“尊厳”とは「尊く厳かで、侵しがたいこと」と広辞苑に記されている。これを踏まえると、「人間の尊厳=人間とは尊い存在であること」と考えることができる。つまり、尊厳が守られている状態とは「自分は価値ある人間だ」と“思える状態”であると私は考える。逆に尊厳が守られていない状態とは何か。単純に、守られている状態の逆であると考えれば、「自分は価値ある人間だ」と“思えない状態”のことである。
では、どのような時に尊厳が侵されてしまうのか、私のテーマである「視覚障害」の観点から考えてみようと思う。
障害者への支援、点字や音声信号など、特に視覚障害者への支援はかなり昔から様々なことが行われてきた。しかし、視覚障害者の全員が点字を読めるわけではなく、音声信号の設置も義務付けられていないので、その普及率もさほど高くない。ある調査によれば、視覚障害者とそうでない人の外出頻度とその距離には大きな差があるという結果も出ている。その理由には、「外を歩くのが怖い」や「慣れていないところに行くのに抵抗がある」などがあった。彼らが遠出をする際、点字ブロックの無い道や電車やバスなどの乗り降りに大きな不安を抱えてしまうことは容易に想像できる。目が見えていたなら、もっといろいろな所へ出掛けて行ったのではないかと思う。同じ人間でありながら、障害の有無によって活動を制限されてしまう現状の中、自分自身の価値を見出し、感じ続けることは難しいのではないか。つまり、尊厳が侵されてしまっているのではないかと、私は思う。
障害者が本当に求めている支援を私たちは考えていかなければならない。