『教育』2019.11を読む 通信制高校の可能性と課題

 2019年11月号は、「改革ラッシュに揺らぐ高校教育」と「教育の『無償化』ってほんと?」というふたつの特集になっている。今回は、西村貴之氏の「通信制高校の可能性と課題」という論文を素材に考えていきたい。通信制高校がどの程度の認知度があるかはわからないが、2018年度に252校、18万の生徒が存在している。公立が78校、私立が174校で、生徒の7割が私立だという。西村氏も指摘しているが、通信制高校は、全日制高校や定時制高校に通うことが、何らかの理由でできない生徒が在籍していると考えられる。例外的に、はじめから、通信制高校の魅力に惹かれて、あえて全日制ではなく、通信制を選択する生徒がいないとはいえないが、多くは、通常の高校に入学したが、不登校になった生徒であろう。私立に通う9割がそうした生徒と考えられ、年齢も通常の高校生と同じだそうだ。また、高校を中退して、高卒資格をえていない成人が、資格をとるために学ぶ者もいる。そうした生徒は、公立に多いという。
 インターネットが発達する以前は、通信制の高校は、NHK学園などの放送設備を利用するものだった。15歳で全日本パレーチームに入った中田久美選手が、NHK学園で学んでいたことは、当時話題になったものだ。放送設備を使用せず、郵送のみで学ぶ高校は、おそらくなかったと思われる。Z会のような補習的学習手段は存在したが、「学校」と認定されているものではない。現在では、インターネットを主に使用する形態がほとんどだろう。テレビやラジオと違って、インターネットは、授業映像をオンデマンドで利用可能であり、双方向のコミュニケーションが可能である点で、学校としての機能をほぼカバーすることができるから、通信制の教育機関は、今後も増え続けるだろうし、また、既存の通常の高校や大学でも、通信機能を学習手段として活用するようになっていくだろう。逆にそうした活用に取り組まない学校や大学は、評価を落としていく可能性が高い。
 例えば、大学の講義を映像に撮り、ウェブにアップロードしておけば、都合で出席できなかった学生がオンデマンドで聴講するだけではなく、一度の講義で理解できなかったことを、再度見直して、理解を深めるというような利用も可能になる。学生が、講義を不正確に理解することなど、日常茶飯事だから、こうした活用は教育の質の向上に、極めて有効だといえる。
 このように、通信制高校、現在は通信制大学もあるが、こうした学校形態は、通常では高校教育を受けられない人に、機会を与えるたけではなく、教育全体の「方法」を多様にし、豊かにする可能性が高いことが確認できる。
 さて、西村氏は、課題をいくつか提示している。
1、学習集団が流動的で、計画的に生徒の自治活動によって主体形成を促す生活指導実践ができない、と指摘しつつ、緩やかな集団性をベースに自治活動が生まれる可能性があるとも指摘している。
 確かに両面あるが、これは、高校としての指導性が試されるところだろう。直接会うことがない集団であっても、集団的な活動を行うことは可能である。パソコン用のフリーソフトなどは、まったく会わない集団によって作成されているものが多数ある。しかし、高校生が放置しても、自主的にそうした活動を始めるのは、少数だろうから、高校側の働きかけと組織が必要と考えられる。
2、通信による教育方法を活用したオプションの教育課程外の学びがウリになっているが、高校教育が空洞化する危険性があるとする。就職に役に立つ、大学合格のため、というような目的の活動があげられている。そして、EdTechなどは、可能性もあるが、「空洞化を伴う安価な高校教育の提供になる懸念もある」と氏は指摘する。ただ、空洞化の具体的イメージは書かれていない。
 空洞化に関しては、大学の側からみて、大きな問題として感じる点があるので、それを書いておきたい。成績評価の空洞化とでもいうべきか。
 通信制高校を卒業して、私の所属する学部に入ってくる学生が毎年数名いる。通常の高校に通うことが難しかった生徒に対して、大学進学の機会を提供することは大事であるし、今後も維持すべきものだと考える。しかし、受け入れる教員としては、毎年のように、議論の対象になっている。
 通信制高校の生徒が受ける入学試験の種類は、推薦入試である。大学によって入試の方法は違うが、だいたいは似たような類型で分類することができるだろう。この際問題になる推薦入試の形は、高校の成績と大学で行う試験(多くは小論文と面接、たまに学力試験を課す場合もある。)の合計点で合格を決めるものである。この入試方法は、一般的にいって、偏差値の低い高校ほど有利になる。なぜなら、偏差値の高い高校ほど、よい成績をとることは難しく、従って、成績の評点が低くなる。しかし、そうではあっても、あえてそうする意味もあるだろう。偏差値の高い高校の生徒は、一般学力試験を受ければよいことであり、学力試験ではなかなか難しい生徒に、道を開くものとして、推薦入試があってもよい。しかし、それでも、通信制高校の成績のつけかたは、これまで私が経験した限りでは、常識的な感覚では受け入れがたいものなのである。つまり、すべての科目の評価が最高点になっていて、50点満点換算すると、50点となっている生徒が多く、悪くても49点程度なのだ。偏差値の低い高校では、よい成績をとりやすいといっても、せいぜい45、46点程度だ。これは、通信制高校では、大学受験生のためには、成績を意図的に満点をつけていると考えざるをえないし、大学の教員はそのように受け取っている。
 最近は、文科省が、大学に対して「留年対策」をとるように強く指導しているので、成績チェックをする大学が少なくない。私の大学でも、単位不足になって、進級困難な学生に対する指導を日常的に行っている。必修科目の欠席が多くなってくると、直接あって相談することになる。すべてではないが、通信制高校の卒業生は、そういう形で取り上げられる率が高い印象がある。高校時代不登校で通信制に転校した生徒が、大学に入って、きちんと授業にでるようになる者もいるが、学校に通わない習慣から抜け出せない学生も、目立つのである。そうすると、どうしても、通信制高校の成績のつけかたに対する不信感がでてくることになる。そして、対応策をとることになる。もちろん、個別に通信制高校の成績を、低くカウントするというような対応をとることはできない。
 こうした問題は、やはり、なんとか改善したいものだ。双方の事情を互いに理解しつつ、また、大学の側でも、登校習慣を形成していない学生に対する、有効な指導法を模索することが必要なのだろう。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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