみると、違法ドラッグがどれだけ大きな犯罪であり、社会に大きな損害を与えているか、と声高に論じている人たちが少なくない。確かに、損害を与えることは事実だ。CMを制作していた企業は、まさか違法ドラッグをやっていた人をモデルに使ったCMを流すわけにはいかないから、その制作費は損害になるし、また、企業イメージを毀損するだろうから、それも大きな被害といえる。しかし、テレビのドラマ出演については、逮捕されてしまえば、以後使うことができないのは当然としても、既に撮影した分を使わないかどうかは、局としての判断だろう。もちろん、そのまま使えば社会的反発があることは覚悟しなければならないが、法で禁止されているわけでもなく、使うことは可能なのである。
何故このようなことを書くのか。それは、犯罪といっても、だれが考えても、また時代や地域にかかわらず、犯罪であるというものと、必ずしもそうはいえない犯罪があり、ドラッグ使用は後者であるという点にある。殺人とか窃盗、詐欺は、おそらく時代や地域を越えて、また、ある種の価値観を越えて、いかなる場合でも、犯罪とされているといえる。もちろん、戦争においては殺人はむしろ奨励されるだろうが、戦時のことではなく、通常の平時における犯罪を考える。
こうした、普遍的な犯罪とは別に、社会が禁止することによって、犯罪と認定されるものも、実は少なくないのだ。速度超過で運転していて事故を起こした場合、道路交通法で犯罪とされることがある。この場合の速度とは、普遍的なものではなく、場所によって異なる。要するに、法で決めたから、従わないと違反になるわけである。40キロ制限の道路といっても、それ自体が不自然なほどに、遅い速度を強制していると感じられている道路は無数にある。そうであっても、70キロで走っていて事故を起こし、死亡させてしまったら、犯罪者になってしまうのである。
もちろん、こうした法の規制は、社会的な安全を高めるために必要だから決めているのであって、合理的な理由がある。
しかし、そういう合理性がない法による禁止も、歴史をみれば少なくない。
1920年代のアメリカには、禁酒法という法律があった。0.5%以上のアルコールを含む飲料は、製造、販売、運搬が禁止されたわけである。アメリカは宗教的な色彩が強い国家なので、植民地時代から、酒に対する規制意識が根強かったとされるが、連邦法として成立し、多くの州で批准された。しかし、結果は明らかで、逆にギャングの利益を増大させることになったわけである。(ちなみに、現在でも部分的には、残っているそうである。)もちろん、現在でも、サウジアラビアなどの厳格なイスラム教国家では、飲酒も禁止である。
合理的に考える人であれば、ほとんどの人は、こうした禁酒措置が、社会の安全を高めるとも、合理的な理由があるとも考えないだろう。
江戸時代の時代劇が好きな人は、ご禁制の密輸をしている悪人、悪徳商人が罰せられる場面を見たことがあるだろう。水戸黄門などにはよく出てくる。そして、そうした密輸にかかわる悪徳商人は、本当に悪人のように扱われ、悪人の雰囲気を醸しだしている。しかし、今の時点で考えれば、彼らは貿易をやっていたに過ぎない。貿易は、悪いことどころか、社会の発展の不可欠の要素である。では、何故最大限の悪事とされてしまったのか。それは、政府が貿易を独占するため以外に理由はない。むしろ、政府が私人の自由な貿易を禁止して、貿易を独占していたことが、江戸時代を停滞させたことは、明らかであろう。
このように、さまざまなレベルでの「犯罪」がある。
ある種のドラッグ、酒、たばこ、こうしたものを国家が禁止して、その使用を犯罪と認定するのは、決して、それが普遍的に悪いことだから、というわけではないのである。そして、製造、販売、使用など、同じものに関してでも、異なる扱いをうけるのが普通だ。未成年のたばこは禁止されているが、未成年本人が処罰されるような規定になっているわけではない。親の監督責任と、販売が禁止されている。これについても、合理的な説明はなかなか難しい。未成年に禁止するのは、健康面が主なものだろう。しかし、健康面が理由で未成年に禁止するならば、成人にだって健康面で禁止するのが合理的ではないだろうか。成人も禁止しようという議論は、強いとはいえない。
たばこは次第に広く公的な場所では禁止される傾向にある。それは間接喫煙が健康上悪いからであろう。他人に迷惑をかけるからだ。
では、違法ドラッグはどうなのか。まず健康に悪いことは間違いない。他人への迷惑はどうか。私は、そばで大麻を吸われたことがないので、間接的にどうなのか、経験的にはわからないが、当人に悪いとされるのだから、間接的でも悪いと考えるのが自然だろう。しかし、大麻以外の違法ドラッグは、注射や直接飲む形をとることが多いはずである。それは、間接的に他人に影響するとはいえない。すると、コカインなどの悪影響は、基本的には、使用当人への健康上の問題ということになる。
健康に悪影響をもたらすことが明らかなドラッグは、もちろん法律によって禁止すべきであり、犯罪として扱うことに合理的な理由がある。しかし、最も重い禁止事項は、製造、販売に関することであり、使用については、むしろ治療を中心にするほうが社会的には、合理的である。逮捕された女優は、NHKの大河ドラマで、優れた演技をしていたという。製造・販売は、人体にダメージを与えることがわかっているものを製造し、販売する行為は、他人を傷つける行為といえるわけだから、大きな犯罪行為といえるが、他人に勧めるわけでもなく、自分で使用しているだけの人は、ある種愚行権の範囲ともいえる。それをおおげさに騒ぎ立てて、社会的に抹殺することに、意味があるとは思えないのである。
そういう一方、全く違うことも考える。
常習的に使用していたとされるが、優れた演技をしていたというのは、その世界が結局甘いものだという印象を拭えないのである。そういう世界は強いストレスがあるのだ、と言われるが、そうしたストレスを克服するためには、練習しかないはずである。薬物を使用しての興奮状態でいい仕事ができるとされているとすれば、その仕事自体に求められているもののレベルが低い証拠だと思わざるをえない。一流のアスリートで、違法ドラッグに手を染めた人というのは、ほとんど聞かない。クラシック音楽の演奏家もそうだ。このふたつは、絶対的な自己コントロールと猛練習が必要である点で共通点があるが、もし、ピアニストがドラッグを使用しながら、演奏をしていたら、演奏に乱れが生じて、直ぐにばれてしまうだろう。それは、求められるものがすごく厳しい世界だからだ。ドラマをみる目も、ずっと厳しいものになれば、「ストレスがあるから」などという甘えはなくなっていくのではないか、と期待されるのだが。