今年の振り返り

 2022年も最期の日になった。ステイホーム生活をしている身としては、今日も明日も特別に変わったことがあるわけではないが、一応の区切りとして、今年を振り返っておきたい。 
 ニュースとしては、最大のものは、なんといってもロシアによるウクライナ侵略戦争の開始と継続だった。まだ帰趨は見えないが、今後の世界のあり方を根本的に変えてしまう可能性がある事件だ。最も好ましくない展開は、ロシアが挑発的な攻撃にでて、NATOが参戦せざるをえなくなり、第三次世界大戦となることだろう。プーチンが、ヒトラー的な妄想主義と、徹底した自己中心的人物なら、人々をそうした戦争に巻き込むことも厭わない危険性がある。
 最も好ましい展開は、プーチンや強硬派の大規模動員への反発から、市民や軍隊の反乱が起き、ロシアがいくつかの民族共和国に分裂し、その結果できる小ロシアが、ロシアの後継国家としての位置を国連で確保できず、安全保障理事会の常任理事国から消えることである。
 しかし、いずれにせよ、来年早々に決着がつく可能性は低いが、ウクライナの勝利を期待しよう。

 
 第二は、安倍元首相の殺害である。単に安倍氏が殺害されたというだけではなく、その後の政府・司法機関、大手メディアの隠蔽の不可解さもあわせての、大きなニュースである。興味深いことに、安倍元首相の死去によって、息を吹き返したかのような検察と、相変わらず安倍派に囚われている岸田首相の対照的姿が現出した。
 特にメディアの不甲斐なさには、がっかりしたといわざるをえない。
 立花隆氏が、田中角栄の金脈をあばく記事を『文芸春秋』に載せて、大きな評判をとったとき、大手メディアの記者たちは、口々に、あんなことは知っていたよ、と語ったそうだ。知っていたことは事実だったとしたら、知ってて書かなかったことこそ、大きな恥ではないか。安倍元首相殺害にしても、同じような状況になっているような気がする。来年は裁判が始まるはずだから、真相が少しでも究明されることを臨みたい。
 
 第三は、コロナをめぐる風景がまったく変わってしまったという点だ。2020年に、新型コロナウィルスが登場したころは、患者が3桁になった位で、かなり深刻な印象を受けたし、1000人を超えると、このあとどうなると不安が広がった。そして、全国の小中高校が休校になってしまったほどだ。しかし、2022年の夏の第7波では、20万を超えたのに、それほど深刻な受け取りではなくなった。今は第8波で、死者は過去最高を記録しているのに、なんら規制をせよという声が出てこない。死者が過去最高を記録したのだから、コロナの病気としての深刻さがなくなったわけではない。この受け取りの変化は、今後8波が大きな被害を生み出すかも知れないことを考えると、早計ではないかと考えている。 
 
 皇室問題には、かなり関心をなくしたが、秋篠宮家の傍若無人ぶりと、公的なものに対するたかり体質には、呆れつづけたという感じだ。悠仁親王の筑附進学は、皇室の歴史にとっても、後日非常に重大な意味をもつことになるのではないか。いまのところ、予想通り、学力に見合わない学校に在籍したための苦労、正確にいえば醜態を示している。これは、1500年以上続いている天皇家の、次代における消滅の始まりなのかも知れないとすら思う。民主政治における王室(皇室)の存在意義を、今後真剣に問わなければならない。
 
 教育制度については、あまり大きなできごとはなかった。教師の過重労働が改善される兆しが見えなかったのは、残念である。本当に改善しようという気持ちが、行政側にあるのかすら疑わしい。
 
 個人的なことを振り返れば、書いたけれどもアップを忘れたので、翌日になったということが2回くらいあったが、とにかく、毎日ブログを書くという目標は達成した。しかし、ある程度連載ものを加筆補充してnoteに掲載することは、まったくできなかった。来年はぜひやりたいと思う。
 特筆すべきこととしては、九州まで車で旅行したことだろう。高齢者の運転としては、かなり安定していたと思う。特に印象に残ったのは、平城宮の復元工事と、山古志村の震災記念館だ。
 もうひとつ、100年ぶりに演奏されるようになった、それまで作曲家としても知らなかったハンス・ロットの曲を、演奏会でとりあげたこと。大変演奏が困難な曲だったが、音楽史について、視点が多少変わった。
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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