犯罪加害者の表現の自由1


 松井茂樹氏の『犯罪加害者と表現の自由 「サムの息子法」を考える』(岩波書店)を読んだことと、ある放送局で、犯罪加害者のドキュメントを作成することに関連する相談を受けたことがきっかけで、犯罪加害者の表現問題を考え直してみた。かなり難しい問題で、日数がたってしまった。実は、まだまだ考えがまとまったとは言い難い。そこで、部分的に少しずつだしていくことにした。
 松井氏の著作は、専門的な法律の書物で、法律的な論点を詳細に論じているが、それ以前の、単純な考え方として、この問題を考えてみたいと前から思っていた。これまでに、犯罪加害者の家族の問題を、考える機会がけっこうあったが、犯罪加害者、あるいはその家族、関係者の「表現問題」は、異なる側面からの考察が必要だろう。
 犯罪加害者自身の著作として、松井氏は以下のものをあげている。
 『絶歌』-神戸の少年A(当時14歳)による小学生2名を殺害した事件の当事者の著作
 『無知の涙』『人民を忘れたカナリア』『木橋』- 連続射殺事件の永山則夫の著作
 『霧の中』-殺害後人肉を食べた佐川一政の著作
 『逮捕されるまで-空白の二年七カ月の記録』-英国人を殺害後逃亡していた市橋達也の著作
 更に、安部穣二『堀の中の懲りない面々』や堀江貴文の『刑務所なう』も犯罪を犯して刑務所に入ったために書くことができた本としてあげている。
 私自身は、『絶歌』『無知の涙』『木橋』は読んだが、『絶歌』だけは、あえて古本を購入した。著者に印税が入ることを拒否したかったからである。『絶歌』とサムの息子法
 ただ、本人だけではなく、犯罪加害者の家族や友人、あるいは、取材した上でのルポ、ドキュメント、映画なども考察されるべきだろう。法的にどのように規制するかという問題については、私は専門家ではないので、特に踏み込まない。
 さて、こうした問題が大きくクローズアップされたのは、松井氏も書いているように、なんといっても少年Aによる『絶歌』だろう。彼については、少年院を退院する前から、メーガン法的な発想による「住所と名前」を公表せよという社会的圧力がかかっていた。しかし、法務当局は、あくまでも彼を秘密のうちに、秘密の場所に、たぶん名前を変えて住まわせる措置をとった。だから、彼の現在は、一般には知られていない。メーガン法がない以上、法務省のとった対応は適切であったし、メーガン法の議論は起きたが、「制定せよ」という大きな運動が起きたわけでもなかった。

 そのうちに、彼が著作を出すという話が流布し、被害者の家族からは、異なった対応だった。被害者を更に傷つけると拒絶する立場と、本当に反省・謝罪するならば、意味があると許容する立場とに分かれた。もちろん、後者としてもそれが果たされたかどうかは、別問題であるが。
 しかし、被害者家族に事前に被害者に知らせることもなく、突然出版された。拒絶してた被害者家族は、絶版を求めた。本の回収まで。そこで「サムの息子法」が話題になったのだが、既に出版の日2015.6.11に、見解が示されたページがある。https://note.mu/lingualina/n/nee602611698e
「日本にもサムの息子法があれば、酒鬼薔薇聖斗手記で儲けるなんて許されない」と題する記事(りんがる aka 大原ケイ)は、アメリカの法を整理して紹介しているが、松井氏によれば、日本で同趣旨の法を制定することは、法論理的にかなり困難であるようだ。印税を賠償に回せという主張もかなり出された。
 松井氏によれば、少年Aは、印税の一部を被害者に賠償として支払うと申し出たが、被害者側が断ったということだ。
 彼の両親が書いた手記『少年A この子を生んで・・・』もある。被害者家族から損害賠償訴訟を起こされていたが、両親が争わなかったために確定していた損害賠償に対して、この著作の印税をあてるとされていたので、出版に対する非難は起きなかったと記憶している。私も購入して読んだ。

本人と母親の見方の相違
 『絶歌』と『少年A この子を生んで』を今回読み直してみたが、一緒に読んで初めて気がついたことがある。少年Aが小学校時代から中学時代に、数々の暴力行為を起こして、問題となっているのだが、その同じ事件についての本人と、母親の記述が非常に異なっているのだ。少年Aはかなり酷い暴力を振るっていることを、リアルに叙述している。そうした暴力沙汰を起こすと、母親が学校から呼び出される。母親は少年Aが悪いことは承知しているので謝罪をして、子どもと一緒に帰宅する。そのあとで息子からどんなことをしたのかを聞くのだが、少年Aは、相手が悪いこと、自分はたいしたことをしていないと、いつでも言い訳をする。母親は少年Aのいうことをそのまま信じ、事態の深刻さを認識するのではなく、息子が大げさにしかられているという印象をもってしまう。そういう場面がたくさんある。『絶歌』で本人が自分で書いていることと、『少年A この子を生んで』のなかで、母親が学校から聞いた話は、それほど違っていないのだが、かなり違う息子の話に、疑いをもっていないように読める。
 『少年A この子を生んで』を出版後すぐ読んで、一番印象に残ったのは、少年Aからヒトラーの『我が闘争』を読みたいから買ってほしいと頼まれ、買ってあげた話だ。読んだ少年Aが「ヒトラーは、貧しいなかから頑張って偉い人になって、すごいね」というような読後感を語ったことで、母親はとても満足したようなことが書いてある。
母親に欠けていたもの
 子どもがヒトラーの『我が闘争』を読みたいといえば、理由を聞く必要があるし、また、読む際の注意を喚起するべきものだろう。また、読んだあと、率直に討論する必要がある。『我が闘争』を読みたいと感じている時点で、すでに大きな精神的問題、あるいは葛藤を抱えていると理解するのが普通ではないだろうか。『我が闘争』は、東方(東欧とロシアのこと)征服計画と、ユダヤ人撲滅計画についての構想を示している書物であり、後にヒトラーがその通りのことをやってのけたことが書かれているのだから、『我が闘争』を読みたいという気持ちが生じていることは、当人が既に破壊的衝動を感じていると見なす必要がある。そうした特殊な精神状況にない子どもが、『我が闘争』を読みたいと思うことは、有り得ないといってよい。私も若いころに『我が闘争』を読んだが、あくまでナチスの教育政策研究の資料として読んだわけだ。この著作がどのような意味をもっているのか、おそらく、母親は全く知らなかったし、知ろうともしなかったのだろう。私からみれば、『我が闘争』に感動した息子に共感を示した段階で、後の犯罪を肯定してくれたとの勘違いを、少年Aに与えたといっても差し支えない気がする。どんなに悪いことをしても、自分は息子の味方というのは、親としてりっぱな姿勢だと思うが、悪いことをした息子のいうことを、そのまま事実として受け取ることとは別だろう。人間は言い訳し、嘘をつく存在なのだから、特に悪いことをしてしかられたあとに、事実とは異なることを、特に親に対していうことは、ごく普通にあることだろう。しかし、そこを冷静に判断しようという「姿勢」そのものが感じられなかった。それは、学校の教師が説明したことを否定する息子の言説を、そのまま受け取ってしまう判断力と重なってみえる。
 事件を起こしたのは少年Aであり、その責任は本人にあるが(14歳は少年法で守られてはいるが、法的責任能力があるとされる年齢である)、とめられる可能性は親が最も高かったはずである。しかし、事件前に、すでに現われていた事実を考えれば、かなり深刻な状況であったにもかかわらず、親は、ほとんど認識していない。子どもを育てるには、「知識・教養」「理解力」「コミュニケーション力」が必要なのだと、改めて感じる。
 『絶歌』も『少年A この子を生んで』も読んで共感するところは何もないが、しかし、参考になる部分、考えさせられる部分は少なくない。人を育てる、あるいは相談活動をしている人にとっては、読むべき本であると思う。
 この親子は、児童相談所に通っていた。しかも、通い始めたのが、第二の殺人の少し前で、犯行後も通っていて、逮捕で中断したことになる。だから、第一の殺人の後である。まさか、殺人を犯した当人が、母親につれられて相談にくるとは、通常考えもしないだろうから、気づかなかったことを責めることはできないだろうが、こうした事実そのものは、相談活動をしている人は今後は知っているべきことになるだろう。それにしても、人を殺しておいて、まったく何事もないかのように、児童相談所で振る舞える人間性には、寒々しいものを感じる。また、相談員が「大分よくなってきましたよ」などと母親にいっていたすぐあとで逮捕されているのである。
 『絶歌』は出版物として極めて異例ずくめの本だ。有名な殺人事件の犯人が、自己形成の歴史と、かなりぼかしているが、犯行の様子と、そして、逮捕後、退院後のことを具体的に記述した本は、アメリカではもっとあるそうだが、少なくとも日本ではめずらしい。アマゾンには読者レビューがあるが、現時点で630もあり、しかも53%が星一つ、つまり、非難轟々なのだ。よほど話題になった本でも、こんなにレビューはつかないし、注目されていれば、もっとよい評価が多くなる。
 星一つのレビューを書いた人たちの本心は、こんな本を出版すべきではないというところだろう。少年法を否定し、死刑にすべきだという見解も多数書かれている。更に、本人は本当に反省し、更生したのかに疑問を呈するもの、そして、本当に本人が書いたのかという疑問もある。
 私自身、最後の疑問は読み直して感じた。両親の手記は、「構成-森下香枝(ジャーナリスト)」と奥付の前のページに書かれているから、父親の日記などの資料をもちいつつ、実際に執筆したのは、このジャーナリストなのだろう。 
 ただ、少年Aは、少年院でかなりたくさんの本を読み、その中にはドストエフスキーなどもたくさん入っている。こうした文章を読んで、文章力を磨いたのかも知れない。優れた文章とはいえないだろうが、表現にころうとしている姿勢は強く感じる。だから、おそらく本人が書いたのだろう。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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