矢内原忠雄論をどういう視角で書くか、ずっと模索してきた。私は、キリスト教徒でもないし、また、経済学者でもない。だから、キリスト教徒としての矢内原忠雄から、詳細に学ぼうとは思わない。もちろん、矢内原が、どんな圧力にも屈せず、信念を貫き通すことができたのは、キリスト教の信仰によるのだから、そこを無視することはできない。何かを明らかにするために、戦中リベラルである矢内原忠雄と戦後リベラルの代表的人物である丸山真男を対比することで、見えてくるものがあると考え、「矢内原忠雄と丸山真男」という文章を書いてきた。そのなかで、二人の社会状況、政治状況との関わりに大きな差異があることに気づいた。矢内原は、東大教授に就任以来、単に植民政策の研究者、そしてキリスト教徒として以外、様々な分野に意見を発してきた。矢内原全集では、『時論』というカテゴリーでまとめられた文章が多数含まれている。専門の植民政策の研究も、時の植民地政策の批判的研究である。だから、現実の政府の政策に対する批判が柱となっている。
それに対して、丸山真男は、戦後言論界のチャンピョンのように扱われているが、実際に、政治の現実に対して、具体的に批判したり、あるべき方向性を示すような文章は、極めて少ない。全面講和か単独講和かという問題に対して全面講和論を展開したこと、そして、安保騒動で、強行採決以降論陣を張ったこと以外には、実はあまり時局に対する文章はほとんどない。もちろん、広い意味では、『現代政治の思想と行動』に収められた論文の多くは、現状批判を意図していると考えてもよいかも知れない。しかし、それでも、多くは、歴史的な媒介を経ての批判になっている。「第一部現代日本政治の精神状況」を構成する有名な論文、「超国家主義の論理と心理」「日本ファシズムの思想と運動」「軍国支配者の精神形態」など、みな戦前の分析である。
知識人としての丸山真男を論じた都築勉『戦後日本の知識人 丸山真男とその時代』は、その最初の部分で知識人について論じているが、要するに、知的に秀でた人たちという以上のものではない。インテリと知識人の相違は、パラダイムを創造するか否かという規準をたてているが、それは、知的創造性の高低を論じているに過ぎないように思われる。逆にいうと、丸山真男は、多くの人が考える、何か知的職業に関わるだけではない、何かをもっている知識人であるかが、否定も含めて問われる存在であったということになる。本論になっても、都築は、丸山のインテリとは違う知識人について提示しえたとはいえない。
結局、丸山真男は、知識人ではなかったという漠然とした印象を、私はもつようになった。そして、知識人論として、私には代表的なものと思われるエドワード・サイードの論を土台にして考えてみたわけである。すると、矢内原忠雄は、まさしくもっとも優れた知識人の一人であり、丸山真男は、知識人ではなく、研究者であるという評価にならざるをえない。もちろん、それは、丸山真男の価値を低めているわけではない。丸山が、極めて優れた日本政治思想史の研究者であることは、誰もが認めるだろう。しかし、サイード的な知識人とは、明らかに異なっている。
では、サイードの知識人とは、どのようなものか。(エドワード・サイード『知識人とは何か』平凡社ライブラリーによる)
サイードは、知識人の重要な性格をいくつもあげているが、まずは「アウトサイダー」「アマチュア」「現状の錯乱者」といっている。(p11)
知識人であるためには、いかなる組織の「代弁者」、つまり、その組織に誤りがあっても、正しいと強弁しなければならないような意味での組織の代弁者であってはならない。アウトサイダーとは、そういう代弁者とならない、自立的な人間であるという意味である。あるときには、「亡命者」ともいう。「 わたしが焦点をしぼりたいのは・・・亡命者ゆえに社会適応できない、いや、もっと正確にいうと、社会適応をよしとしなかった知識人、それも、主流から離れたところにいるのを好み、折り合いをつけることもなく、体制側にとりこれまることもなく、抵抗をつづけた知識人」である。(p92)アウトサイダー、亡命者の利点として、まず、アドルノをひき「もはや、故郷をもたない人間には、書くことが生きる場所となる。」ということ。そして、「ものごとをただあるがままにみるのではなく、それがいかにしてそうなったのかも、みえるようになるということだ。」(p105)そして、「 亡命者とは、知識人にとってのモデルである。」とまでいっている。(p109)
アウトサイダーであるということは、「国家と伝統から離れて」(第二章の題名)を意味する。
「知識人がなすべきことは、危機を普遍的なものととらえ、特定の人種なり民族がこうむった苦難を、人類全体にかかわるものとみなし、その苦難を、他の苦難の経験とむすびつけることである。・・つまり、自分の民族をおそった惨事を、他の民族がこうむった同じような経験とむすびつけないかぎり不十分である。」(84) 知識人にとってみれば、自分自身の民族的・国民的共同体の名のもとになされる悪には目をつぶり、あとはただ自国民を擁護し正当化しておくほうが、気が楽であるし、そのほうが人から憎まれずにすむ。」(p83)
これは、言い換えれば、普遍性を求めることでもある。自国民に有利だとか、自分の敵に対抗するため、というような判断規準から、完全に自由になることを意味する。アウトサイダー、亡命者はよるべき国家がないということだが、それは、もちろん、国籍をもってはならないということではない。
サイードは、共同体にとらわれることによって生じた、最も大きな不幸は、日本人であったとしている。明治維新から軍国主義イデオロギーに立脚した国家になっていく過程で、「天皇制イデオロギー」が創作されたが、それは知識人によるものだったからである。そして、そのまとめとして、戦後の日本は「悔恨共同体」としての知識人が成立したという、丸山真男の説を紹介しているのが、興味深い。しかし、丸山のいう「悔恨共同体」が、サイードの知識人であるかは、吟味が必要である。
「アマチュア」とはどういうことか、そして、何故知識人の条件となるのか。サイードは、専門家としての立場こそ、知識人に最も阻害要件になるとまで書いている。つまり、専門家というのは、狭い領域で活動する。そして、利益や褒賞によって動かされる。だいたい専門家は、大学に所属したり、あるいは政党に奉仕したり、シンク・タンクで雇用されたり、と組織に依存して働くとことが多い。それに対して、アマチュアリズムは、「専門家のように利益や褒賞によって動かされるのではなく、愛好精神と抑えがたい興味によって突き動かされ、より大きな俯瞰図を手にいれたり、境界や障害を乗り越えてさまざまなつながりをつけたり、また、特定の専門分野にしばられずに専門職という制限から自由になって観念や価値を追求することをいう」というわけだ。そして、優れたアマチュアとして、ノーム・チョムスキーをあげている。チョムスキーは、優れた文法学者として、歴史にも残る存在であるが、もちろん、サイードがいっているのは、ベトナム戦争に対する有力な反対者であり、専門家よりもずっと信頼でき、正確なベトナム戦争に関する資料をまとめてあげた非専門家としてである。そして、アメリカのイラク戦争は、ほとんどのアメリカの「知識人」も含めて、賛成の立場にさせたが、そのなかでも、毅然と反対の立場にたったごく少数の知識人として、チョムスキーがいた。イラク戦争は、アメリカ政府によっても、間違った戦争であったことが、認定されている。
私は、かつて、パソコン通信の思想を扱う会議室の責任者をやっていたことがあるが、ここでの議論の最大の魅力は、専門家と素人が、対等の立場で議論をして、しばしば専門家が劣勢になることであった。匿名の議論だから、本来専門家であるかどうかはわからないのだが、専門家であると自認している人は、それを表明したがるものである。実名で専門家として議論に参加する者もいた。思想の議論には、やはり、深く考えることだけが求められ、専門家であるかどうかは、ほとんど議論の深さに影響しなかったのである。専門家は、どうしても、専門領域の様々な前提に縛られた発想をするために、そうした縛りのないアマチャアに揺さぶられてしまうのである。そうした経験から、知識人はアマチュアであるというサイードの見解には、まったく共感する。
「現状の錯乱者」とは何か。
これは、第五章「権力にたいして真実を語る」で詳細に論じられている。サイードは、権力からおこぼれを頂戴するようなことは峻拒する、真実を語ることのリスクを背負う、妥協なき言論の自由と表現の自由を死守する等をあげている。そして、「最も姑息なのは、他民族文化における悪弊を声高に告発しておいて、そのくせ自民族文化におけるそれとまったく同じ悪弊には目をつぶるというやり方であろう」といって、その例としてトクヴィルとJSミルをあげている。トクヴィルは、アメリカの民主主義を礼賛しながら、フランスの植民地統治の批判をしない、同様にミルはインド統治の問題を指摘しないということだ。ただし、トクヴィルもミルも、十分に状況を知ることは難しい立場と時代であったことを、若干サイードは考慮しているが、十分に情報がえられる現代でも、そうした「知識人」がいることを批判している。
これは、日本人にも見られる。中国のチベット支配やウィグル統治を批判しながら、日本の朝鮮植民地統治を是認するような論である。
権力に真実を語るとは、ほとんどの場合は、権力を批判することになる。しかし、権力に甘い見解を表明するほうが、実利的に得るところが多い上に、精神的に楽だとサイードは指摘する。そして、マッカーシズムとか、クウェート占拠などによって、それまでの見解を反転させた「知識人」が多いことを指摘している。日本でも、イラクのクウェート占拠とその後の湾岸戦争は、日本の知的ムードと知識人の在り方を大きくかえたことは、記憶に鮮明に残っている。
以上、普遍的な真実に執着し、権力に真実を言い続ける、そのためのリスクを背負うのが、知識人であるというのがサイードの主張である。このような観点から、再度、矢内原忠雄と丸山真男を検討していくつもりである。