鬼平犯科帳 密告 罪を犯す子を親はどうしたらよいのか

 鬼平犯科帳には、母子の関係を描いた物語が極めて少ない。そのうちのひとつが「密告」である。子どもが犯罪者になったとき、親はどうすればいいのか、という問題を突きつけている。練馬の元事務次官が息子を殺害した事件、また、警官を刺し、銃を奪って逃げた男が、自分の息子ではないかと通報した親、このできごとは、「密告」に描かれたことと、通じるものがある。
 ある日、平蔵に、今夜盗賊が押し込むという密告があった。時間と場所が書いてある。この手の情報提供は、たくさんあり、ほとんどがからかいやガセネタなので、出動する同心たちは、疑問をもちながらだが、平蔵はどんなときにも、それが正しいものと仮定して行動する。このときも、直ぐに出動せよと言われた忠吾は、いやいやでかける。しかし、その密告は事実で、既に盗賊たちは、家に入って殺戮に及んでいたのだが、少数を除いて捕縛された。
 盗賊の首領は、伏屋の紋蔵といい、かねてから手配中だった。顔に見覚えがあったので、昔を知る密偵の彦十に検分させると、20年以上前に無頼だった御家人横山小平太に似ていた。横山は、茶店で働いている少女お百に手を出して妊娠させたが、彼女を高いところから突き落とし、流産させようとした。怒った平蔵が、横山を打ちのめし、50両をお百に払えと強要する。しかし、貧乏御家人だった横山はやっとのことで20両ほど集めたが、病気で死んでしまい、結局、お百は、故郷に引き取られていく。無事子どもを出産したが、足を骨折していた。
 密告の紙を渡した女が、足を引きずっていたという情報から、お百ではないかと判断した平蔵は、自分が紋蔵の父親であると告げ、母親の居所を白状させるが、既にお百は盗みから逃げた盗賊に殺害されていた。紋蔵は、平蔵が父であることは信じなかったようだが、落ち着いて刑場に向かった。
 ドラマは、ひとつ大きな変更をしている。お百が子どもを生んで、故郷に帰っていったあと、平蔵はまったく会うことはなかったのだが、ドラマでは、数年前偶然に、江戸で会い、軍鶏鍋屋の五鉄で一緒に食事をする。そのとき、平蔵は、自分が火盗改めであることを告げるのだが、お百は、既に盗賊の首領の母であることから、ショックを受ける。そして、昔、餞別に平蔵からもらった簪を憶えているかと、平蔵に聞くのだが、平蔵は彦十にお金を渡しただけで、実際に何を餞別に贈ったかは知らないので、更に、お百はショックを受ける。この小説にない挿話は、ドラマに起伏を与えている。
 お百が息子を説得する場面が、二度出てくる。
 たまたま結婚相手が、盗賊だったために、お百はその手伝いをするようになっていたが、夫が普段経営していた旅籠を引き継げば、盗賊である必要はないので、盗賊の夫が死んだとき、息子の紋蔵に足を洗うように説得する。しかし、既に父親の手伝いをして、盗みの味を憶えていた紋蔵は、耳をかさない。
 二度目は、今回の鎌倉屋への押し込みをやめるように何度も説得した。原作では、かつて世話になった平蔵が、火盗改めであるから反対したと、平蔵の解釈となっているが、ドラマでは、直接会っているので、そのことがより明確になっている。
 足を洗うように説得したときには、結局、自分も息子を助けて、引き込みなどをやる女賊になっていくわけだが、残酷な犯行を重ねていることを知り、なんとしてもやめさせたいと思い、結局密告に至る。息子の紋蔵に、密告するとまでいうのだが、紋蔵は冗談だと、本気にしないで決行し、捕縛されてしまうわけである。
 母親であるし、また、それまでは盗賊家業をとにかく一緒にやってきたわけだから、いくら昔世話になった平蔵が治安を担当している江戸であるとしても、息子が捕まるように仕向けること、そしてそれは獄門を意味するのだから、大きな葛藤があったはずである。その葛藤は、原作よりもドラマでより深く描かれている。大分前としても、火盗改めとなった平蔵に会っていること、そして、原作では、仲間の盗賊の一人に殺害されているのだが、ドラマでは自分を殺しにきた盗賊を殺害したあと、思い出の簪で自殺する。息子を獄門台に追いやったのだから、自分も死ぬという行為として理解はできなる。原作では、あくまで自分を殺害にくる盗賊の手下を殺害しようとして、相討ちになってしまうのだから、そもそもお百はどのように生きようと思っていたのだろうか。
 「子は親を選べない」とよく言われるが、実は、親も「子を選ぶ」ことはできないのである。生む、生まないは選べても、生まれてくる子どもは、昔から言われる「授かり物」として、与えられる。子育てを一生懸命やっても、親の望み通りに育ってくれるわけではない。平蔵は、お百がよほど愛情をもって紋蔵を育てたのだろうと、感慨をもっていう場面があり、わざわざお百の墓を作ってやるのである。
 もちろん、望まないように子どもが育ったとしても、少なくともそのように育ててしまった親に責任はあるのだが。
 小説の終わりのところで、平蔵が妻の久栄に語る。
 「紋蔵は、わずかなところで道を踏み外した。これはおそらく、仲間が悪かったのであろう。紋蔵というやつ、つまるところは気の弱い男なのだ。なればこそ、畜生ばたらきをし、血のにおいに噎ぶのだ。真に強い男なら、悪い取り巻きのいうままにはならぬものさ。そこが、ほれ、実父の横山小平太の血をうけついているのだよ。」

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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