「鬼平犯科帳を見る」シリーズは、「笹やのお熊(小説では、「お熊と茂平」)」から入ることにした。
通常、犯罪を扱うドラマでは、犯罪が進行し(あるいは最初に終わっており)、捜査を通じて事実を少しずつ究明していく形式をとる。しかし、この「笹やのお熊」では、当初犯罪が行われていたり、行われそうになっていたりしているわけでもないのに、長谷川平蔵がそれを疑い、様々な手をうつ。つまり、当初は平蔵の勘違いなのだが、途中から、盗賊のほうで盗みの可能性を見いだして、平蔵の錯覚が事実となっていくという、非常に珍しいあらすじ構成になっている。鬼平シリーズでも、このような展開は他に見られないと思う。
またこの回では、江戸時代に関するふたつの興味深いことが展開に関わっている。
ひとつは、当時の金融のあり方であり、またひとつは、火付け盗賊改め方の捜査方針に関わることである。これは、筋の中で触れる。
まず簡単に筋を整理しておこう。
本所弥勒寺の茂平が危篤になり、寺の前の茶店「笹や」のお熊が呼ばれ、茂平から、千住の畳屋庄八に死を知らせることと、神奈川の孫娘に58両を届けることを依頼されるが、不安になったお熊が平蔵に知らせる。お熊は70歳だが、平蔵が若いころの無頼の徒だったころに、面倒をよくみていたのである。平蔵は、茂平が盗人の「引き込み」ではないかと疑い、庄八とその周辺を見張らせる。茂平の死を知らされた庄八は、茂平の遺体を引き取ったときに、弥勒寺の裕福さに目をつけ、首領のいる越谷の入升屋に知らせ、茂平の代わりに、本物の引き込みをいれる。こうした動きをすべて察知したあと、与力たちを集めて、長期戦で盗みに入るときに一網打尽にするか、事前に庄八を捕らえて白状させるかを相談する。多数意見で後者に決し、庄八が捕らえられるが、拷問に耐え、その後庄八宅を訪れたつなぎが、結局白状して、盗賊たちがほぼ逮捕されることになる。
平蔵の勘違い
平蔵は茂平が引き込みであると勘違いしたのだが、実際には、庄八の伯父であり、死んだら葬式をしてくれと頼まれていただけだの関係だった。しかし、病気で倒れていて、その後寺で世話になっているだけの男が、58両ものお金をもっていることに、平蔵は疑いをもったわけであるが、それは賭博で稼いだお金のようだった。平蔵のとんだ勘違いだったわけだが、しかしたまたま知らせる相手庄八が、盗賊だったために、それまで思っていなかった弥勒寺に目をつけることで、勘違いが現実に転化していくわけである。茂平が58両も賭博でかせいでおらず、単に庄八への知らせを頼んだだけなら、お熊は平蔵に相談することなく、庄八に知らせ、庄八は遺体の引き取りのときに弥勒寺に目をつけるだろうから、平蔵がまったく知らないうちに計画が進行したことになる。また、お熊と茂平は親しかったわけだから、賭博でのもうけを普段から語っていれば、やはりお熊が疑問をもつこともなかったろうし、また相談にいっても、平蔵も見逃していたかもしれない。そうした小さなことが、結局、お熊の不安と平蔵の勘違いを生んだことが、事件を未然に防いだという、不思議な物語なのである。
さて、作戦会議が、原作では与力6名と平蔵の間で交わされ、いろいろな意見が出された結果、おそらく多数の意見として、直ちに庄八逮捕の線が出されているのだが、ドラマでは、笹やか五鉄(協力している軍鶏鍋屋)の座敷で、平蔵、与力佐島、同心酒井の三人で相談がなされ、佐島が「お頭は既に決めていらっしゃるのではないでしょうか。ご指示を。」といって、相談している感じではない。与力集団に平蔵が作戦を相談するというところも、他の話にはほとんど出てこないのだが、実際にこのように、長官の平蔵が部下たちに相談して方針を決めることがあったのだろうか。興味深いところだが、私はやはり、長官と部下たちとの信頼関係から見ると、しばしばあったのではないだろうかと思うのである。危険を伴う、しかも大きな集団では、やはり、一人一人がやっていることに納得している度合いが強いほど、組織としての動きは効果的になるはずである。命をかけなければならない活動をしているわけだから、平蔵は、意見をくみ上げつつ、方針を決めることが少なくなかったのではないかと考えたい。
江戸時代の高利貸し
もうひとつ注目すべきは弥勒寺が狙われていると平蔵が考え、また実際に庄八たちが狙いをつけた理由が、当時寺にお金を預けておく人たちが多く、寺はそれを高利で貸し付け、あずけた人に利子を払っていた、そのために、寺はかなり裕福だったという事実が指摘されている。鬼平犯科帳では、「高杉道場・三羽烏」で、巣鴨の徳善寺が盗賊に襲われる話が出てくるが、高利貸しであくどく稼いでいるために、地域の評判が悪いという設定になっている。しかし、江戸時代の高利貸しのほとんどは武士が借り手であるためか、札差のような大手の金貸しは、あまり襲われる設定になっていない。別の側面として、借金を返済できなくなって、裕福な商家の娘と結婚する武士が、度々登場する。
江戸時代は、こうした金融業が非常に活発になった時代であるが、それは、完全に消費生活をするだけで、生産活動にまったく関与していない「武士」が、江戸には参勤交代制度のために大量に存在したことによる。領地にいる武士であれば、自らは生産活動に従事していなくても、新田開発や特産品の生産を奨励することで、生産を高めることに寄与することもできたろうが、江戸では、100%消費生活であり、かつ、格式等のために、出費を強いられる生活をしていた。収入は決まっており、増大させることは難しくかったので、どうしても借金をせざるをえない構造になっていたのである。
江戸時代の当初は金融業は、両替が中心で、文字通り両替をして手数料をとるのが主流であったが、次第に、武士に対して貸す金融業が、様々に発達していった。
他方で、現金をもっていると安全ではないと考えて、預ける場合、当初は預かり賃をとっていたと思われるが、金融業が大きくなるにつれて、資金を集めるために利子を払う預金システムが始まったのが、鬼平犯科帳では、長谷川平蔵が長官として活動を始める少し前であると説明されている。タンス預金の危険性は、盗賊にあうだけではなく、むしろ火事で失われることが大きかったようだ。江戸には大火が多く、敷地が広いだけではなく、木も多く、土蔵がある寺は、火事が起きても、安全性が高かったようだ。鬼平犯科帳では、借金取りが描かれることもあり、蛙の長助が、御家人に借金催促をしにいったときに、散々暴力を振るわれ、浪人に頼んで復習する話が出てくる。「蛙の長助)
こうした金融形態だから、江戸時代を通じて、金融業が資金を産業に投資して、産業を育てるというようなことはなかったようで、もっぱら高利で儲けていたようだ。
鰯雲
最後にどうということもないが、小説の出だしで、鰯雲が出ているのをみて、平蔵が「あの雲が空に出ると、海に鰯が集まるそうな」とつぶやくのに対して、妻の久栄が「あれ。私は、空に鰯が集まっているようにみゆるところから、その名がついたものとばかり、おもうておりましたが・・・」というと、平蔵が簡単に「そりゃ、久栄の間違いじゃ」と決めつけておしまいになる。そのあとすぐ沢田同心がお熊がきたことを報告するのである。ドラマでは、このやりとりが削られている。「おだやかな日じゃのう」などという会話があるだけである。単純に鰯雲の絵をとることができなかっただけかもしれないが、平蔵が自分が正しく、久栄が間違っていると断定していることが、平蔵らしくないということで削除したのか、細かいことだが気になっている。辞書で調べると、両説が昔からあるようで、平蔵のいっていることだけが正しいということではないようだ。平蔵のオープンで公正な姿勢を示すために、この部分を削ったとすると、小説では、与力たちに戦略の相談をするのに、ドラマでは、相談しかけるときにいるのは、佐嶋与力と密偵一人であり、しかも、佐嶋与力が、指示してくれと、自分の意見をいうことを控えているように変更されている。どうもすっきりしない。