指揮者とオーケストラは夫婦のようなものだというが、一点違うところがある。求婚はオーケストラの側からしかできないという点だ。オーケストラは、団員を募集し、オーディションを経て団員となる。その試験は非常に厳しい。しかし、団員になれば、団員として安定する。(1960年代くらいまでの、指揮者に強大な権限がある場合には、指揮者から解雇されることもあったようだが)そして、オーケストラから、指揮者を選んで、オファーするわけだ。もちろん、指揮者からの売り込みなどはあるだろうが、それでも、指揮者側はオファーを受けるかどうかだけだ。ただ、オーケストラとしての意志は、どこで決めるかは、オーケストラによって異なる。理事会があってそこで決める場合もあるし、ウィーン・フィルのような自主運営団体は、オフィスから選ばれた委員が決める場合もある。
オーケストラからのオファーが確実だと誤解して、その後の10年間を鬱々として過ごしたのが、ロリン・マゼールだ。ただし、その後亡くなるまでは、再び活発な指揮活動をしたから、苦悩のあとの解脱ということかも知れない。
マゼールは、とにかく少年の時から驚異的な天才で、10代になる前に有名オーケストラの指揮をし、10代では既にあちこちのメジャーオーケストラから招待されていたという、指揮者としては他にいないような経歴で、順調に地歩を固めていった。バイロイト音楽祭にも若くして招かれたし、とにかく、通常の指揮者としては修行時代である30代で、既に大家として扱われ、オペラから交響曲など、幅広い録音を残している。バロックから現代もの、また様々な国の音楽までフォローしていた。ロシア、ハンガリー、ドイツの血が入っており、民族の坩堝であるアメリカで育ったこともあるのだろう。
私がまだ学生だったころに購入したマゼールのレコードは、プッチーニの「トスカ」だった。ビルギット・ニルソン(トスカ)、フランコ・コレルリ(カバラドッシ)、フィーシャーディスカウ(スカルピア)で、評論家筋からは、あまり高く評価されない録音だが、非常に優れた演奏だ。そして、たぶん学生時代だったと思うが、これまでに、私が唯一聴いた外国の一流オーケストラのコンサートが、マゼール指揮のクリーブランドだった。外来オペラは大分聴いたので、ウィーンフィルも生で聴いたことがあるのだが、(ボリスゴドノフ、フィガロの結婚、バラの騎士)なにしろボックスに入った音を聴いているので、ウィーン・フィルを聴いたような感じはしなかった。1970年代の前半期だったと思うが、そのころの日本のオーケストラは、N響以外は閑古鳥がないており、技術的にも今よりずっと劣っていたから、クリーブランドの音は、まったくの驚きだった。オーケストラって、こんなにも張りのある、大きな音がするのか、というレベルのことにびっくりしたわけだ。東京文化会館の5階席だったが、まるで普段聴いている東京都交響楽団とは違う音が響いた。
その後いくつかの作品、特にオペラを、CDで聴いていくうちに、ずいぶん変わったことをしたがるひとだという印象が長く続いた。それはオーケストラ団員にも同様だったようで、ジョージ・セルの後継としてクリーブランドの指揮者になったわけだが、ベートーヴェンの全集を録音するに際して、マゼールがあまりに異色の演奏をしようとするので、団員たちが申し入れをしたそうだ。「自分たちはセルの下でオーソドックスな演奏をしてきたので、あなたの解釈についていけない。どうしてもそれを変えないなら、演奏を拒否する」というような趣旨だったらしい。そこで、マゼールは、それを受け入れて、あまり突飛なことはしないベートーヴェンを演奏したというのだ。いくつかの演奏を聴いたが、確かに妙なことはしていないが、しかし、伝統的とは違う演奏だ。やはり、マゼールだなと思わせる。
では、マゼールとはどんな指揮の特質があるのか。私の主観的な受け取りだが、一言でいうと、マゼールは、音楽を楽譜に記された音符を、物理量としての音に返還する行為であると思っているのではないかということだ。フルトヴェングラーのように、音楽に思想性を付与させようとしたり、あるいは、そんなことには目もくれず、音の美しさを追求したカラヤンとも違って、音そのものの配分やバランスにとにかく重きをおいている。従って、音楽が極めて明晰に聴こえるが、感情のようなものが聞き取れないのだ。
たとえば、ベートーヴェンの田園交響曲の1楽章は、「田舎に到着したときの愉快な感情の目覚め」と作曲者自身によって、説明されている。有名なブルーノ・ワルターの田園だと、確かに浮き浮きした気分が醸しだされているのを感じる。しかし、マゼールの田園の演奏を聴くと、正確に楽譜を音にしているけれども、田園地帯についたときのそうしたした感情がまったく起きないのだ。第2楽章は、「小川のほとりの情景」となっているが、おそらく親しいひとたちと小川を散策して、美しい自然や鳥の鳴き声を聞いてうっとりしている様子が、音楽からは思い浮かぶが、これも小川が流れているなかを散歩しているというよりは、弦楽器の16分音符がゆらゆらと鳴っている音が聞こえてくるが、その音量調整が見事だろうと言われている感じだ。もちろん、つまらない演奏なのではない。音の抑揚もついているし、様々な楽器の音が聞こえてきて、その都度バランスが変化して、聴いていて面白いのだ。だが、情感よりは、音という現象に関心が向いてしまう。マゼールも、これまでにない音のバランスや、これまであまり目立たなかった音の強調(発見)に関心があるように感じてしまう。
では、何故そのような印象を与えてしまうのだろうか。それを考えてみる。
マゼールは、その指揮テクニックのレベルの高さは、抜きんでていたらしい。とにかく、指揮棒を使って、どのように表現すべきなのかを、正確に楽団員に伝えることができたらしい。マゼールの映像はあまりみたことがないのだが、N響を指揮したチャイコフスキーの4番の映像があったのでみたところ、晩年なので、身振りは小さかったが、確かに、N響を思いのままにコントロールしていた。この曲は、交響曲のわりには、頻繁にテンポが変わるし、マゼールのテンポの動かし方がかなり大きかったが、まったく破綻する感じもなかった。カリスマ的オーラも影響しているだろうが、確かに指揮テクニックのすごさはわかった。
しかし、この指揮テクニックのすごさが、逆に、情感の欠如という結果を生んでいるのではないかと思うのである。
カラヤンも指揮テクニックは高度だと、岩城宏之氏がいっていたが、カラヤンの場合、指揮の本質は、演奏者を解放することだと、常々語っていたという。つまり、演奏者が表現したいことを引き出して、自由に演奏させながら、指揮者の音楽表現に包み込んでいくというのが、指揮の理想だというわけだ。だから、演奏者が望んでいないことを、強制したりしないし、また、演奏者の意図を無視して、自分の解釈に従わせることもない。だから、カラヤンが指揮をすると、演奏者たちは、自分を解放して、表現したいように、存分演奏するわけだ。そうすると、そこに豊かな感情表現が生まれてくる。
ところが、マゼールは、とにかく細かいところまで棒でコントロールするので、オーケストラは棒にあわせることで、指揮についていこうとする。それは、この位の音量で、ここからこのくらい速度をあげ、ここでは、他の楽器が表に出てくるので、自分たちは控えめにとか、そういうことのより微細な調整をしながら演奏しているのではないか。しかし、それでは、演奏者から出てくる自然な情感の発露はうまれそうにない。
自発性を重んじるカラヤンの後継者を選ぼうというとき、ベルリンフィルが、最終的にマゼールを選ばなかったのは、やはり、あまりに完璧にコントロールするマゼールを、自分たちのシェフにすることには抵抗感があったのではないかと思うのだ。マゼールはウィーンを追い出される形で辞めたが、その後任にアバドがなり、また、絶対に自分だと思っていたベルリンフィルの音楽監督に、アバドがなった。これは、マゼールにとって、筆舌に尽くしがたいほどの衝撃であり、ベルリンフィルとの決まっていた演奏会をすべてキャンセルし、その後10年間、ベルリンフィルからの依頼を断り続けた。その10年間は、マゼールの精神状態がおかしかったという話もある。
それにしても、単にベルリンフィルから指名されなかったからという理由で、それほど落ち込むものなのだろうか。それとも、2回もアバドにさらわれたからだったのだろうか。もちろん、他の候補者たちは、そうした落ち込みはみせなかった。
ウィキペディアによると、癒しのためなのか、環境問題に取り組んだり、チャリティーコンサートなどに取り組んだという。五島みどりも、精神的に落ち込んでいた若いころ、慈善コンサートに積極的に取り組んだが、立ち直るために慈善活動は有効なのだろうか。
作曲活動にも取り組み、新作オペラが、イギリスのロイヤルオペラで上演されており、DVDも発売されている。(未聴)しかも、原作がジョージ・オーウェルの「1984年」だ。カラヤンやアバドは単なる指揮者だが、俺はオペラの作曲だってできる、という自信回復のためだったとは思わないが、かなり評判になったようで、癒しに大いに寄与したとは思う。
精神的に立ち直ったマゼールは、ベルリンフィルの客演にも復帰し、3度目のマーラー全集(バーンスタインについで2人目)を完成させたり、尊敬される巨匠になっていった。以前も大指揮者ではあったが、あまり巨匠という雰囲気ではなかったような気がする。
挫折はあったが、幸福な生涯として終えたのではないだろうか。