再論 学校教育から何を削るか16 入学試験2

 前回は、受験体制の弊害をみたが、今回は日本の受験制度の特徴と問題を整理しておこう。
 日本で行なわれている入学試験のありかたは、日本人にとってはあまりに見慣れた風景であるし、また生徒たちの日常を支配してきたので、これが普通なのだと思っている人が多い。しかし、世界を見渡せば、日本の入学試験制度は、かなり特異な部類に属する。尤も、日本の受験システムが、最も苛烈な競争試験だというわけではなく、世界には、日本よりもずっと受験生にとって過酷なものがある。シンガポールの選抜制度は、小学校の平常の授業から大学入試まで、敗者復活戦のほとんどない選抜システムであり、日本の比ではないといえる。しかし、戦前からの受験システムは、日本の教育の質そのものを規定するほど浸透している点で、やはり、独特であり、なくす必要があるのである。
 

日本の受験制度の特徴 
 欧米には、日本のような入学試験は、アメリカの私立大学等にしかなく、日本のシステムは極めて例外的であることが段々わかってきた。それは以下のような特徴がある。
・公立の小学校・中学校以外は、幼稚園から大学院まで、すべての段階で入学試験による選抜が行われている。
・入学試験は、進学する先の上級学校側が行う。
・問題作成、採点、合格者決定など、主要な作業は、その上級学校の教員が行う。
・入学試験は、主に、試験を行う上級学校で行うか、あるいは指定の場所で行う。
 
 こうした特徴もまた、当たり前のことだと思われているが、欧米と比較すると、日本的特質なのだとわかる。
 欧米の多くの国では、義務教育は16歳までが多く、それまでは選抜そのものが存在しない。また、欧米の私立学校は、高校段階までは、学力試験で振り落とすことは極めて稀であり、学校の求める条件(納入金、教育理念)などを受け入れれば、多くは入学可能になっている。
 小学校後や前期中等教育から後期中等教育に移行するときに、進学先が分かれることがあるが、ほとんどの場合、進学前の学校の成績が最も重要な判断材料となり、進学先の学校が競争的な選抜試験を行なうことは稀である。
 欧米の大学は、いくつかの例外はあるが、基本的には高校で卒業できれば、(ただし、大学に進学できる高校種別が限定されている国もある)大学進学が認められる。あまりに人数に偏りができる場合、調整される場合はあるが、最大限本人の希望が尊重される。ただし、入学に際しては、それほど高い学力を求められないアメリカに対して、ドイツやオランダのように、大学進学が認められる中等学校が限定され、かなり高度な卒業試験をパスしなければならない例もある。しかし、ドイツやオランダでも、学校での授業の延長としての卒業資格試験であって、そのために、ずっと塾に通うなどということはない。
 
 以上のような欧米の入学試験制度をみると、日本の学校での学習にある問題がはっきりする。大きく2点を指摘することができる。
 第一は、入学試験のために、学校で学んでいることとは別に、かなりの受験準備のための学習をしなければならないことである。有名私立中学を受験する子どもは、だいたい4年生に入塾試験を受けて、それから6年生冬の受験まで、ほぼ毎日塾通いをする。しかも、その学習内容は、小学校で学んでいることより、はるかに難易度が高い。だから、なかには学校の勉強を疎かにする者がでてくる。東京の有名進学校から東大に合格するものの半数以上は、ある特定の塾に通っているとされている。まったく塾に通うことなく東大に合格する者は、皆無ではないが、極めて稀である。
 受験に関係のない教科は、疎かにされるし、学校の教育内容が薄くなってしまうことは、避けられないことといえよう。
 勉強は、自分の興味があることを学ぶとき、最も学びがいがあるし、また、学習そのものが楽しくなる。そうした楽しい勉強を、受験はどうしても阻害することになりがちである。
 第二に、進路決定が、個々人の選択によるというより、上からの選抜によるものになってしまうことである。個人が、自由に自分の人生を楽しめる社会は、個人の選択が最大限可能になっている社会である。受験競争が支配している学校では、個人の選択は合格可能な学校から受験校を選択することに制限されている。そして、応募者のなかから、試験によって上級の学校が選抜をして、進学先が決定される。選択の要素が皆無ではないが、極めて制限されている。こうした学習体制のなかでは、勉強を楽しみ、自分の本当にやりたいことを見いだしていくことは、なかなか難しいし、見つけても途中で挫折してしまうことが少なくない。
 
 このことから、どうすればよいかは自ずと出てくる。 
 外的圧力ではなく、自分が興味のある学習が可能であること、自分の進路は自分で選択できることである。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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