さすがの文科省も、教師が大変だというだけではなく、完全に不足状態になっていることになって、困っているようだ。そして、なんとかしなければと思っている。そのことは、伝わってくる。今日のニュースで、教師になると、日本学生支援機構で借りていた奨学金を返済しなくてもいいようにしようという方向での予算請求をしているようだ。「【独自】奨学金の返済免除新たに 教員不足解消へ 概算要求」(FNNプライムオンライン)
このこと自体は、けっこうなことだといえるだろう。今の若い人は知らない人もいるかもしれないが、日本学生支援機構が、日本育英会といっていた時代には、その奨学金を大学でうけていて、教師になると返済免除になっていたのである。そして、奨学金はすべて無利子でもあった。教師になると返済免除というのは、戦前の師範学校時代をある程度引き継いだといえる。師範学校は、授業料は無償だったので、家は貧しいが学力がある若者が進学することが多かった。欧米のとくに小学校の教師などと較べると、日本の小学校教師は、やはり非常に優秀だった。それは、戦前のそうした教員養成制度の仕組みがひとつの要因になっているといえるのである。そして、教師は、基本的に尊敬されていたし、安定した職業、男女平等の職業として、志望者も多かったのである。
ところが、さまざまな力が働いて、次第に教職の人気が低下し、いまでも学校教育が危機的状況になるほど、教師をめぐる環境が悪化してしまった。その人気低下の大きな理由のひとつとして、奨学金返済免除制度の廃止があったといえる。
教育は、未来の人材を育てる仕事だから、優秀なひとたちを集める必要がある。また、教師になったひとたちに、最大限力を発揮して、よい教育をしてもらう必要がある。そうしなければ、人が育たないのだから、その社会が発展していかない。だれにもわかることだ。
文科省や少なくない大人社会は、まったくその逆をこの数十年やってきた。文科省がやってきたことは、教師の仕事を増やし、教師の熱意をそぐような政策(職員会議の執行機関化等)、強制的な研修の強要。大人社会では、モンスターペアレントに象徴される過度のクレーム、部活要求などにみられる教師への無償労働を含む過度な要求、教師の労働への監視的目線(教師は給食指導のため昼休みがとれないので、30分早く帰宅できるシステムになっていたが、地域住民のクレームで、30分を認められず、そして昼休みもない状態になっている。これが、教師の疲労を生むひとつの原因でもある。こうして、いまや公立小中学校は、日本最大のブラック企業といわれるようになった。
残念ながら、そうした原因を文科省が先頭にたってつくりだしてきたのだから、ブラックへの批判が強まっても、まったく有効性を欠くようないいかげんな対応策しかだしてこなかった。教師は年休を消化しにくいので、ほぼ強制的に夏休みに年休をとらせ、そこで、休みをとっており、計算上の労働時間を減らす、という方策を打ち出したときには、開いた口が塞がらないという気分だった。何も問題を解決しないではないどころか、むしろ、形式的に労働時間が減ったことになるから、解決しているかのように装い、さらに仕事を増やすかもしれない。
しかし、それだけでは、やはり批判を免れないと思ったのか、教師に一律認められている特別手当(残業代をださない代替策)の割合を少しだけ増やすという方針をだしてきた。これは、悪くはない。やらないよりはいいだろう。そして、今回の奨学金返済免除だ。こうすれば、教師の人気が向上し、教師たちの満足度が高くなると思っているのだろうか。
教師にとって、もっとも大事なことは、子どもを充分に教育できるという達成感なのである。だから、授業準備をしっかりできる時間的余裕と、職場の協調態勢がもっとも大事なのであって、それなしに、給与があがっても、教職に魅力が復活するわけではない。もちろん、そうした経済条件の改善は、やらないよりはやったほうが断然よい。しかし、それは従であって主ではないのである。主の領域で、きちんとした対応を文科省がしなければ、ますます教員不足は深刻になる他ない。