読書ノート『北朝鮮 拉致問題 極秘文書から見える真実』有田芳生(集英社)

 まさか安倍元首相の暗殺を予期したわけではないだろうが、時期的に見てもタイムリーな出版だった。書籍が2022年6月22日で、私が読んだ電子書籍の発行が6月30日である。この約1週間後に安倍氏は殺害された。安倍氏といえば、「外交の安倍」と称され、そのトップの課題が常に「北朝鮮による拉致問題の解決」だった。しかし、実は安倍首相は、ほとんど何もせず、ただお題目のように、拉致問題の解決を唱えていたに過ぎないことが、具体的な事例で明らかにされている。
 「極秘文書」とは、小泉訪朝によって実現した拉致被害者5人と、その後の8人の家族の帰国後、彼らに、北朝鮮での生活、拉致の模様などを聞きとった文書である。もちろん、まだ残っていると考えられる拉致被害者の救出のために、役立てようと考えて行ったインタビューだった。しかし、その記録文書は、その後極秘扱いにされ、正式にはいまだに公表されておらず、国会議員だったために閲覧可能だった有田氏が、その内容を一部紹介したのが、本書である。そうした内容については、これまでも帰国した拉致被害者から語られてきたこともあり、私にとっては特別に目新しいとは感じられなかったが、こうした内容が極秘にされたこと自体が、やはり注目すべきことだろう。北朝鮮での生活や、拉致がどのように行われたのかについては、興味のある人はぜひ本書を読んでほしいと思う
 
 私が、本書を読んで感じたことは、いかに小泉首相以降の政府が、真剣に取り組まなかったかという事実とその原因、更に「家族会」の問題などである。特に、政治家たちの責任は重いといわなければならないだろう。
 有田氏が強調していることは、日本の外交的孤立だ。国連加盟国193のなかで、日本が国交を結んでいない国は北朝鮮だけであり、北朝鮮が国交を結んでいるのは164カ国であるという。確かに、北朝鮮と国交をしていない国が29あるとしても、北朝鮮は日本の隣であり、更にかつては日本だった国である。有田氏は、こうした不正常な関係を改善して、国交正常化を大きな目標として、そのために解決しなければならない課題として、拉致問題があると考える。小泉訪朝もそうした展望をもって行われ、だからこそ、平壌宣言などがあわせて出された。北朝鮮との間には、拉致問題だけではなく、解決しなければならない問題が他にもある。戦時中に半島で亡くなった人の遺骨収集、北朝鮮帰国事業で、夫について北朝鮮に渡った日本人妻の一時帰国問題等々。安倍首相が唯一の成果としてもたらしたとされるストックホルム宣言でも、そうした問題が列記されていたわけである。しかし、小泉首相以降の自民党の首相は、すべて、国交正常化は目標として考えておらず、拉致問題についても、未確認の拉致被害者の確認など、複数の課題があるにもかかわらず、「生存者の帰国」に絞っており、それ以外のことは、新たな情報がもたらされても無視したと、有田氏は書いている。代表的な事例として、二人の男性の拉致被害者が生存していることを、新たな情報として、北朝鮮が日本に知らせてきたにもかかわらず、その確認すらまったくしなかったという。その二人は、それまで日本政府として把握していなかった人物だったので、政府が念頭においている「生存者」の帰国には該当しないからだというのだ。あまりにも杓子定規で、こうした姿勢から、特に安倍内閣は、拉致問題は、取り組んでいる「雰囲気」を出す以上のことをやる気がないと、多くの人に受け取られていたわけである。私も、そう思っている。そして、その姿勢は、菅内閣や岸田内閣にも引き継がれているというわけだ。
 
 もうひとつ、最後のほうにさらっと指摘していることがある。それは支援する人たち、そして被害者の家族会についても、偏狭な姿勢を批判していることだ。問題が長引き、政府の取り組みに疑問があることは事実であるとしても、担当者に悪罵を投げつけるようなことも、けっこう見られるというわけだ。有田氏もそうした対応をされたことがあるそうだ。当事者たちのいらだちは、感情としてはわかるが、やはり、悪罵によるプラスの効果はほとんどないのではなかろうか。拉致問題に熱心に取り組んでいたある自民党議員が、まったく係わりをもたなくなったので、後日有田氏がその理由を聞いたところ、やはり、罵られたというようなことがあったからということだった。実際には、取り組む意思をもたない政府にとって、そうしたネガティブな行為は、取り組まない口実にもなってしまう。
 しかし、有田氏も指摘しているように、核実験をしたり、ミサイル発射実験を繰り返す北朝鮮と、国交正常化することは、容易でないことは間違いない。しかも、拉致問題で国民の対北朝鮮感情は、最悪のものになっている。しかも、北朝鮮についての情報は、よいものがひとつもないといっても過言ではない。そんな国と苦労して正常化交渉するより、酷い国とは闘うのだという姿勢をみせたほうが、国民受けするのかも知れない。だが、やはり長期的には国交を結んでいける状態に改善する必要はある。
 国内問題に、外国を利用するのは外交ではない、という言葉が紹介されていたが、安倍元首相は、まさしく北朝鮮を国内問題として利用していた。拉致問題解決姿勢のイメージで支持率をあげるというのが、その典型だった。
 
 本書とはまったく関係ないが、北朝鮮のミサイル発射実験は、日本国内では安倍氏にとって、マイナスな事態が進行していて、かつ選挙が近いときに実施されることが、非常に多かった。我が家では、金正恩は安倍ちゃんの守護神なのだ、とよく冗談半分に言っていたものだ。そういう声は少なくなかった。統一教会との関係が明るみにでてくると、安倍晋三・文鮮明・金正恩というつながりがあるのではないか、という憶測も語られるようになっている。まさか、金正恩が安倍の守護神ということはないだろうが、拉致問題への取り組みを冷静にみていれば、政治を単純に理解してはならないという教訓を噛みしめる必要を再認識する。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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