五十嵐顕考察17 教育委員会3

 教育委員会制度が、公選制から任命制にかわって、変更された要点はいくつかある。
1 委員が選挙ではなく、首長の任命によって選ばれるにようになったこと。
2 予算案提出に関する優越権が廃止されたこと。
3 市町村教育長は都道府県教育委員会の、都道府県の教育長は文部省の承認が必要となったこと。
 教育委員会は、まだ慣れないとしても、劣悪な教育条件をなんとか改善しようと頑張るところが少なくなかったといわれていた。しかし、任命制になって、ほとんど例外なく、単に事務レベルの計画した案をそのまま承認する機関になってしまったといわれている。おそらく、これが最も大きな変化といえるだろう。
 予算は最終的には議会の承認が必要だから、別建ての予算案を提出できることは、もちろん一種の特権であったが、しかし、議会の議員も首長も、住民の選挙によって選ばれているのだから、地方自治のシステムが機能していれば、教育委員会の予算優先権(拒否できる強いものではなく、単に独自提案ができる)がなくなっても、それほど大きなことではなかったと考えられる。

 そして、次に大きい影響をもったのは、3の教育長の承認制であったろう。法令上は、文部省ー都道府県教育委員会ー市町村教育委員会は同格であるとされていたが、この承認制の導入によって、事実上上下関係となった。(この承認制は、さまざまに変化して、現在は廃止されている。)
 
 その後の教育委員会の歴史において、注目する変化があったこととして、東京中野区の準公選制度がある。これも、東京都や文部省の圧力で、現在ではなくなっているが、制度を考える上で、大きな意味をもっていたといえる。
 教育委員会の公選制を支持するひとたちが、なんとか、合法的な選挙ができないかと考えたのが、準公選であり、通常の選挙とは異なる選挙(公職選挙法の適用をうけない。だから、個別訪問などもある。)を実施し、首長は、その結果を尊重して、任命する教育委員を選ぶという方式である。この方式を支持する区長が当選していたので、しばらくはこの制度が継続的に実施された。
 そして、最初に選ばれた準公選の教育委員に、著名な評論家であった俵萠子氏がいた。氏は、詳細な教育委員としての報告をメディア上に行い、著作にもなった。私は院生だったが、非常に興味深く、著書を読んだものだ。著作自体は、準公選で教育委員になったひとたちがおこなった活動の報告が主なものだが、私が驚いたのは、従来のやりかたでまず接してきた事務局の対応からみる、それまでの任命制教育委員会の実態だった。
 教育委員会は、とにかくも「行政委員会」であるから、審議して決定する、そして、それを執行する機関である。審議機関としての「教育委員会」があり、それを支える事務局機構があり、それを通常教育委員会と呼んでいる。
 俵氏も驚いたことは、まず審議時間が、それまではだいたい15分程度だったということだ。そして、新旧教育委員会で制度的にはかわらないことがあった。それは公開制である。つまり、教育委員会の審議は傍聴ができるということだ。準公選は、住民運動によって生まれたものだから、当然傍聴したいという住民が多数いた。しかし、事務局は、傍聴席をまったく用意せず、その件は以後も大きな問題になりつづけたようだ。つまり、傍聴者がくるような会議室が用意されておらず、また、用意する意思もないようだった。つまり公然と法令を無視していたわけである。当然住民からも抗議が起こった。
 
 ところで、会議、それも決定機関である会議で、少なからぬ議題がある場合、会議らしい応答があれば、絶対に15分では済まない。だいたい議案の説明だけでも、通常15分以上かかるはずである。教育問題というのは、それほど単純ではない。当然、処分問題などもあるだろうし、子どもが起こす事件などもある。優先権はなくても、予算案を作成するのは重要な役割である。
 15分で終了するということは、まったく議論などせずに、事務局が用意した案を、そのまま承認するという儀式になっていることを意味している。事実、準公選の教育委員会になって、実際議論をするようになると、数時間かかるようなこともめずらしくなくなったそうだ。
 結局、あらゆる組織に妥当することだろうが、そこに属する組織のメンバーは、自分を選んでくれたひとの方を向いて仕事をするのが普通だ。もちろん、違うひともいるだろうが、基本的には、住民に選挙で選ばれたひとは、議員であろうと市長であろうと、教育委員であろうと、住民を意識して仕事をする。任命制の教育委員は、当然、首長を意識して仕事をする。首長は行政の長だから、さまざまな権限をもっており、当然、自分を選んだ首長には、反対姿勢をとることは、稀であろう。そういう状況がながく続けば、どうせ承認することになっているのだから、めんどうな議論などする気になれないに違いない。別に住民からつきあげられるわけでもない。住民が教育委員会にクレームをつけるとしても、それは教育委員ではなく、事務機構の教育委員会である。教育委員に直接、地域の教育問題について、要求を提起するような住民は、ほとんどいないに違いない。圧倒的住民にとっては、だれが教育委員かなどしらないだろう。
 こうして、ほとんど意味のない機関になっていったのが、任命制教育委員会であり、現在でもそれほど大きな進展はないと思われる。
 
 そして、住民に選ばれた議員が構成する「文教委員会」というのが、通常存在している。こちらのほうがよほど民意を代表しているともいえるのである。つまり、制度的には、現在の教育委員会は存在理由が稀薄になっている。どうすればいいのだろうか。(続く)
  

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です