昨年も、高齢者ドライバーによる死亡事故がいくつか起きて、メディアによって大きく報道された。実際には、若者によるそうした事故のほうが多いそうだが、報道は高齢者事故に焦点をあてることになっているので、目立つようになっている。
高齢者による大きな事故というと、池袋の事例がすぐに引き合いにだされるが、あの事故は、かなり特異な事例で、高齢者運転のより普通の問題を考えるのにはふさわしくない。なぜならば、池袋という交通量と歩行者の多いところ、しかも、たくさんの公共交通機関があり、もともと個人が車を運転することは比較的少ない地域で、90歳の超高齢者が運転していたという事例である。しかも、家族は免許証返納を強く勧め、本人もある程度その気になっていた。そして、エリート意識が大丈夫という気持ちを起こしていたことも十分考えられる。
しかし、高齢になっても運転をしている人は、公共交通機関が少なく、車に頼らざるをえない状況にある。そういう多くの高齢者運転に則した対応こそが必要なのである。(池袋の事例は、明らかに運転する必要がないし、運転すべきではなかったのに、傲慢な気持ちで運転をしたという点が、運転が必要な多くの人と異なる。)
だからこそ、高齢者による運転の問題は、もちろん様々な、かつ適切な対策が必要である。次の記事があったので、再度になるが考えてみたいと思った。
「高齢者の「免許返納」が減少、危険視されても車を手放せない深刻な実情」
田中 慧:清談社
今回は特に実技試験と認知症試験について考えてみたい。昨年の免許更新の事前講習で、実技試験を受けたが、75歳以上に課せられたものと厳密に同じかどうかはわからないが、似たようなものだろう。認知症試験は、まだ受ける必要がなかったが、youtubeなどに出ている問題で実際にやってみた。そうした経験を元に考えてみる。確かに、運転に必要な認知機能が落ちていないこと、そして運転に必要な身体機能が落ちていないことは、絶対に必要であり、適切な試験によって判定し、機能が運転に差し支えるほどに低下していれば、免許の取り消しも必要だからである。
まず、認知症試験については、非常に大きな疑問がある。上記記事では、認知症の認定が3段階から2段階(合格か不合格)に単純化されたことの問題を指摘しているが、私自身は、そもそもこんな試験が運転に関係あるのかと思わざるをえないのである。試験は、かなりの枚数の絵を覚えているかどうか、まず、絵を数枚ずつ見せて、間に簡単な作業(数字が並んでいるなかから、特定の数字にチェックをいれていく)のあと、どんな絵があったかを書かせるものだ。要するに、視覚的短期記憶を試している。短期記憶が低下するのが、認知症の最も主要な症状だから、認知症試験としては、有効なのだろうが、大砲の絵を覚えているかどうかが、運転に影響するとは思えないのである。運転に必要な認知機能を検査するなら、もっと別の様式のテストがあるのではないかと思うのだ。そういうテストであれば、たしかに必要だろうと思う。実際このテストを実施している側でも、あまり関連性を感じていないのが、このテストの点数はかなり低くても、別の年月日、時間を問う問題ができれば、合格率は高いそうだ。
だから、現在行なわれている認知機能試験は、意味を感じないのである。運転に必要な認知機能を検査する方法はあるという記事を読んだことがあるが、具体的には書かれていなかったので、その点については、再度調べて書くことにする。
実技試験は、必要であって、もっと厳格に行なうべきであると思う。私が受けた実技試験は、教習所で行なわれた。曲がるときの左右注意、アクセルとブレーキの咄嗟の踏み込みの適切さ、バック、等々点検事項がいくつかあった。ところが、教習所は20キロ程度しかださないから、実際の路上での運転とはかなり違う。幸い、私は失点0だったのだが、他のひとたちは、けっこうだめだったところを指摘されていた。普段運転していないからなのか、あの程度の簡単な試験で注意されるというのは、やはり、再度訓練が必要なのではないかと思ってしまう。
教習所での試験に合格したあと、路上に出ての試験にパスすることを必須とするような試験が導入されるべきではないかと思う。路上での運転の安全確認賃や適切なときどきの処置ができなければ、やはり、事故の危険性がある。そうした試験があれば、普段から気をつけるだろうし、本人も安心できるだろう。その結果、個人が負担する費用が高くなるだろうが、それは仕方ないのではなかろうか。